トマス・ド・クインシー『自叙伝』11

 ここでしばらく私の精神に多大な影響を残した出来事の想起を中断して、『阿片吸引者』で言及したこと、つまり、他の条件はみな同じであるのに、なぜ死は、少なくとも風景や季節になにがしかの影響を受けるとすれば、一年の他の季節よりも夏にいっそう深く哀切であるのかを説明してみよう。そこで推論したように、その理由は夏の生命の過剰なまでの繁茂と墓の凍り付くような不毛性との敵対関係にある。夏はそれを我々が見、墓は我々の考えからなかなか離れない。栄光は我々の周囲にあり、暗闇は我々の内部にある。二つは衝突し、各々が他方をより強い慰藉へと高める。だが、私の場合、夏が死の光景や死についての考えをかくも強く鮮明にする力があるのには非常に捕らえにくい理由があるのである。思い返してみると、具体的なあれこれの困惑させるような結びつきや、解きほぐすことができないような螺旋状の(という言葉をつくっていいなら)複合的な経験以上に、直接的に、抽象的な形で我々を訪れた真理に突き当たるのである。それは、本が集められている大きな子供部屋で、沢山の挿し絵のついた聖書を見ているときに起こった。長く暗い午後、三人の姉と私が子供部屋の暖炉の(1)の周りに座っているとき、最も頻繁にせがんだのがこの本だった。それは音楽と同じくらい神秘的に我々を支配し、強い影響を与えた。我々皆が愛していた若い乳母は時に、彼女の飾りのない力によって我々には解しがたい所を説明しようと努めた。我々子供たちはみな生まれつき哀愁には敏感だった。火がたかれた部屋の時に訪れる薄暗がりや突然の炎の揺らめきは我々の午後の気分に合っていた。そして、それらはまた、我々を畏敬させる力や神秘的な美の神的な啓示にもあっていた。とりわけ、人間であり人間ではない公正な人、なによりも真実で、あらゆるものに影を落とす、パレスチナで死の受難を受けた方が水の上にあらわれる曙光のように我々の心に休らっていた。乳母は物知りで、東洋の気候の主な違いを説明してくれた。そしてそうした相違は(偶然にも)多かれ少なかれ大きな出来事や夏の力に関連していた。シリアの雲一つない日光は永遠に続く夏を示しているようだった。使徒たちがトウモロコシを引き抜くのは夏でなければならなかった。そして、なかでも棕櫚の日曜(英国教会の祝祭日)という名は聖歌のように私を戸惑わせた。「日曜日」、とはなにか。それは人間の心が捕らえることのできる平安よりもより深いもう一つの平安を覆い隠す日なのである。「棕櫚」とは何か。それは多義的な言葉である。戦勝記念の意味で言えば、生の華やかさを表現している。自然の産物としては、夏の華やかさを表現している。だが、これでも説明は十分ではない。単なる平安や夏だけが、すべての休息の底にある休息や栄光の深みにある音だけが私に絶えずつきまとっていたのではない。それはまた、エルサレムが時と場所両方において、それらの根深いイメージに近いことからきているのである。エルサレムの大事件は棕櫚の日曜がくるときに身近なものになる。この日曜の光景はエルサレムのものに近い。それでは、エルサレムとはなんなのか。私はそれが地球のオムパロス(臍)、あるいは物理的な中心だと空想しなかったろうか。なぜそれは私に影響を与えたのだろうか。そうした空想はエルサレムで一度、ギリシャの都市で一度なされただけである。どちらも地球の姿を知ってしまえば馬鹿げたものとなる。確かにそうだが、地球ではなく、地球に住む者、人類にとってエルサレムオムパロスであり、絶対的な中心となっている。だが、いかにしてか。そこでは、我々子供たちが理解していたように、我々の所とは反対に、死すべき運命が足下に踏みにじられていた。事実、まさにその理由によって、そこでは死すべき運命が最も憂鬱な穴痕を開けていた。実際、そこでは、人間は翼をもって墓から飛翔する。しかし、同じ理由によって、そこではまた神的なものが深淵に飲み込まれるのである。偉大な星が覆い隠される前に、小さな星が上ることはできない。それゆえ夏は、対立関係のためばかりでなく、聖書の場面と出来事によって死と入り組んだ関係を持つものであるために死との関係を持つのである。

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*1:1.The guard この言葉をこうした意味で使うのが地方特有のものなのかどうか私は知らない。私が言うのは炉格子の一種で、四,五フィートの高さがあり、子供たちが火に近づきすぎないようにするためのものである。