ブラッドリー『論理学』79
§13.「Aは非Aではない」、「Aはbかつ非bではない」、「Aは同時に存在し存在しないことはできない」といった様々な言い方でなされる公準には、原理の真の問題は含まれていない。というのも、もしAが非Aであるなら、それがAとは矛盾する性質をもっているためだろうからである。また、Aがbという性質をもっているなら、bと相反する性質をもっている限りにおいて非bであることができる。また、もしAが存在しており、存在していないなら、それは究極的な実在が矛盾した性質をもっているためだろう。Aを受け入れる性格はAを存在から排除する性質と反対であろう。多様な細部のもと我々が見いだすのは同じ基礎であり、相反するものの拒絶である。
この原理を述べる単純な方法とは、「まったく同じ判断について否定と肯定を述べることは認められない」と言うことである。このことは、もし心理学に奇跡が生じ、心が肯定的にも否定的にも判断するようになれば、どちらの判断も真になるかもしれない、ということを意味しているのではない。それが意味するのは、もし同時に肯定し否定するなら、それは間違った語り方をしているに違いない、ということである。否定は肯定との実定的な矛盾を主張する。事物の本性には(結局のところそうであるしかないが)まったく連接できない要素もあれば、ある種の方法によっては連接されないような要素もある。そして、論理学では事物の本性を尊重しなければならない。
§14.我々の公準が同一性の法則の反対側でしかないことを示そうとするなら、我々は次のように、「真理は変化し得ないものであり、相反する主張はお互いを変えるために真たり得ない」と言うことができる。また、ついでに問題の形而上学的側面を見ておこうとするなら、実在が個的なものであり、個的なものは調和し自己整合的なものであることを思い起こすことができる。その諸性質が内的に相反するものであっても、ばらばらに分解したりはしない。