トマス・ド・クインシー『自叙伝』18

 この時、飽くことを知らない悲しみの衝動のもとで、得ることのできないものを捕まえること、僅かの材料からイメージを形づくり、それを熱望の順に分類する能力が私のなかで病的なほどに発達した。現在でも私はその一例を思い出すが、それは単なる陰や光のきらめきあるいはなにもない場合であっても、この創造的な能力を働かすのには十分だったのである。


 日曜日の朝、私は家族と一緒に教会に行った。英国の古い形の教会で、側廊、回廊、オルガンなど全て古くて由緒あるものであり、堂々としたたたずまいだった。そこで、会衆たちが跪いて長い連祷を行っているとき、そのなかでも最も美しい一節、神が「すべての病んだ人間と幼い子供」に嘆願され、「すべての補囚と囚われ人に哀れみを示される」ところに来ると私は密かに泣いた。そして、涙に濡れた眼を回廊の上方の窓に向けると、太陽の日が輝いており、予言者だけが見ることのできたような感動的な光景があった。窓の傍らには絵画の描かれたガラスがあった。深い紫と深紅色を金色の光が通っていた。(太陽からの)天上的な装飾が(芸術とその華やかな彩りからくる)偉大な人間の手になる地上の装飾と混じり合っている。人間に対する天上的な愛から地球を、地上の栄光を踏みつけにする使徒たちがいた。炎を通し、苦痛を通し、すさまじい侮辱的な顔の兵士たちを通して真理を目撃する殉教者たちがいた。耐えられない苦悶のもと、辛抱強く神の意志に従うことで神の栄光を讃える聖者たちがいた。この崇高な記念物が底の方で深い和音を響かせている間、私は窓の中央に大きく開いた窓の色の部分に空の淡青色の深みに白いふわふわとした雲が浮かんでいるのを見た。断片的で僅かの雲であったが、悲しみにとりつかれた私の目にはすぐさまそれは白いカーテンの下がった寝台へと形を変えていくのだった。寝台の上には病気の子供が、死にかけた子供が不安のうちに寝返りを打ち、死を恐れて酷く泣いているのである。神は、なんらかの神秘的な理由から苦痛をすぐに取り除くことはできないらしかった。だが、彼はゆっくりと雲から寝台を昇らせているようだった。ゆっくりと寝台は空の部屋にあがっていった。ゆっくりと神の手が空から降りてきて、それは神と彼の子がパレスチナで恐ろしい離別の深い淵を経験しなければならなかったのがもうすぐに会えるとでもいうかのようだった。この幻視はまったく他からの助けを必要としないものだった。なにかが語りかけることも音楽が感情を形づくることも必要なかった。連祷からの暗示と雲の断片、それに物語の描かれた窓だけで十分だった。だが、オルガンの激しい響きはまた別のものを生み出した。聖歌において時にあることだが、力ある楽器の荒々しいが旋律の豊かな音が合唱を上回り――蒼天高く声を乗り越えるまでに高まり、力強い強制によってすべての音を統一する――私は数瞬間前には悲しみにうちひしがれて見上げていた雲の上を高らかな気分で昇り歩いているかのようであった。時に音楽というのは悲しみをして悲しみを乗り越え勝利する炎の戦車のように感じさせるのである。