トマス・ド・クインシー『自叙伝』23

 こうした新鮮な訓練を受け、五、六年が過ぎて彼の歳が私のほぼ倍になると、兄はごく自然に私を軽蔑した。そして、過度の率直さから、それを隠そうと骨折ろうとはしなかった。なぜそうする必要があったろう。誰が彼の軽蔑によって悩ましく感じる権利を持ち得ようか、私自身を除くとすれば。しかし、実際に起こったのは反対のことで、私は軽蔑されることに完全に夢中になったのである。私はそれに耽溺した。そして、軽蔑をいつ失ってしまうのかが恐ろしい贅沢の一種と考えたのである。なぜそうでないわけがあろう。それによって落ち着いた生を送る地位を得られるなら、合理的な人間であれば、どうして軽蔑を避けることがあろう。喜劇に見られる軽蔑へのあこがれは、まったく異なった立場に立つものである。そこでは、軽蔑は宗教的偽善に役立つ味方であり道具として求められている。しかし、この時期の私にとっては、それは、何ものにも煩わされることのない安息の保証となっていたのである。いかなる意味においても、生の秘密の小道には安全などない。なにかほんのわずかでも私の知的見せかけに都合のいいような態度を取ると、過度なまでの警告が与えられた。ある意味では、聞き手共々私にもそうした最初の企てには助け船が約束されていたのだが、第二、第三、第四ともなると————ああ、この忌まわしい男が私に課した理不尽な要求がいかなるものであったか言うべき言葉もない。私は彼の期待の重さに苦悶した。こうした階段の一層目を登り切ったとしても、というのも、私は何マイル、何リーグにも及ぶ、雲にまで届く巨大なヤコブの梯子を思い描いていたので、私自身はと言えば、忌まわしくもあるが賛嘆すべき人物が建設することにしたバベルの塔の頂上に向かう、疲れ果てたアイルランド人の下働きのように、この梯子を駆け上り駆け下りていたのである。しかし、私は第一歩を拒否することで、厭わしい無理強いの仕組みをつぼみのうちからつみ取ってしまった。まだ第一段にも上がっていないようなのに、三段目や四段目を期待するふりなどできないものである。そもそもの初めから完全な破産を宣告しているので、一ポンドにつきいくら払えるかといった希望を与えることもなく、未知の責任で悲惨な目に遭うこともあり得なかったのである。


 だが、私の心の平安にとっては本質的なものである、軽蔑されることへの情熱のなかに、私をちくちくと刺す兄の立場に、時折ある高み————星の高み————を見いだすことがあった。実際、時折、議論の成り行きで、自分の軽率さに気づく前に、バベルの階段を上ってしまい、兄が無限の軽蔑でしばらく身を震わせることがあった。書物に関して私の優越が明らかになる遙か前においても、愚かなる人間の本性によって、報復的なつまらない勝利の喜びを完全に隠すことはできなかった。しかし、よりしばしば起きたのは悲しみの感情だった。私の不安からの解放を保証していたまったき卑しさという堅固な基盤が揺り動かされていたからである。それゆえ、全体として言えば、兄の私に対する見解が、僅かな変動はあったにしろ、元々の審理の結果である軽蔑に向かって落ち着いたのは、私の心にとっては満足のいくことだった。嘲笑の大建築を支えるヘラクレスの柱は二つあった————1.私の身体つき。その柔弱さを非難した。2.私自身面と向かって否定することができなかったのだが、ごく一般的な愚かさがあると思われていたし、それは、与件として考慮されてさえいた。それゆえ、身体的にも、知的にも、彼は私を下に見ていたのである。しかし、道徳的には、彼はいつでも私自身の最上の人物描写として選べるものを与えてくれた。「お前は正直だ」と彼は言った、「怠け者だがやる気はある、ノミほどの力があれば、吸い付くだろう、とんでもなく臆病だが、逃げ去りはしない」と。こうした厳しい判断に対する私の反論は、本当であったら可能であったものほど多くはなかった。愚かさについては、私も認めていた。ごく普通に言われる馬鹿というわけではなかったが、多くの場合そうであるように、自分は実際そうなのだと思いがちだった。読者が気づいている以上に、そう考えるに足る理由があったのである。しかし、柔弱さについては、私は完全に否定する。先で見るように、それには十分な根拠がある。兄にしても、なんらかの事実上の証拠があるわけではなかった。彼のよって立つ根拠は単にアプリオリなものであった————すなわち、私が常に女性や女の子たちのエプロンの紐に結びついていたからだというのである。そこで次のような結論になる————生活習慣と状況の自然な成り行きによって、私は柔弱であるに違いない。つまり、私がそうであるに違いないことが、あらかじめ予想されるに足る根拠がある。しかし、こうした根拠があるにもかかわらず、実際には私がそうではないのであれば、私にそれ以上の長所があったことになる。事実、日々の経験で兄がすぐ学ぶことになったのは、いかに彼がその無謀な戦いの計画を実行に移す際、私に頼りきりになるかであった。私がそうした計画を嫌がっていたことは確かである。しかし、そのことは私が果たそうとしていた忠誠心にはなんの関わりもない。