暴力と音楽という臍帯――スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』(1971年)

 

時計じかけのオレンジ [DVD]

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 原作、アンソニー・バージェス。脚本、スタンリー・キューブリック。撮影、ジョン・オルコット。音楽、ウォルター・カーロス。


 鬼面人を驚かすという言葉がある。あまりいい意味で使われることはなく、大仰な見せかけや中身のないはったりで人を威したり驚かしたりすることとされる。しかし、翻って考えるなら、もしそれを言いかえて、異界の相貌を見せることができるとするなら、相当なものだと言えないだろうか。

 

 『時計じかけのオレンジ』は、キューブリックの映画のなかでも、とりわけ鬼面人を驚かす体のものである。かつての宮廷人のように股間に詰め物をした街のギャング、至る所にまき散らされた男根状のオブジェ、主人公アレックス(マルコム・マクダウェル)のたまり場や襲撃する郊外の作家の家、ひみつのアッコちゃんのような服装をした母親など、どこをとっても現実らしさはなく、その色彩といい形状といい見事なまでに統一されながらずれていることで、宇宙を旅する『2001年宇宙の旅』や幽霊があらわれる『シャイニング』よりもずっとこの世ならぬ相貌を伝えている。

 

 アレックスの一団は他の街のギャングたちと喧嘩をしたり、目星をつけた家に押し込み、暴行したり金品の強奪をおこなったりしている。ただ、アレックスのリーダーとしての暴虐ぶりのために、他の隊員とのあいだに溝もできている。

 

 多くの猫と住んでいる中年女性の家に押し入り、アレックスが巨大なペニスのオブジェで女を殴り殺してしまったとき、隊員たちは裏切り、彼は警察に捕まってしまう。彼は刑務所でまずはおとなしく過ごしているが、おりしも、囚人たちの暴力的衝動を強制的に押さえ込む実験がおこなわれようとしていた。

 

 被験者に志願したアレックスは、薬品を投与され、強制的にクリップで目蓋を開けられ、暴力的な映像を見せられ続けることになる。それによって暴力と嫌悪感を条件づけようというのだ。実験は成功し、アレックスは暴力をふるおうとすると気分が悪くなる体質に変わってしまう。因果応報であるかのように、映画の前半で痛めつけた浮浪者、かつての仲間(いまは警官になっている)、郊外に住む作家などから復讐を受ける。だが、重い怪我をきっかけにしてもとのアレックスが戻ってくる。

 

 この世ならぬ相貌といっても、なんらかの臍帯がなければ、現実らしさはすべて失われてしまう。この映画のそうした臍帯がなにかといえば、音楽と暴力である。地面から数センチ浮いたような舞台設定のためか、そこで描かれる暴力も形式的だといわれることがあるが、音楽と結びついた暴力の気味の悪さをこれほど直接的に描いた映画もない。

 

 そもそもアレックスはベートーベンを愛好しており、特に第九は常に背景に鳴り響いているのだが、暴力抑制の実験の結果、ベートーベンもまともに聴けなくなってしまう。つまり、暴力と音楽は分かちがたく結ばれており、見知らぬ人物に躊躇することなく暴力が振るえるのも、音楽が生気を与え、身体を動かすに足るだけの根拠を与えてくれる結果に過ぎないわけで、その陽気さと背徳感の入り交じった気味の悪さは『雨に唄えば』を歌いながら暴行する場面に十二分にあらわれている。