幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈56

櫛箱に餠すゆる閨ほのかなる 荷兮

 

 一句は、遊女の室中で、櫛などがある鏡台のあたり、白紙を折って新年の飾りの葉を敷いて、小さな餅を据えたところに灯火がほのかにさしている様子である。遊女たちは、幸先がよいことを願って、座敷の床の間に大きな鏡餅をすえ、蓬莱飾りをするのはいうまでもなく、そこかしこに縁起を祝って餅を据えたりするものである。前句の禿をここでは遊女が召し使う女童と取っている。昔の傾城の使った女童は髪を結うことがなく、首のまわり、肩先に触れるほどに切りそろえてそのままにしていた。そこから禿という。髪を結び、美しい簪で頭を覆うようにしたのはのちのことである。古い浮世絵や浮世草子などを見て確かめてみればよい。前句とのかかりは、松の内の花街の夜が更けて、酒の乾きにふと目覚めると、灯火がほのかに広がり、屏風の外れから鏡台に餅が白く見えるなど、遊里のしどけない風情よと、自ずから笑いが催されるとき、禿がまめまめしく優しく気を遣って仕えてくれるのに、禿はいくらの春ぞ、かわいい、と客の思うさまである。必ずそうだというわけではないが、もっともよい遊女は、才色すぐれた遊女に、鶯の付け子のように、幼い禿のときから付けられて、あらゆる礼儀作法、学問遊芸、応対談笑、趣味風流のことをあるいは教えてもらい、また自分で見覚え聞き覚えて、相応の歳になって遊女となったものである。これを禿だちの遊女とも禿立ちの傾城ともいう。好き者のたとえに、執筆立ちの連歌師、禿立ちの傾城ということもある。すぐれた宗匠について、長く執筆を勤め、その後で自分も連歌師として立つということは、自然に覚えたこともあり、身についたことも多いので、よい連歌師と言われることが多いように、傾城も禿立ちがもっとも上品で、金銭が貴いことなども知らぬほどである。才色すぐれた禿の行く末はそのようなものなので、前句の「いくらの春ぞかはゆき」は、この句を得て光を増し香を添えたといえる。