2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

一言一話 41

アメリカ映画の脚本家のインタビュー集である『バックストーリー』という本から。 フォークナーとの共同作業 ホークスの『三つ数えろ』はウィリアム・フォークナー、リー・ブラケット、ジュールス・ファースマンの三人の協同脚本となっているが、ブラケット…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 15 

.. 科学の「自律性」 科学は、単なる道具(媒体)としては、場面、行為、行為者、目的の性質を取り、同一化すると思われる。欠陥のある政治構造が人間関係を歪めるのであれば、同様に科学も歪められると予想するのは理にかなったことであろう。教会の擁護者…

ブラッドリー『仮象と実在』 136

...[すべてが私の経験であり、また経験ではない。] 簡単にもう一つの誤解について触れておこう。それは古くからの間違いの少し形を変えたものである。私が知るのは私が経験したことだけで、私自身の状態を越えた何ものも経験できないと言われる。それゆえ…

一言一話 40

決定版 夏目漱石 (新潮文庫) 作者:淳, 江藤 新潮社 Amazon リア王の自然と仙人の自然 漱石 リアがこの半裸の乞食に対して着衣を投げ与えるのは、「自然」のみにくさに耐え兼ねた反射的な行為である。つまり、「愛」とか「倫理」とかは、この行為を出発点とし…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 14

. 同一化と「自律」 「自律的な」活動について言えば、修辞的同一化の原則は次のように言うことができる。ある活動が活動主体に本来備わっている自律の原則に還元可能だという事実は、異なった動機づけとの同一化から自由だということを意味しない。そうした…

ブラッドリー『仮象と実在』 135

...[また、他の自己の非実在性が独我論を証明することはない。] ここまで、直接的経験が独我論の基盤ではないことを見てきた。更に、もしそうした経験を超越したとしても、我々は独我論により近づくわけでないことを見た。というのも、我々は自分の自己を…

一話一言 39

決定版 夏目漱石 (新潮文庫) 作者:淳, 江藤 新潮社 Amazon 私小説と純粋小説 これらの有能な青年作家達[中村真一郎ら]の見落としている重要なことは、我が国の自然主義的<純文学者>達によって書かれて来た私小説というジャンルが、やはり一種独特の方法を…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 13

.. 属性の同一化を目指す性質 形而上学的に言えば、ものはその<属性>によって同一視される。修辞学の領域では、こうした同一視は、しばしばその語の最も物質的な意味における属性、つまり経済的な資産、コールリッジが「宗教的瞑想」において語ったものに…

ブラッドリー『仮象と実在』 134

...[どちらにしても、明示することはできないが、どちらも同じ議論に依存している。] 同様の議論によって我々は自分の過去と未来にたどり着く。ここでも、他の自己の存在に反論する独我論は、気づかぬうちに自殺を試みている。というのも、《私の》過去の…

一話一言 38  

決定版 夏目漱石 (新潮文庫) 作者:淳, 江藤 新潮社 Amazon 文学が判らぬという才能 漱石 彼らは[藤村や花袋]、この狂人めいた文部省留学生にくらべてはるかに西欧文学の魅力に忠実だったので--即ち、日本の現実に盲目だったので、--それだからこそ、ドスト…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 12

.. 同一化と「三位一体」 Aは、同僚Bと同じではない。だが、彼らの関心が重なる限りにおいて、AはBと<同一化>する。あるいは、関心が重なっていないときでも、自分でそうだと思い、あるいはそう信じるよう説得されるならBに<同一化する>かもしれな…

ブラッドリー『仮象と実在』 133

...[もしそうなら、過去と未来の自己で我々は止まれるだろうか、あるいは、他の魂とも関係を結ばねばならないだろうか。] (b)もしこの経験を直接的ではあるが、私の自己だけの実在を証明するものではないとするなら、我々はこの経験を既に見ている。直…

一話一言 37

ニーチェについて―好運への意志 (無神学大全) 作者:ジョルジュ・バタイユ 現代思潮新社 Amazon 笑い 超越性の破壊 笑いながら超越性を破壊しなければならない。子供が、自分自身の彼方、この恐い彼方に打ち捨てられてから、突然、母親の内奥の優しさを見い出…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 11

.. 同一化 我々は『闘士サムソン』が「利用」したもののなかから、神の敵を殲滅するために自らの身を滅ぼした盲目の巨人への詩人の同一化について考えた。そして、ピューリタンとイスラエル人、王党派とペリシテ人の同一視を認め、そうした同一視はある種の…

ブラッドリー『仮象と実在』 132

...[II.しかし、我々ははたして直接的経験を超越できるだろうか。この私こそが「唯一無二」ではないか。いいや、それは「排他的」ではなく、我々は超越することを余儀なくされる。] まず我々は、直接的経験の限界に留まることができるのかどうか、調べてみ…

一言一話 36

ニーチェについて―好運への意志 (無神学大全) 作者:ジョルジュ・バタイユ 現代思潮新社 Amazon 嗚咽と交流 嗚咽は、打ち破られた交流を意味している。交流──内的交流の優しさ──が、死、別離、あるいは不和によって破られたときに、私は、自分の中に、この引…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 10

.. 額面通りの形象 額面通りにとれば、形象は我々がその本分に従って反応するよう促す。かくして、「成長する」ことに必死な青年は、映画に教えられて、観念的あるいは想像上の大人の世界の最も注目に価する行動として残忍さや殺人の形象について深く考える…

ブラッドリー『仮象と実在』 131  

...[I.直接的経験によっては私の自己が唯一の実体であるという結論は得られない。] まず、彼らの訴えかける経験が直接的なものだとしてみよう。第九章で見たように、単なる「所与」がこの訴えかけを支えるには二重の失敗がある。一方では十分ではなく、他…

一話一言 35

ニーチェについて―好運への意志 (無神学大全) 作者:ジョルジュ・バタイユ 現代思潮新社 Amazon 交流 賭けに投じられた二つの存在 私の存在の彼方は、まずはじめ虚無である。つまりこの場合の彼方とは、私が、引き裂かれてゆく中で、空虚の耐えがたい感情の中…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 9

.. 要約 第一に、我々は神に同一化するサムソン、それに同一化するミルトンについて記した。それから、王党派のペリシテ人との、ピューリタンのイスラエル人との同一化がある。次に、そうした同一化を用いた詩を書くことで、現実のミルトンが市民として不満…

ブラッドリー『仮象と実在』 130

...[直接的経験、或は間接的経験による訴えかけ] 独我論者お気に入りの議論は、最も単純な形で言うと次のようになる。「私は経験を越えることはできない、そして経験とは《私の》経験でなければならない。このことから、経験こそがその本義である私の自己…

一話一言 34

有罪者: 無神学大全 (河出文庫) 作者:ジョルジュ・バタイユ 河出書房新社 Amazon 笑い--維持されぬもの もし私の生が笑いの中に身を滅ぼすとすれば、私の自信は無知の自信となり、結局は自信の全面的欠如となるだろう。狂乱の笑いは推論の手のとどく圏内か…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 8

.. パーソナリティ・タイプにおける「悲劇」の形 死や悲劇的終幕との関わりにおいて本質を定義することの背後に普遍的に感じられる文法の原則があるとするなら、アンケート調査がある種宗教的な崇拝の対象となっている我々の擬似科学において、「悲劇」の範…

ブラッドリー『仮象と実在』 129  

第二十一章 独我論 [問題の設定] 第一部で我々は事実を扱う様々な方法を検証し、それらがすべて現象以上のなにももたらさないのを見出した。第二部において我々は実在の本性に取り組んでいる。そこで、ある程度はその性格の一般的観念を形成し、それに対す…

一話一言 33

有罪者: 無神学大全 (河出文庫) 作者:ジョルジュ・バタイユ 河出書房新社 Amazon 言語は交感ではない 通念とはちがって、言語は交感ではないのだ。そうではなくて、交感の否定、少なくとも相対的否定なのだ。電話(あるいはラジオ)を考えてみるがよい。 日…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 7

.. 本質との劇的、哲学的関係 能動的、再帰的、受動的な死(殺す、自殺する、殺される)についての形象は、死についての思想が人間の動機づけに基本的なものであるために劇的緊張を高める働きをすることは明らかで、通常はその使用方についてこれ以上考える…

ブラッドリー『仮象と実在』 128

...[完璧な存在とはただ一つしかない。] しかし、誤りは我々の注意を真理へと向けることもあり得る。我々は、大きいものと小さいもの、二つの完全が隣り合って存在することが可能であるか問うことになる。そして、それについては否定で答えねばならない。…

一話一言 32

有罪者: 無神学大全 (河出文庫) 作者:ジョルジュ・バタイユ 河出書房新社 Amazon 真理のありか 真理は会話とともに、共有される笑いとともに、友情とともに、エロチスムとともに始まり、ひとりの人間から他の人間へと移行しつつ、はじめて生起するものなのだ…

ケネス・バーク『動機の修辞学』 6

.. 変容のイメージ化 もう一つのやっかいの種を加えることで、事態を明確化できる要素をつけ加えることにもなる。今度は、同じ「歴史の曲線」に属するコールリッジの「宗教的瞑想」からである。 彼の巨大な一族には 無傷のものを傷つけるカインは存在せず(…

ブラッドリー『仮象と実在』 127

...[完全性と量。] よくある間違いから引出される反論について最後に軽く触れておこう。量はしばしば完全性の観念に導入される。というのも、完全性は我々がたどり着くことのない彼方のように思われ、それは自然に無限の数という形を取る傾向にあるからで…