一話一言 39

 

 

私小説と純粋小説

これらの有能な青年作家達[中村真一郎ら]の見落としている重要なことは、我が国の自然主義的<純文学者>達によって書かれて来た私小説というジャンルが、やはり一種独特の方法をもった<純粋小説>だということであり、これら相反する二つの流派は、自己の周囲の多様な現実の受容を拒絶し、架空の芸術的城壁をめぐらして、その内部の閉鎖された世界を守ろうとする点では全く軌を一にしている、ということである。彼等の相違は趣味の相違であって、恐らく本質の相違ではない。

 

マチネ・ポエティクの作家たちのことを言っているのだろうが、あくまで「純粋小説」」という点において相似形をなしていることのほか、相当前提条件を加えねばならないと思う。