トマス・ド・クインシー『自叙伝』25

 しかしながら、この仮説は、他の無数にある説と同様、子供部屋の聴衆の持続的な共感を得られないとなると、続けられなかった。ある時には、彼は関心を哲学に向けたこともあるし、物理学のある分野の講義を毎晩我々に読み上げたこともある。このことは、我々のなかに、天上を歩く蠅の力への羨望、あるいは感嘆を引き起こすことになった。「馬鹿だなあ」と彼は言った、「奴らはペテン師だぜ、ふりをしているだけさ。そうした方がいいのに奴らにはできないんだ。ああ、ぼくが頭を逆さにして天上に立って、三十分ほど思いに沈んでいるところを見たいかい。」妹のマリーは、みんなそんな姿が見られたらとてもうれしいと言った。「そういうことなら」と彼は答えた、「紐さえあればいつでもいいよ。」一流のスケーターである彼は、スタートの時点まで姿勢を維持し、強く一歩を踏み出せば、その勢いでスケートし続けることができるだろうと想像していたのだった。だが、彼は答えを見いだすことはなかった。「パリの壁よりもずいぶん摩擦が多いからなあ。天上が氷で覆われていたらずいぶん違ったんだろうけど。」思うような状態ではなかったので、彼は計画を変更した。次に彼が発見した、真の秘密はこうである。自分をうなりごまのようなものだと考える。独楽のように飛び出し、天井に張りつき、一定速度で回転できるような装置が作れるだろう(そして実際に作った)。これで、人間ごまの回転する力は重力に打ち勝つことだろう。もちろん、彼は自分の軸の上で回転し、眠り————おそらくは夢を見ることもできよう。そして、彼は見せかけだけの技術を改善しようとせず、なにも新しいものをつくりださない「不埒な蠅ども」をあざ笑ったのである。原理はいまや発見されたわけだった。「もちろん」と彼は言った、「五分間そうすることができるなら、五ヶ月だって続けられるはずじゃないか」と。「確かに、そうでしょうね」と姉は答えたが、彼女の疑いは実のところ、五ヶ月という部分とともに五分という部分にもあった。しかしながら、兄を回転させる装置は、恐らく複雑すぎたのだろう、うまく動かなかった。愚かな庭師のせいにされた。失望していた我々に問題を再考した兄が告げたのは、物理的な発見は完全だが、道徳的な難点が発見されたということだった。必要なのはうなりごまではなく、梨型のこまだというのである。大きな重力がかからないために旋回を最大限に維持しておくには、絶え間なくむち打つ必要がある。しかし、まさしくそれは、紳士たるもの許されるべきではない。庭師などにひっきりなしに鞭打たれるとは、父なるアダムでなくても、想像だにできるものではない。いわば埋め合わせとして兄が提案した飛翔術の方も、誰もが認めるに違いないが、文明化した社会においては不面目なものだった。沢山の熱気球をつくり、飛び降りるのさえさほど難しくない高さからパラシュートによって猫を下ろす試みには成功した。しかし、逆に飛び上がることはできないのを姉に非難されると、実際それはまったく異なったことであり、「ラセラス」の哲学者によってさえ試みられなかったことなのだが、

(「Revocare gradum ,et superas evadere ad auras,
Hic labor,hoc opus est」とあるように)

励みになるものもない兄はそれ以上翼つきのパラシュートを試すことも止め、ウィルキンス司教(1)の月への転任を徹底的に研究するまでは、「上に飛び上がることも下に飛び降りる」こともなかった。そのうちに兄は物理学一般についての講義を再開した。しかし、兄は、姉マリーの猛烈な攻撃によって、即座にその立場から追い払われるというか、こう言ってよければ、身ぐるみはがされてしまった。兄は、我々の貧弱な理解力に合わせるのだというこれ見よがしの態度で講義の速度を遅くする習慣があった。この傲慢さが姉をいらだたせた。そこで、尋ねてきた二人の女の子と、弟————後に海軍将校候補生となり、H.M.の多くの船に乗り、どんなものであれ、権威を笠に着た横暴には反抗するよう運命づけられていた————とともに反乱を起こし、その予期せぬ出来事によって突然講義は永久になくなってしまった。常々兄が言っていたのは、議論になっている点を辛抱強く明らかにするのは自負するところであり、ごく普通のことでもあった。「明らか」というのは、兄のつけ加えるところでは、「みすぼらしい能力しかない」我々聴衆に思い知らせてやることなのである。朗々とした声で兄は、「劣った能力にとって明らかにするというのは最も耐え難いことである」と繰り返した。その声に被さるように女の子の声が————誰の声だったかは、続く喧噪のなかで区別できなかった————言い返した、「全然明らかじゃないわ、真っ暗闇よ」と。すぐさま第二の声が上がった「夜のように暗いわ」。弟が謀反の声を上げた「真夜中みたいに暗いよ」。別の女の子の声が歌うように響いた「タールみたいに暗いわ」。声は輪唱のように一周するまで続き、よく協調されており、燃え上がる炎は衰えなかったので、立ち向かうことなど不可能だった。突然の中断によって「円卓上に」包囲されたわけだから、首謀者を特定して挑むことも不可能だった。バークの「豚のような群衆」という言葉が暴徒について言われ、誰の口にも上っていた。兄は大胆な反乱に対する最初の驚きから立ち直ると、一斉射撃の練習でもするかのように我々を見回して数度のお辞儀をし、恐らくは二人のお客の手前もあったのだろう、非常に低い声で短いスピーチをしたが、我々に聞き取れたのは真珠豚のような群衆という言葉だけだった。我々はこの別れの挨拶に一斉に笑った。兄も最後には折れて、それに加わった。こうして、自然哲学の講義課程は終了したのである。

 

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*1:(1)「ウィルキンス司教」:————ウィルキンス博士、チャールズ二世の時代のチェスターの司教で、月旅行の可能性について書いた本で有名であり、「ピーター・ウィルキンスの冒険」という彼の本と彼の名前とが結びついて、司教として月に転任したと言われていた。しかしながら、この突飛な作品だけを言及するのは彼に対して不公平である。実際には科学的な人間で、既にクロムウェルの時代(1656年頃)に、後にアイザック・バロウとアイザック・ニュートンによって実現され統轄されたロンドン王立教会を計画していた。彼はまた学識があり、ロマンスにも富んでいたことは、労作である『哲学的、普遍的言語に向けての試論』に伺える。