マキノ正博『鴛鴦歌合戦』

 

 

 1939年の作品であり、マキノは幾度も名前を変えているが、雅弘の時代の次郎長や高倉健の任侠ものを見るのをもっぱらとしていて、いわゆる時代劇オペレッタと呼ばれる初期の作品をはじめて見て、鈴木清順が最後の作品として『オペレッタ狸御殿』を選んだ理由がよくわかった。ここでのマキノ演出は、最良のものを量産することによって名人の域に達するという点において、これ以後となんら変わることはないのだが、オペレッタという本来はヨーロッパ産のものを、もちろん浅草の軽演劇を経由しているとはいえ、映像化することによって、それが本来もっているでたらめさ加減をでたらめなものとして受けいれることで、恐ろしくモダンな仕上がりになっており、鈴木清順のモダニティがはしなくも逆照射されている。ひとりの浪人に対する三人の女の恋のさや当てといった物語はなんら重要なものではなく、行為の始まりと終わりを示すはずのシークエンスはずたずたに分断され、浪人と娘たちと娘を妾にしようと付け狙う殿様との距離は曖昧に消失し、傘は雨を避けるために存在するのではなく、昼日中長屋前に拡げてその意匠を誇示するため、最後の場面で移動するカメラに向かって出演者たちが広げて挨拶するために、つまりは色あせることのない驚異という不可能に向かってすべてが集中している。志村喬が歌うのもびっくりしたし、お爺さんではない片岡千恵蔵を見るのもはじめてだったが、さらにもっとも驚くべきであったのは、撮影は宮川一夫であり、小津安二郎の作品のようにロー・アングルが徹底されているわけではないが、それでも低い地から仰いだ角度のアングルが多く、その背景にある、いくら時代が変わったからといってもそれほど変化するはずのない空と雲とが、そんなはずはないのだが、これまでに見たことのない空と雲としか思われないことにあって、まさに新鮮であり続ける意匠としてその世界を覆っている。

ブラッドリー『仮象と実在』 66

第十二章 物自体

 

      (宇宙を二つの半球に分けることは擁護しがたい。)

 

 ここまで、我々は実在に到達できないことがわかった。様々な方法で事物が取り上げたが、仮象以上のものを得ることに失敗した。どんなことを試してみても、調べてみると、矛盾していることが証明された。内的な統一に達しないものは、明らかに真の実在というには足りないのである。他方、混乱を我慢することに決めるのでない限り、満足して落ちつくことも不可能である。というのも、我々が思考し、どんなものであれある観点をとるならば、所与のものを越えることは必須のことだからである。しかし、一度機会を逃してしまうと、我々はまとめ上げる力をもつものにまったく出会わなくなってしまう。あらゆる観点は仮象を与えてくれるだけで実在は逃れ去ってしまう。それは常に我々を困惑させ、頑固に後退していくので、我々はそれを到達不可能なものと見なすことを余儀なくされている。それは我々とは異なる別の世界で発見されるもののように思える。

 

 我々はここで、万物についてのおなじみの見方、しかし理解の度合いが人によって非常に異なる教義に達する。この見方によれば(自覚しているかどうかはともかく)、万物は二つの領域、言うなれば二つの半球に分けられている。一方が経験と知識の世界で、いかなる意味においても実在を欠いている。他方が実在の王国で、知識や経験がない。別の言葉で言えば、一方にあるのが現象で、我々にあるがままの事物と我々にあらわれている限りでの我々がある。他方にあるのが物自体、あらわれることのない事物である。あるいは不可知の領域といってもいい。我々がそうした分割した世界に対する姿勢は大いに異なっている。我々は自分の問題に関係のないもの、関心を引き起こさないものは喜んで無視をする。無価値なものが壁に投げつけられれば嬉しく思う。あるいは、実在が我々が知るには余りに良きもので、混乱の真っ直中から触れることのできない輝きを放つものとしてあがめるしかないのを残念に思うかもしれない。我々は愚直にもこうした完全な隔たりを幸運なものと考え、最後には、完全な無知は宗教を妨げる疑念を取り除くものだと喜ぶかもしれない。我々がなにも知らないならば、崇拝に反対する理由も見いだせない。(1)

 

*1

 

 この考えはよく知られており、ある意味説得力もある。我々の知識が支配することのできない最良で最上の存在のことは知ることができないと感じるのは自然である。そして、恐らく多くの者にとってこの教義が意味しているのはそうしたことである。しかし、もちろん、ある明確な意味をもってそれが言われるとき、その言わんとするところはそういうことではなく、そうした意味でもない。というのも、それは我々の実在に関する知識が不完全なものだと教えてはくれないからである。この説が主張しているのはそうした知識が存在しない、不完全であれなんであれそれに関する知識など全くないということである。我々が理解する世界と物自体との間には堅固で動かすことのできない境界があり、その二つはどうしようもなく隔てられている。これが教義であり、そのもっともらしさは批判の前に消え去るものである。

 

 その馬鹿馬鹿しさはいくつかの方法で示すことができる。もちろん、不可知はその名に値するものかそうでないかでなければならない。しかし、もし本当にそれについての知識がないなら、我々はそれが存在するのかさえ知ることができない。それは「私の能力は私の庭だけに限られているので、隣家の薔薇が咲いているかどうかはわからない」と言っているようなものである。これでは無定見だろう。前章で述べた攻撃を使うこともできる。もしこの理論が真実なら、それは不可能でなければならない。それが真実である知識と、それが真実であるときの一般的条件とは調和させることができない。しかし私は、多分より平易な別の批判を試みてみよう。

 

*1:(1)私は不遜なことを言いたくはないが、スペンサー氏の不可知に対する態度は私には冗談にしか思えず、無意識のうちにこうしたことを前提としている。神を受け入れるべきなのは、単に我々が悪魔というものがどういうものか知り得ないという理由だけによる。しかし、私はスペンサー氏になんらかの首尾一貫した説を割り当てようというものではない。

英雄

 

 

 英雄は胸を張って闊歩し、高邁な志を述べ、最後には腹を切って死ぬものだという中野重治の詩があったが、柴田宵曲の『明治の話題』によると、日露戦争当時、雑誌などでも大いに青少年の士気を鼓舞すべく、英雄偉人が特集されたらしい。大町桂月の主宰する『学生』では各府県の偉人投票を募り、「郷土偉人号」という臨時増刊を出したが、東京でもっとも票を集めたのは幡随院長兵衛だったという。

ブラッドリー『仮象と実在』 65

      (最終的ジレンマ。)

 

 ここで我々は終了することができる。この教義は単なるあらわれから出発した。もちろん、単なるあらわれを越えることを余儀なくされ、無知で無鉄砲な仕方でそれをなしたのだった。それを退けるには僅かの批判で足り、残されるのは一つのあらわれのなかに様々な差異がなければならない世界かまったくのナンセンスかである。そうした差異そのものはまったく擁護されるものではない。もしそれを認めれば、一者における多数という形而上学的問題を扱わねばならないことになる。明らかにそれは与えられてもあらわれてもいないものであるため認めることはできないが、少なくとも多かれ少なかれつくりだされている。現象主義がこのジレンマに終わることは必然的である。瞬間のあらわれを維持し、まったく与えられた通りのあらわれを残しておかなければならない--そうすると、それ以上の知識があり得ないことは確かである。あるいは、「超越的になり」(言葉の赴くまま)、通常の形而上学に見いだされる以上の途方もない矛盾のなかを進まなければならない。ある特殊な真理を確かめるためにだけ用いられる作業仮説としては、もちろん、現象主義は有用で必要なものでさえある。自分の説を進めていく途次にこれを攻撃する形而上学者の方が一層悪いということもありがちである。しかし、現象主義が理性を失ってずうずうしくなり、第一原理として歩を進めることになると、尊敬に値するものではなくなる。その主張に対して言い得る最上のことは、それが馬鹿げているということである。

露伴の齋藤緑雨の葬式における弔辞

 

 

 齋藤緑雨の葬儀が、露伴を含めて数人の参列者によって執り行われたときの様子は、山田風太郎の明治ものの短編に描かれていた。柴田宵曲の『明治の話題』には露伴の弔辞の一部が紹介されている。「維明治ノ三十七年四月十三日、緑雨齋藤君卒す、嗚呼哀哉、天の才人にさいはひせずして世のはやく詞客を失へることや、予の君に於ける生前既に交を訂す、死後何ぞ情無からん、惋惜やまず、哀以て終りを送り辞以ておもひをのぶ」と前おいて「死してほろびざるものは、いのちながしと猶龍の、云ひたる詞おもしろし、文字ほろびず文字世にあり、才ほろびずて才長く在り、嗚呼君長くいのちありけり、嗚呼君長くいのちありけり、人間の壽夭また何ぞ論ぜん」と続いた。葬儀は土砂降りの風雨のなか、いまの文京区にある曹洞宗の金龍山大円寺で行われた。

ブラッドリー『仮象と実在』 64

      (法則とはなにか。)

 

 このたったいま言及された産物の本性について疑問を投げかけるべきときだろう。それは束の間のあらわれのなかに見てとることのできる永続的で実在する本質なのだろうか。もしそうなら、再び現象主義は排除したはずのものを盲目的にあがめていることとなる。そして、もちろん、それら本質の関係--互いの関係と、それらに従属しているように思われる現象との関係--は、余りに困難であることがわかっている難点へと我々を引戻す。しかし、私は法則の実在を否定、あるいは完全にというのではなく保留つきで否定しなければならないと思う。法則は仮定的なものである。それ自体では可能性以外のものではなく、実際にあらわれ見いだされることによってのみ現実的なものとなる。それを離れ、単なる法則だけでは、いまだ存在しない要素をつなぐものでしかない。そうしたつながりだけなら、厳密には現実的なものではない。つまり、諸要素があらわれ以外の場所ではなにものでもないなら、あらわれの外側では法則とは実際なにものでもないのである。では、あらわれのなかでは、諸要素と法則のどちらが非実在的で擁護されない考えなのだろうか。我々はそれらについて、それらが実際にどうであるか知らないことのみを語ることができるように思える。我々が確言できるのは、それらが我々の知る、つまり所与の現象ではないということだけである。

イデアとしての糞

 

北回帰線 (新潮文庫)

北回帰線 (新潮文庫)

 

 

 プラトン学者のバーネットは、イデアは古典ギリシャ語において、姿、形をあらわす、と主張していた。大工は家を、料理人はムニエルや天ぷらをイデアに倣ってつくるが、実際にできあがるのは、いまここに存在する個物である。経験論者が論じる感覚と観念の相違に近しいが、観念は理念として完成されたものの特別な位置に置かれるものではない。その意味でイデアと個物との懸隔は埋めることができない。ところが、あらゆる存在は数的なものだとしたピタゴラスプラトンの思想が近しいのだとすると、数的なもの、つまり、プラトンにおけるイデアはどんな個物のなかにも織り込まれていることになる。プラトンの対話篇では、それでは排泄物のような汚物にもイデアは存在するのか、と問い詰められる場面がしばしば登場する。ヘンリー・ミラーは『北回帰線』のなかで、最後の審判のときを迎え、最後の晩餐をとろうとするとき、銀の盆の上に二つのでっかい糞の塊がのっかっていたとすれば、それこそ人間が長い間追い求めてきた奇跡であろうと書いている。つまり、奇跡であるとともに、まさにイデアとしての糞があらわれる。