ブラッドリー

ブラッドリー『仮象と実在』 106

... [決して、それは絶対と両立不可能なものではない。そこでいかなる多様性も失われるわけではない。] ついでに、もう一つの点、悪において強く感じられる類を見ない人格性について言及しておこう。より詳しい考察については、「私のもの」と「これ」との…

ブラッドリー『仮象と実在』 105

... [不道徳としての悪。] 道徳的悪は更なる難点をもたらす。我々が目的とする内的観念と外面的な存在との単なる欠如や失敗の問題ではない。実際の戦いや対立と関わっている。我々はある観念をもっており、それには実現しようとする目的がある。他方におい…

ブラッドリー『仮象と実在』 104

... [目的を実現することの失敗としての悪。] II.無駄、失敗、混乱としての悪を考えてみよう。世界の大部分は偶然の戯れである。自然と我々の生は、一つのことが実現されるときには、百ものことが失敗に終る闘争の場を示している。これは古くからの不満の…

ブラッドリー『仮象と実在』 103

... [悪のいくつかの意味。苦痛としての悪。] 悪は、我々みなが知るように、いくつかの意味がある。(I.)苦痛、(II)目的実現の失敗、(III)不道徳、というのが挙げられる。最後の点についての十分な考察は後の章で、有限な人間と絶対との関係として扱うこ…

ブラッドリー『仮象と実在』 102

第十七章 悪 ... [ある間違いによってもたらされた難点。] 我々は誤りが絶対における完成と両立可能であることを見てきたが、悪の場合にも同じ結果に達するよう試みてみなければならない。悪は、もちろん、重大な難点をもたらす問題であり、なかでも最悪の…

ブラッドリー『仮象と実在』 101

... [この可能なる解決は実在であるに違いない。] いまのところこの解決を細部にわたって立証することはできず、許されてもいない。私が認め、主張したいと望む一つの説に止まっている。あらゆる誤りを取り上げて、全体に戻すことでそれがどう解消されるか…

ブラッドリー『仮象と実在』 100

... [その事実上の不調和は消し去ることができる。] しかし、我々の考察は不完全であるために擁護できない、というのは正当な反論であろう。誤りは単に否定的なものでは<ない>からである。孤立した不調和の内容は、結局のところ、事実上の不調和を伴って…

ブラッドリー『仮象と実在』 99

... (誤りは分割と再配列によって真理となりうる。) 矛盾を取り除く唯一の方法が存在し、それは分解による。ある要素が抜き去られる代わりに、区別をもったより大きな要素を得て、対立が取り除かれる。最初はcとbという衝突し合う不整合な性質をもったAをも…

ブラッドリー『仮象と実在』 98

... (誤りはいかようにか、実在に属している。) 問題は誤りと絶対との関係にある。虚偽の現象がどうして実在のなかにあることが可能なのだろうか。我々は幾分かは誤りがなにによって成り立っているかを見ているのでもあるが、我々本来の問題にも直面している…

ブラッドリー『仮象と実在』 97

... (誤りは実在と調和しないために実在によって排除される。) 1.誤りが実在によって排除されるのは、実在が調和し、必然的にそうとられるべきである一方で、誤りが自己矛盾しているからである。それが(もしそれが可能なら)存在と一致しない内容だと言いた…

ブラッドリー『仮象と実在』 96

... (誤りは現象であり、虚偽の現象である。) 心理学や論理学では、問題はより容易である。誤りは間違った推論と同一視され、典型となるモデルと比較することができる。また、それが進む各段階を示すことができる。しかし、こうした探求は、いかに興味深いも…

ブラッドリー『仮象と実在』 95

... (誤りの問題。それはジレンマを含む。) 誤りは疑問の余地なく危険な主題であり、その主たる難点は次のようなものである。我々は一方において非存在と実在とのあいだにあるものを受け入れることはできず、他方においては、誤りは頑なにそのどちらであるこ…

ブラッドリー『仮象と実在』 94

. 第十六章 誤り ... (よき反論は単に説明できないなにかではなく、矛盾する何ものかに基づいてなされねばならない) 我々は我々が受け入れざるを得ない絶対の輪郭を描き、思考の一般的な道筋を指摘してきた。次には、一連の手強い反論に向かわねばならない。…

ブラッドリー『仮象と実在』 93

... (我々の言う絶対は物自体ではない。) こうした絶対が物自体なのではないかという反論については、反論者が自分でなにを言っているのか理解しているのかどうか疑わざるを得ない。すべてを抱握する全体がその名に値するものであるかどうか、私の推測を越…

ブラッドリー『仮象と実在』 92

... (我々の言う絶対は物自体ではない。) こうした絶対が物自体なのではないかという反論については、反論者が自分でなにを言っているのか理解しているのかどうか疑わざるを得ない。すべてを抱握する全体がその名に値するものであるかどうか、私の推測を越…

ブラッドリー『仮象と実在』 91

... (相関的な形式はそれを越えた完成形を含んでいる。) 相関的な形式は思考がよって立ち、発展するための妥協である。全体性を破壊する差異を結びつけようとする試みである。(1)潜在的な同一性によって共存を強いられる差異、多数性と統一との妥協――そ…

ブラッドリー『仮象と実在』 90

... (他者は思考自体が望み、含むものであるなら存在すると言える。その事例。) 実際の判断を取上げ、他者を見いだすという視点でその主語を調べてみよう。ここにおいて、我々はすぐさま問題の種に出くわす。常に述語よりも現前する主語により多くの内容が…

ブラッドリー『仮象と実在』 89

... (思考の他者が存在すると言えるだろうか。) 読者は、単なる思考があらゆるものを含むとは誰も信じないことには同意してくれるだろう。困難なのはこの主張を<維持し続ける>ことにある。哲学において我々が考えねばならないのが、どうやって自己矛盾な…

ブラッドリー『仮象と実在』 88

... (なぜ思考は滅びるべきではないのか。) 第一に、我々の完成は物自体にあり、思考に本質的に知り得ないものを知らせるものであると主張されるかもしれない。しかし、この説は我々の全体が感覚経験以外のなにものでもないことを忘れている。そして、我々…

ブラッドリー『仮象と実在』 87

... (思考が二元論を超越することに成功するなら、思考としては滅びる。) 単なる否定では十分満足がいくと言えないことは私も認める。そこで、思考に固有の二元論が解消されたと仮定してみよう。存在はもはや真理と異なるものではないと仮定し、それがどう…

ブラッドリー『仮象と実在』 86

... (思考は二元論的であり、主語と述語は異なる。) 実在は、何であれ、存在と性格という二つの側面をもち、思考は常にこの区別のなかで働かねばならないことを我々は見てきた。思考は、その実際の過程と帰結において、「そのもの」と「何」との二元論を越…

ブラッドリー『仮象と実在』 85

... (思考と実在との関係に関する難問。) ここで私は既に触れた誤解について述べたいと思うが、それについて考えることは我々が先に進む助けとなるだろう。(1) *1 実在が思考以上のものだとしても、少なくとも、思考そのものがそうだとは言えないという…

ブラッドリー『仮象と実在』 84

... (真理は有限なものの観念に基づいている。) この点についてはすぐ後で扱うことにするが、まず最初に、最も重要な点に注意を引いておこう。観念は事実の外側にあるものであり、事実に外からもたらされたなにか、事実にのせられたある種の層だという考え…

ブラッドリー『仮象と実在』 83

... (真理とはなにか。) 真理は思考の対象であり、真理の目的は存在を観念的に性質づけることにある。つまり、実在に安定した性格を与えることにある。真理はそうした内容の述語化であり、述語化は調和をもたらし、不整合と不安定とを取り除く。所与の実在…

ブラッドリー『仮象と実在』 82

... (観念は主語と述語の対照によって判断のうちに明らかになる。) このことは、思考がもっとも完全な形であらわれる判断の本性を考えるとより明瞭に理解することができる。判断において、観念は実在を叙述する。第一に、述語づけられているのは心的なイメ…

ブラッドリー『仮象と実在』 81

.. 第十五章 思考と実在 ... (観念の本性。) 我々の絶対についての考察に対して読者があげる自然な反論がある。難点は、それ自体で擁護することができるような説をなすことよりも、明らかな矛盾とどう調和させるかにある、というものである。真の問題は、…

ブラッドリー『仮象と実在』 80

(我々の絶対に関する知識は不完全であるが、実定的である。その源泉。) それゆえ、少なくとも現在のところ、実在は我々の全存在を満足させると信じねばならない。我々に必要なのは--真理と生、美と善にとって--すべてにおいて満足を見いだすことである…

ブラッドリー『仮象と実在』 79

(しかし、間接的には、理論的完璧性はあらゆる側面における完璧性を含んでいるように思われる。) それゆえ、完璧を喜びに満ちた調和と理解するなら、実在が完璧であると示す直接的な手段は存在しない。現在見て取れる知的基準に関する限り、それには苦痛や…

ブラッドリー『仮象と実在』 78

(実践的理論的公準。) 実際的目的が、事実としての完全性の存在を仮定していると思うのがある意味自然である。しかし、より注意深く調べてみるとこの考えは消散していく。道徳的目的は現実に存在する道徳性が発するものではいことは明らかである。道徳性が…

ブラッドリー『仮象と実在』 77

(存在論的議論。) 最初に、「存在論的な」議論を手短に扱うことにしよう。その本質的な性質については後により明らかになると望んでいるが(第二十四章)、ここではなぜそれが我々の助けとはならないかについてだけ指摘しておこう。この議論は様々な形で述…