ブラッドリー

ブラッドリー『論理学』92

§7.しかし、(b)たとえこうした意味を拡がりに与えたとしても、この説は真ではない。いくつかの観念を比較したとき、より狭い意味をもったものが、常により広い適用が為されるわけではない。単純な例を取ってみよう。可視的という観念は、我々全てが認め…

ブラッドリー『論理学』91

§5.ある語が何も意味せず、何もあらわさないことも可能なことは容易に証明できよう。多分、このことに触れておくのは有益かもしれない。あらゆる命題が「実在」であることは既に見た(42頁)。語による命題は、「Sの意味はPである」と書けば、<明らか…

ブラッドリー『論理学』90

§3.その相違は「外延」と「内包」という用語によって表現することができる。これらの語は英国の公衆によって好まれており、「内包」という語の見境のない使用は優れた人のなかにも認められる。しかし、それらは論理学のためには有用ではない。不必要であり…

ブラッドリー『論理学』89

第六章 判断の量【名辞の範囲】 §1.ある観念を考えるとき、その内容に注目するなら(1)、内包、あるいは含意を得る。その拡がりは、二つの異なった方向をもっている。それは一つの事例であるか諸例であり、観念的であるか現実的である。(2)それは究極…

ブラッドリー『論理学』88

§31.あり得べき誤解のもとを取り除くよう努めてみよう。実際には、ある判断の否定は、常に判断そのものとは異なるなにかによって否定されることが主張されよう。かくして、例えば、「昨日は雨だった」は、雪が降っていた、あるいは晴れていたために間違い…

ブラッドリー『論理学』87

§29.否定の否定が肯定である本当の根拠は、単に次のようなことにある。あらゆる否定において、我々は実定的な根拠をもっていなければならない。第二の否定における実定的な根拠は最初の否定によって否定された述部以外ではあり得ない。すでに<Aはbであ…

ブラッドリー『論理学』86

§27.この問題につけ加えて、イェボン教授の精妙な議論についても述べておこうと思うが、残念ながら私にはその議論が理解できないと言わねばならない。彼は、「A=Bあるいはb」と言うのは不正確に違いない、と論じる。*というのも、「Bあるいはb」の…

ブラッドリー『論理学』85

§25.こうした幾分基礎的な間違いから眼を転じ、排中律によってもたらされる実際の知識について考えてみると、とても吹聴するほどのことがあるとは思われない。たとえ事物それ自体のような主語について主張をなすようなときでさえ、我々は常に誤りに対して…

ブラッドリー『論理学』84

§23.既に見たように、排中律は選言判断の特殊例である。このことは、いくつかの錯覚を吹き払う助けとなるだろう。 第一に、排中律は、それを使うことで、未知の深みから知識を魔術のように呼びだす、そうした呪文ではない。いかなる主語も二つの述語のう…

ブラッドリー『論理学』83

§21.この原理は実際に行なわれる選言に先行している。それはその関係がどんなものかはわからないが、関係の共通地盤があることをあらかじめ言っている。選言は、関係が相反する領域にあるという更に限定された場で生まれる。かくして、我々は一方において…

ブラッドリー『論理学』82

§19.排中律は選言の一種である。その性質は次のように調べねばならない。(i)選言は共通の性質を主張する。「bあるいは非b」においてAについて主張される共通の性質はbに対する一般的な関係である。(ii)選言は両立不可能な領域を主張する。bの…

ブラッドリー『論理学』81

§17.選言判断の性格を思い起こすと、そこには以下のように限定される事実があったことを思いだすことになろう。その性質は(i)ある領域のなかにあり、(ii)その領域には相反したものがあるので、実在はそのどちらかとして決定されねばならない。この…

ブラッドリー『論理学』80

§15.言いたいことはすべて言ったので、喜んで次に移ろう。というのも、我々は少しだけ形而上学に手をつけたに過ぎないのだが、それでも私には、できうる限り論理学の第一原理を明確に維持することができるか不安になっているからである。いまの例で言うと…

ブラッドリー『論理学』79

§13.「Aは非Aではない」、「Aはbかつ非bではない」、「Aは同時に存在し存在しないことはできない」といった様々な言い方でなされる公準には、原理の真の問題は含まれていない。というのも、もしAが非Aであるなら、それがAとは矛盾する性質をもっ…

ブラッドリー『論理学』78

§11.矛盾の原理が事実についての言明なら、それは相反は相反であり、排除し合うものは融和させようとするどんな試みにもかかわらず両立不可能なままだという以上のことは言っていない。また、それを一つの規則として呈示するなら、それが言うのは、「矛盾…

ブラッドリー『論理学』77

§9.推論の本性を論じるときに、我々は原理の意味をもっと十分見ることになろう。ここでの結論は、あらゆる判断は、それが真であるならば、出来事の流れによって変更されることのない究極的な実在のなんらかの性質を主張している、ということである。ここは…

ブラッドリー『論理学』76

§7.我々は「私は歯が痛い」といった判断が、そうした感覚に訴える形式では本当には真でないことを見た。それらは定言的真理であることに失敗し、ほとんど仮言的真理にも達していない。それを真にするためには、現在の事例を越えるようなつながり、歯痛の諸…

ブラッドリー『論理学』75

§5.それが真であれ批判にさらされるものであれ、少なくとも推論の<必須条件>である最も重要な原理がある。それを同一性の原理と名づけるのが最良で、というのもその本質は差異のなかの同一性を強調することだからである。この原理とはどういうものか。そ…

ブラッドリー『論理学』74

§3.同一性の公準は、同語反復の原理の意味にとると、明らかな誤りに過ぎない。問題は、こうした誤りのもとは論理学から完全に抹消してしまったほうがいいかどうかである。同一性の公準が差異の公準のように正当なものでないなら、それにどのような形を与え…

ブラッドリー『論理学』73

第五章 同一性、矛盾、排中律、二重否定の原理 §1.否定的、選言的判断を論じたあとで、我々は同一性、矛盾、排中律のいわゆる「原理」と呼ばれているものを一緒に扱うことにする。加えて、二重否定についてもいくつか考察してみよう。 同一性の原理はしば…

ブラッドリー『論理学』72

§13.こうした間違いについてはこれで終り、問題そのものの議論に戻るべきときである。選言判断の詳細な過程については推論について述べるときまで十分に扱うことはできない。しかし、ここで、基礎となることを部分的にではあるが準備しておこう。 第一に…

ブラッドリー『論理学』71

§11.イェボン教授への敬意にもかかわらず、私は選言が排他的でないような例を認めることができない。告白するが、「そして」と「あるいは」の区別が崩壊してしまうようでは、私は人間の言語に絶望することになろう。より以上の証拠を調べてみても、それは…

ブラッドリー『論理学』70

§9.手渡されたのは赤<ではなく>、白だった。白<あるいは>赤というものが与えられるわけではない。資格のための条件というのは(この例を考える限り)、まず「白」で、次に「白がなければ赤」「白なしの赤」である。<これらの>条件が両立可能であると…

ブラッドリー『論理学』69

§7.この過程は更に考えることになるが、その前にある間違いを正しておこう。二者選択は常に排他的であるのかどうか疑われる向きがあるかもしれない。「Aはbあるいはcである」はAが両方である可能性を認めていると言われるかもしれない。それはbcある…

ブラッドリー『論理学』68

§5.この共通の基盤をxと呼ぶなら、「Aはxである」は定言的に真である。我々はある場合にはxを区別し、それに名前をつけるが、別の場合には名前のないまま暗黙の意味にしておく。「男性、女性、子供」は「人間」を共通の基盤としている。「白あるいは黒…

ブラッドリー『論理学』67

§3.選言判断の定言的性質にはある種の難点があることは確かである。「Aはbまたはcである」、こうした言い方は実在の事実についての答えではあり得ない。実在の事実には「~であるかあるいは」などはあり得ない。両者であるか一方であるか、その二つの間…

ブラッドリー『論理学』66

第四章 選言的判断 §1.選言的判断は、ほとんどの論理学者によって、扱いにくい問題だともっともな不平をもたれている。しばしば仮言的判断の適用だととられ、その付属物の扱いを受けている。数多くの尊敬に値する考察が「もし」と「~かあるいは」の意味を…

ブラッドリー『論理学』65

§19.かくして、矛盾は「主観的な」過程であり、名もなく食い違った性質に依拠している。それは「客観的な」実在を主張することはできない。その基礎が限定されていないので、救いがたい曖昧さのなかにある。「AはBではない」というとき、なにを否定して…

ブラッドリー『論理学』64

§17.否定や矛盾は、矛盾の肯定と同じではない。しかし、最終的にはそこに落ちついてしまう。矛盾するものは、いかに否定が主張しても、決して明らかにはならない。「AはBではない」で、食い違いは特定されないままである。矛盾の基礎となっているのは、…

ブラッドリー『論理学』63

§15.要約すると、論理的否定は常に矛盾するが、矛盾の存在を肯定しているわけでは決してない。「AはBではない」は、「AはBである」の否定、あるいは、「AはBである」は間違いであることを肯定しているかどちらかである。この帰結以上に進むことはで…