ブラッドリー

ブラッドリー『論理学』 20

§9.しかし、判断は、前の章で見たように、観念に限られるものでもなく、決してその総合に存するわけでもない。二つの観念が必要だというのはまったくの錯覚であり、二つ揃うまで判断を待つようでは我々は判断などまったくできなくなるだろう。繋辞が必要だ…

ブラッドリー『論理学』 19

§7.しかしながら、この結論は容易に持ちこたえることができない。というのも、もし真理がそのようなものであったら、あらゆる真理は偽と大して変わらないものとなってしまうだろう。我々は定言的判断をそう簡単にあきらめることはできない、というのは、も…

ブラッドリー『論理学』 18

§5.こうしたことが現実を構成するいくつかの点である。真理はその一つをももっていない。それは観念の世界に存在する。観念は、我々が見てきたように、単なるシンボルである。一般的であり形容詞的で、実体でも個的でもない。その本質は意味のなかにあり、…

ブラッドリー『論理学』 17

§3.しかし、ヘルバルトは、後で見るように、そう簡単に片付けられはしない。彼は、判断が事物に関するものだという常識的な教義を無批判に受け入れ、事物とは言葉ではないという発見に驚き、繋辞の本性についての言語学的啓示と思われていたものにひれ伏し…

ブラッドリー『論理学』 16

第二章 判断の定言的仮言的形式 §1.前の章では、我々は判断の主要な特徴を簡単に記そうとした。この章は我々の結論を支え深めることとなろう。ここで扱われる問題は、部分的には、ヘルバルトによって提起されたよく知られた議論に出くわしたことのある者に…

ブラッドリー『論理学』 15

[それは精神において扱われる最初の普遍に由来する。24-26] §24.英国では、「経験の哲学」の真理の伝統に忠実なあまり偏見が積み重ねられ、ほとんど事実に対する訴えかけが無効になっているのではないかと私は恐れる。しかし、私はいかに無益なこ…

ブラッドリー『論理学』 14

[もし連合説が正しいなら、判断は決してあらわれることができない。23] §23.我々が述べてきたことは、心理学的な移行を順を追って述べることではなく、諸段階と諸機能の違いを明らかにすることだった。最後に、我々は致命的ともなる誤りを未然に防ぐ…

ブラッドリー『論理学』 13

[判断の始まりに必要とされる条件。21-22] §21.観念が知識の対象となり、真と偽が判断に入り込んでいく過程を段階をおって詳細に述べることは困難であろう。この困難さの他に、常に生じる事実に関わる問題がある。ある発達の段階があるとき、判断…

ブラッドリー『論理学』 12

[なぜなら、最初は精神は観念を持たない。19-20] §19.私は魂のより低次の形式、あるいはなんらかの形式が単純な感覚の把持だけに制限されていると言おうとしているのではない。魂が与えられたものになにもつけ加えず観念化もしない受動的な容器だ…

ブラッドリー『論理学』 11

[判断の発達。それは遅くなってからの産物である。18] III.§18.我々は判断について予備的な考察をし、いくつかの誤った考え方を取り除こうと努めた。ここでは三番目の仕事として、この機能の発達について述べなければならない。既に明らかにした…

ブラッドリー『論理学』 10

[これまでも間違いに含まれていた真実。17] §17.我々はこうして前述の教義の間違いを見てきた。それらがもつ主要な真実を考えるのはより喜ばしい仕事である。(i)§13で我々が批判し始めた見解は、主語、述語、賓辞の誤りを避けている。その見解は…

ブラッドリー『論理学』 9

[単なる接合でも観念の等式でもない。16] §16.(ii)ここで最初の誤りを終え、次の誤りのグループを考えることとしよう。それらは共通の欠点、判断においては一組の観念があるという誤った考えに苦しんでいる。我々はこの錯覚を§11で扱い、以下の…

ブラッドリー『論理学』 8

[実践的推論でもない。15] §15.長らく生気を失っていたが、頑強に場所を塞いでいた教義を反駁することから代わって、最新の誤り、判断と実践的な信念との混同について考えることにする。私はいかなる心的な活動がどれだけベイン教授の理論と整合性を…

ブラッドリー『論理学』 7

[間違った考え方の批判。判断は「連合」ではない。13-14] II.§13.判断についての誤った理論は自然に二つの種類に分けられ、一つは主語、述語、繋辞に対する迷信によって理論が損われるもので、他方は別の欠点による。二番目のものを最初に取り上…

ブラッドリー『論理学』 6

[誤りの反駁。11-12] §11.こうした判断の記述において、我々が同時に気がつく二つの点がある。読者は、我々が<一つの>観念、あるいは観念内容をもつ判断について語り、主語と繋辞についてはなんの言及もしていないことを認めるだろう。一方、も…

ブラッドリー『論理学』 5

[判断の定義。10] §10.我々は論理的観念ということでなにを理解するべきか知ったので、以下の論述を先取りして、判断がそれをもってなにをするかについて簡単に独断的に述べてみよう。我々は、できる限り、心理学的形而上学的難点を避けなければなら…

ブラッドリー『論理学』 4

[判断において観念は意味である。9] §9.こうした事実の逆説的な影であり幽霊であるのが、我々が観念なしに判断なしというときの観念である。先に進む前に、叙述において我々は心的な事実は<用いず>、意味だけを使うことを簡単に示してみよう。しかし…

ブラッドリー『論理学』 3

[「観念」の二つの意味。6-8] §7.観念のこうした二つの用法、シンボルとシンボル化されたもの、イメージとその意味は、もちろん、我々のすべてに知られたものである。しかし、私がこの明らかな区別にこだわる理由は、我々の思考の多くの部分において…

ブラッドリー『論理学』 2

[記号とはなにか。4-6] 4.論理学的目的に関しては、観念はシンボルであり、シンボル以外のなにものでもない。(4)これ以上進む前に、新味のない恐れはあるが、シンボルがなにかについて述べてみなければならない。 *1 あらゆるものにおいて、我々は…

ブラッドリー『論理学』 1

第一巻 判断 第一章 判断の一般的性質 [判断とはなにか。観念を含み、観念は記号である。1-3] 1.論理学を研究し始める前に、どこから始めるべきか知ることは不可能である。研究しおえた後にも、不確実性は残る。一般的な順序などないのであるから、判…

ブラッドリー『仮象と実在』 244

[あらゆるあらわれには実在が存在するが、異なった程度でだ、というのが哲学の最後の言葉である。] 最終的に、実在は計り知れないものであることを見いだすにはほとんど手間がかかることはない。実在ではないどんなあらわれもある意味で誤りがあることを見…

ブラッドリー『仮象と実在』 243

[間違いと錯覚。] すべてが間違いであるがすべてが幻影ではない。我々の観念が実在と同一ではない限り、それは誤りである。その相違が我々の本性において衝突を起こす限りにおいて、それは幻影である。内的なものであれ外的なものであれ、経験が我々の見解…

ブラッドリー『仮象と実在』 242

[我々の結論は極端を調停し、全体的な自然だけをとる。] 我々が到達した結論は、単なる妥協ではなく、極端なものを調停することだと私は信じる。それがリアリズムと呼ばれるのか観念論と呼ばれるのか私にはわからないが、探求に際して気にしたことはない。…

ブラッドリー『仮象と実在』 241

[真理と実在の関係。] 私が述べようとしている教義は至って簡単なものである。真理は経験の一側面であり、それゆえそれが含むことができないものによって不完全になり制限される。それが絶対的なものである限り、しかしながら、それが真にも実在にもなり得…

ブラッドリー『仮象と実在』 240

[最終的には、絶対的な真理でさえ真ではなく、特異性は残る。] 上述した区別を再検証するときがきた。我々はある知識は絶対であり、それとは対称的に、すべての有限な真理は条件的でしかないことを見いだした。しかし、このことをより密接に検証すると、こ…

ブラッドリー『仮象と実在』 239

[有限な知識は力において様々であり、変更しうる。] 有限な真理は、すべて未知のものに依存しなければならないので、条件的である。しかし、この未知のものは――読者はここで心得ておかねばならないが――単なる相関的なものである。それ自体絶対的な知識に従…

ブラッドリー『仮象と実在』 238

[有限な知識はすべて条件づけられている。] すでに述べてように、ある真理が観察に基づいているところではどこでも、明らかにどれだけのものが見逃されているか、観察されていないものが事物の大部分になるのかどうか見極めることはできない。しかし、もし…

ブラッドリー『仮象と実在』 237

[知識は条件づけられているか絶対かで、そうしたものは不可能である。] しかし、我々はこれによって、絶対的な知識と仮定的な知識との境界線を渡ることになった。実在はそれ自体にあらゆる経験を含むひとつの体系であり、この体系そのものが経験である――そ…

ブラッドリー『仮象と実在』 236

[絶対を幸福であるといえるだろうか。] 我々は実在がひとつであり、単一の経験であることを見てきた。我々はこのことから困難な問題を考慮することに移ることができる。絶対は幸福であろうか。これは快楽が絶対の述語となりうるかを意味しているだろう。そ…

ブラッドリー『仮象と実在』 235

[絶対はまた(正確には)人格的なものではない。] 絶対は知られてはいるが、ある意味で、我々の経験や知識よりも高次のものである。このことの関連において、私はそれが人格をもっているかどうか問うてみよう。そうした疑問に達したとしても、我々はそれを…