トマス・ド・クインシー

トマス・ド・クインシー『自叙伝』

しかしながら、じっとしているのが不可能だった兄は、残りの生涯をかけて悲劇の開拓に一心不乱に取り組むつもりだと宣言した。即座に仕事に取りかかった。すぐさま「スルタン・セリム」の第一幕ができあがった。しかし、すぐに表題が、韻律を無視して、より…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』25

しかしながら、この仮説は、他の無数にある説と同様、子供部屋の聴衆の持続的な共感を得られないとなると、続けられなかった。ある時には、彼は関心を哲学に向けたこともあるし、物理学のある分野の講義を毎晩我々に読み上げたこともある。このことは、我々…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』24

私の一番上の兄は、あらゆる点において非凡な少年だった。堂々としており、野心があり、計り知れないほど活動的だった。ロビンソン・クルーソーのように旺盛な生命力があった。そして、想像の及ぶ限り数多くの喧嘩をした。相手がいないときには、朝、西に向…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』23

こうした新鮮な訓練を受け、五、六年が過ぎて彼の歳が私のほぼ倍になると、兄はごく自然に私を軽蔑した。そして、過度の率直さから、それを隠そうと骨折ろうとはしなかった。なぜそうする必要があったろう。誰が彼の軽蔑によって悩ましく感じる権利を持ち得…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』22

それは常になく重々しい夏の午後だった。召使いと我々四人の子供は、家の前の芝生に集まって数時間のあいだ車の音を聞いていた。日没がきた————九時、十時、十一時、更に一時間が過ぎても————しるしとなる音はなかった。グリーンヘイには一軒しか家がなく、…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』21

第二章で、私はこの上なく優しい姉妹たちの間で育ったことに深甚の感謝をあらわしておいたが、「恐ろしく戦闘的な兄弟たち」には触れなかった。とにかく、私にはそうした兄弟がひとりいた。私よりも年上で、クラスで最も激しい性格をもっていた。彼について…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』20

第三章 戦いの世界の始まり かくして、私の生涯の一章は終了した。既に、六歳が終わるまでには、この第一章は一巡し、その音楽の最後の音が演奏されたのである————熟した果実が木から落ちるように、私の生を織りなしているものから永遠に引き離されたように…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』19

神は子供たちに夢のなかで、また闇に潜む神託によって話しかける。だが、とりわけ孤独において真理は瞑想的な心に語りかけられ、その礼拝において神は子供たちに「乱されることのない霊的交わり」を与える。孤独とは光のように静謐なものであり、光のように…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』18

この時、飽くことを知らない悲しみの衝動のもとで、得ることのできないものを捕まえること、僅かの材料からイメージを形づくり、それを熱望の順に分類する能力が私のなかで病的なほどに発達した。現在でも私はその一例を思い出すが、それは単なる陰や光のき…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』17

悲しみ、汝は憂鬱を呼び起こす情念である。塵よりもつまらないものだが、雲よりも高い。マラリアのように震えるが、氷のようにしっかりしている。心を病にするが、その虚弱を癒しもする。私のなかで最も弱いのは、恥に対する病的なまでの感受性だった。十年…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』16

最後に、英国教会が墓の所で執り行う荘厳な儀式になった。教会は死者が空中に留まっているまま放っておきはせず、彼らが墓の側に来て「心地よく厳粛な別れ」(1)を告げるまで待つのである。もう一度、最後に棺が開けられた。すべての眼が名前、性別、年齢…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』15

私が書いたことの次の日、医者の一団が脳と病気の特殊な性質を調査するために来た。というのも、症状の幾つかの点で困惑させられるほどの異常があったからである。余所者たちが引き上げて一時間後、私は再び部屋に忍んでいった。しかし、扉はいまは閉ざされ…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』14

ああ、アハシュエロスよ、永遠のユダヤ人(1)。寓話であるのか、そうでないのか、汝こそは終わりのない悲痛に満ちた巡礼に最初に出発したとき、エルサレムの門を飛び立ち、無益にも追いかけてくる呪いから逃げ去ろうとした汝でさえ、姉の部屋から永遠に離…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』13

私の耳がこの巨大な風神の音調を聞き、私の眼が金色の生の充溢、天の壮麗さや花の光輝に満たされたとき、そして姉の顔に広がる冷たさに向き直ったとき、私は忘我の状態に陥った。蒼穹が遙かな青空の天頂で開き、一条の光線が走っているようだった。私の精神…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』12

私の死についての感情やイメージが、パレスチナやエルサレムと関連して、いかに夏と込み入った連想を伴っているかを示すために脇道にそれたが、姉の寝室へ戻ろう。目の醒めるような日の光から私は死体の方へ向いた。そこにはかわいらしい子供の姿が、天使の…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』11

ここでしばらく私の精神に多大な影響を残した出来事の想起を中断して、『阿片吸引者』で言及したこと、つまり、他の条件はみな同じであるのに、なぜ死は、少なくとも風景や季節になにがしかの影響を受けるとすれば、一年の他の季節よりも夏にいっそう深く哀…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』10

私の先達であり仲間を連れ去った病気について詳細に述べる必要はない。(私の記憶によれば)その時彼女は九歳に近く、私は六歳に近かった。多分年齢や判断力から来る権威が自然に彼女を上位者としていたのだが、それに彼女自身は認めようとしない優しい謙虚…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』9

かくして、その時子供の心についた最初の傷は容易に癒えた。二度目はそうはいかなかった。親愛なる、気高いエリザベス、彼女の豊かな表情、魅力的な顔が闇の中から浮かび出るたびに私はあなたの早熟な知性のきらめきの証拠として光の冠や輝く光背(1)を思う…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』8

しかしながら、私はこのことを急速に知るに至った。私の二人の姉、その時生きていた三人のうちの年上の二人で私よりも年かさである姉たちが年若い死に見まわれたのである。最初に死んだのはジェーンで、私より二歳年上だった。彼女は三歳半、私は一歳半で、…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』7

我々、この家の子供たちは、実際、非常に幸福な、よい影響を全面に受けることのできる社会的立場にあった。エイガーの祈り「我に貧困も富裕も与え賜うな」は我々に実現していた。我々のこの幸福は高すぎるものでも低すぎるものでもなかった。よい作法、自負…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』6

情熱的な記録に割り込む個人的な虚栄心はどんなものでも致命的な結果をもたらす。それは精神の一心不乱さや、ただ根深い情念だけがそこに発し快適な住みかを見出すことのできる自己忘却とは相容れないものなのである。それゆえ、そうした傾向が影をさすだけ…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』5

第二章 幼児期の苦悩 生まれて六年目の年が終わろうとするころ、突然私の生の第一章は暴力的な終わりを迎えた。この章は回復された楽園の扉のなかにおいてさえ思い起こす価値がある。「人生が終わった」というのが私の心にあった密かな疑念だった。というのも…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』4

私の父の蔵書には英語で書かれたもの以外の本がないだけでなく、ひげ文字文学に関するものもまったくなかった。実際、それを楽しむために勉強や労力を必要とするような種類のものはまったくなかったのである。この点について言えば、学者や研究者にとっては…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』3

私の父の蔵書について記すにあたって、一言だけ付け加えたい。というのも彼のことを記すことは彼の階級を記すことだからである。蔵書は広範囲に渡るもので、英国とスコットランドの文学が過去から現在にかけて揃えられていた。一冊の本を歴史、伝記、航海記…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』2

とにかく、私の後の生活で主要なものとなった感情をみるなら、私は両親と彼らの性格の幾つかの点から大きな長所を受け継いでいる。二人とも異なった意味で高邁な道徳家だった。私の母はこの階級の人に比較して、高い育ちと上品な作法において独特の長所をも…

トマス・ド・クインシー『自叙伝』1

第一章 生まれと父の家 私の父は質素で気取りのない人間で、英国では大金と考えられている(或いは考えられていた)お金、つまり六千ポンドで生活を始めた。私はかつてリヴァプールの若い銀行家が、全く同じ六千ポンドを英国の標準的な生活にとって危険に満ち…

トマス・ド・クインシー『スタイル』41

こうした追求は近いところでは、はかなさはあったが、デモステネスによってなされたが、偏見のない性質のものである。そして、彼はそれをその死において、生涯において、ミルトンの言葉を用いれば「不快な真理」を幾度となく発言することで示し、その高貴な…

トマス・ド・クインシー『スタイル』40

紀元前四四四年から三三三年までの奔流のようなアテネ文学の流れは真っ逆さまに、劇詩あるいは演壇における雄弁の方向に向かったのだろうか。アテネ市民にとって、民衆の賞賛や共感を得ようとするならどちらかの道しかなかった。芸術家や軍隊の指揮官になる…

トマス・ド・クインシー『スタイル』39

貧しいギリシャ人は夜なにか思いついたときに最良の覚え書き帳として白い漆喰塗りの壁を好都合なものとして使用した。真鍮あるいは大理石だけが考えを永続的に保存できるものだった。アテネの劇場で役者の台詞はなにに書かれたのか、テキストの入念な校訂は…

トマス・ド・クインシー『スタイル』38

それはなにか。<劇場>と<アゴラ>あるいは<公共広場>である。舞台での公表と演壇での公表である。それらはアテネに起こった並はずれた公表様式だった。一方は、まさしくペリクレスの世代にミネルヴァのように突然に生まれた。他方は、ペリクレスより百…