トマス・ド・クインシー『自叙伝』12

 私の死についての感情やイメージが、パレスチナエルサレムと関連して、いかに夏と込み入った連想を伴っているかを示すために脇道にそれたが、姉の寝室へ戻ろう。目の醒めるような日の光から私は死体の方へ向いた。そこにはかわいらしい子供の姿が、天使の顔があった。人がこんな時信じるように、家のなかでは彼女の顔にはなんの変化もないと言われていた。本当にそうか。額、落ち着いた高貴な額は同じだったかもしれない。しかし、その下から暗闇を盗んだかに思われる凍り付いた瞼、苦悶を終わらせてくれるよう嘆願を繰り返しているかのように掌が合わせられ、硬くなってしまった手、これらを生あるものと見間違えることがあり得ようか。もしそうなら、なぜ私は飛んでいってその神々しい唇にキスをしなかったのだろうか。つまり彼女は生きているようには見えなかったのである。私はしばらくの間立ちつくしていた。恐怖ではなく、畏怖の念が私を襲った。立っている私に重々しい風が吹き初め、それはかって聞いたことがないほどの悲しみに満ちたものだった。何千世紀もの間死すべき運命をもつ者たちの場所を吹き渡っていた風だった。夏の日、太陽の光が最も暑くなる時刻、私は同じ虚ろで重々しくメムノーン風の(1)、しかし気高く甘美な風が起こり吹くのに幾度となく気づいた。それはこの世界で、耳で聞くことのできる偉大な永遠の象徴の一つである。私はこれまでに三度同じ状況で同じ音を聞く機会があった。つまり、夏の日、開いた窓と死体の間に立って聞いたのである。

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*1:1.Memnonian その心は、幼児期の悲しみの記録に真面目につきあおうとしているが、その生活において勉強のために沢山の時間を割くことのできない多くの読者のためにしばらく説明しよう。大英博物館にあるメムノーンの頭部はあらゆる時空間に広がりをもつ微笑、慈悲深い愛と牧羊神の神秘の微笑の崇高なもので、人の手によって作られたもののうちで最も普及力があり、哀愁に満ちた神であるが、それは夜明けを迎えた、あるいはその後の、太陽の光線が胸の空洞のうちにある空気を、荘重で挽歌のような重苦しい発音を希薄化するに十分なほどの熱を伝える頃の古代の伝統の威光をあらわしている。簡単な説明の概観はこうである、朗々とした空気の流れは、冷たく重い空気が別の空気に触れ暖められ希薄化することによって、より重い空気の圧力を受けることで生まれる。空気の流れはこうして確立され、管を並べることによって音の配列ができあがる。紅海の近くに砂丘の連なりがあり、互いの溝が連絡し合うという自然の働きによって、太陽の位置などによって状況が変わるごとに音を発するところがある。私は毎日経験するような現象を着実に観察し、考察している少年を知っていた。彼は流れる水の通る管が流れの多い少ないによって異なる音色を出すのを見て、未熟なものではあるが水圧で音階を出せる装置を発明した。実際、この単純な現象に聴診器の力は基づいている。鉛の管をちょろちょろと流れる水は、いっぱいの水によるいっぱいの音に比較されるような耳障りで悲しげな音を立てる。同等の原理によって、人間の血管を流れる血は、聴診器を手にした熟練した聞き手にとっては、病気による惨害や見事な健康を記録する洗練された音階、音域であることは何人であろうと疑えないはずであり、同じ様に、古代のメムノーン像の内部にある空洞は光と生命の世界を楽しむ日の出という力強い出来事、あるいは終わりゆく日の悲しみのもとに、出発にふさわしい甘美なレクイエムを記録していると十分に信じることができる。