トマス・ド・クインシー『自叙伝』21

 第二章で、私はこの上なく優しい姉妹たちの間で育ったことに深甚の感謝をあらわしておいたが、「恐ろしく戦闘的な兄弟たち」には触れなかった。とにかく、私にはそうした兄弟がひとりいた。私よりも年上で、クラスで最も激しい性格をもっていた。彼については、すぐに読者に紹介しよう。しかし、この時点では、彼は私にとってもひとりの異邦人に過ぎなかった。奇妙に聞こえるだろうが、この時期、たまたま公道で行き合ったとしても、兄も父も親族として私の注意を引くことはなかったし、私が彼らの注意を引くこともなかった。


 父の場合、こうした事情は、私がこれまで生きてきた時間からすれば、非常に長い間海外で生活していたことからくる。まず彼は、数ヶ月の間ポルトガルリスボン、シントラに住み、次にマデイラ、それから西インド、時にジャマイカ、セント・キットと、肺病にいいと思われていた暖かい気候を求めていた。実際には、彼はしばしば英国に帰り、デヴォンシアの南の湯治場などで母と会っていた。しかし、幼かった私は、そうした遠出には連れて行かれなかった。そして、この時期、ついに、どうにもならないことがわかり、三十九歳にして、家族のなかで死ぬために父は戻ってきたのだった。母は、西インドの定期船が着く港で(どんな港かはともかく)彼の到着を待ちかまえていた。この時期に結びつく最も深い思い出は父がグリーンヘイに到着した夜のことである。