ケネス・バーク『宗教の修辞学』 17

Ⅵ.途中部分(b)

 

(個人的愛着。美的な時期において、密接な関係をもっていた男友達の死。アリピウス、彼の「好奇心」、上流喜劇の材料。議論を交わすグループ。恋人(匿名)。アデオダトゥス、アウグスティヌス庶子。母親モニカ、その敬虔さ、その影響をアウグスティヌスは神に適用する、前兆に対する関心、その祈りの性質。モニカの単純な宗教的信念とアウグスティヌスの複雑な神学的教説との可能なる関係。アウグスティヌスの文体の効果に対する反応と『若い芸術家の肖像』でのスティーブンの反応との対照。神学に適用された部分と全体との弁証法。「休息」「探求」と「転回」の文脈における関係。一神論対多神教的寛容。肉体(形而上学的に、またアウグスティヌスの恋人に関連して)。「不可解な」、テキストにおいて可能な名。回心の以前、彼はすでに物質としての神という観念及びマニ教の悪の説を棄てていたが、プラトン主義者のロゴスの説にはスケープゴート原理をつけ加えている・・・余談として、アウグスティヌスの回心の性質についての著者の見方の転換を説明する。)

 

 個人的愛着に関して。この問題については、第二巻に描かれた道を外れた盗みを挙げるべきだろう。というのも、仲間意識が重要な動機づけであったことを彼が明らかにしているからである。回心について分析したあとこの章に立ち返ったときに、この問題についてより深く考えることになろう。第四巻で、アウグスティヌスが二十代のとき、激しい悲しみをもたらした男友達の死を強く心に訴える調子で書いている。不釣り合いであるが、究極的な宗教的目標についての観念を適用し、彼は、喪失を嘆き悲しむことから慰めを得、苦さのうちに休息した(requiescebam in amaritudine)と言っている。この友人は病で意識を失っているときに洗礼を受けた。彼が意識を回復したときに、アウグスティヌスは一緒に洗礼について嘲笑う(inridere)ことを予想していたのだが、友人はなんら笑うべき問題を見いださなかった――数日後、アウグスティヌスが席を外した後に返ってくると、友人は再び意識を失い死んだ。我々は二つの身体をもつ一つの魂であった、と彼は言っている。友人の死後、彼は半分しか生きていないように感じた。おそらくこれはホラティウスのオードの一つにある表現(animae dimidium meae)を借りたものであろうが、アウグスティヌスがここで単に「文学的」表現をしたのだと考える理由はない。というのも、アウグスティヌスはしばしば自分の内的な分裂について言及しているからである。事実、彼の意志の重要性についての強調は、まさしく意志の内部における葛藤、回心という危機的瞬間に近づくにつれ高まってくる緊張をともない、それと釣り合っているからである。

 

 だがある意味において、アウグスティヌスが回心に潜む動機を扱う際に、聖書からではなく世俗的な異教の詩からの引用を組み込んだことにはもっともな「文学的」理由がある。というのも、「愛の膠によって」密接に結びついていた友人の死によって大いに混乱していた時期が、彼が自分の問題を「美的に」解決しようとしていた時期と一致するからである。ほぼこの時期に、彼は美と適合(de pulchro et apto)について幾つかの本を書いており(「二冊か三冊だったと思う」と、一際優れた記憶力をもつ人間がこのことでは記憶の欠落をあらわにしている)、pulchrum美を全体性と同一視し、aptum適合によって部分と全体との関係、「靴と足の寸法が合うとき」のような適応を意味していた。しかしながら、この計画が最終的に被造物と創造者である神との関係に結実する弁証法を予示したものであるとしても、ここではすべての例を「物質的な」ものから選んだと彼自身明らかにしている。

 

 確かに、第六巻は「アリピウスについて」と題されるべきであろう。もしアウグスティヌスの生涯が劇化されるなら、ローマで会って以来「くっついて離れない」(adhaesit)このしかつめらしく、忠実で、大まじめな人物は最も高度な喜劇の材料となり、「嘲笑」ではなく共感に満ちた笑いの対象となるだろう。典型的なのは、アウグスティヌスが改宗したとき、ほんの数分後には、荘重かつ忠実な様子で「私も」とアリピウスが続いたことである。もしアウグスティヌスが悪魔に魂を売ることに決めたのなら、間違いなくアリピウスも一瞬で同じことをしただろう。ある時期には、アウグスティヌスが女性の肉体に夢中なのに影響されて、女性には何の関心もないのに、婚姻関係を結んでみるべきだと考えたことさえあった。(象徴的なことであるが、アウグスティヌスはアリピウスの考えを「好奇心」によるものだとしている。)剣闘士の試合に強い嫌悪感を抱いていた(aversaretur et detestaretur talia)彼をいたずら好きの友人たちが無理矢理に闘技場に引きずっていったときに、強い決心にもかかわらず、殺し合いを見ている観客たちの叫び声には眼を閉じていられなかった彼である。彼は「好奇心に征服」(curiositate victus)された。彼は眼をそらさず(non se avertit)、気分が悪くなったにもかかわらず惨劇を見つめていた。そして、それ以後長い間、彼はこの身の毛もよだつような娯楽に抗することができなかったのである。(ちなみに、ここで喜劇はひきしまるだろう、ただしアリピウスの誓いを強調し、共演者の誓いを抑えることができればであるが。)しかし、ある場合、アウグスティヌスが修辞学における論点を例示するものとして剣闘士の試合を例としてあげるようなことがあれば、アリピウスは(「靴が合う」ときのように)自分の弱さにあった振る舞いをしているのであり、弱さゆえにアリピウスが固執に至ったのを、アウグスティヌスが神の仕業とするなら誤解ということになろう。

 

 この特別に立派な市民が、泥棒と誤解され怒った群衆に追いかけられる出来事は、シェイクスピアが『ジュリアス・シーザー』のなかで、詩人キンナを扱ったときのことを思わせる(群衆は陰謀者キンナと間違って追いかけるのである)。深刻な結果になる前に誤解が解けるので楽しい場面となるだろう。

 

 アウグスティヌスと同じように、アリピウスもマニ教の「見せかけの節制」に強い印象を受けていた。(第六巻第七章。Continentia節制というのはアウグスティヌスの考え方においては非常に重要な語である。文法的には女性名詞であり、重大な瞬間には人格化される。)また、政治的活動に携わったときには、腐敗が日常的であったが、賄賂の受取りをきっぱりと拒否した(inrisit animo)。アウグスティヌスが明言しているところによると(第六巻十二章)、彼が結婚しても智慧を追い求め、神の報いを得るに足り、友人たちともよい関係を維持している者たちの例をあげるにもかかわらず、アリピウスは結婚すると二人一緒に住めなくなるという理由で、アウグスティヌスの結婚を阻んだ。

 

 近しい関係のなかでも、アリピウスを含む十人程度の仲間がおり、哲学的神学的問題を論じあった(そしてその多く、或はすべてが後にキリスト教徒となった)。そこには不作法にも『告白』のなかではその名前さえ挙げられておらず、「つまらぬもの」或は「慰みもの」(nugae)とのみ記されている恋人たちも入っており、その一人は彼の私生児であるアデオダトゥスの母親である。

 

 幼くして死んだこの少年は、母親がアウグスティヌスの結婚を計画していたときに、恋人たちが永久に追い払われたと述べられる部分との関わりで匿名で言及されている――結婚式が挙げられるには二年の猶予があったので、その後すぐ、アウグスティヌスは別の恋人をもたずにはいられなかったのだが。最初の恋人が追い払われたとき、と彼は言っている、彼女は私生児を残していったが、それは肉欲から、罪のうちに産みだされたものであった(ex me natum carnaliter de peccato meo)。第九巻において、この息子はその洗礼と、優れた才能と、『教師論』に記録されたアウグスティヌスとの対話、そしてその死との関わりにおいて始めて名前で呼ばれる(アウグスティヌスは安心感とともに思いかえしているが、それはアウグスティヌスキリスト教の天上世界を信じる前、異教徒の友人の死に感じた不安とは対照的である)。

 

 前半の章を通して重要な人物は彼の母であるモニカであり、常に最も厳正な霊的な意味において彼の救いを祈りながら、根気強く全く世俗的な意味における結婚を息子のために計画していた。その中間のどこかに彼女の計画はあって、彼女のすべての関心は息子が神の救いに与れないことのないようにすることにあって、幼いときには、彼が死にそうだと思っていたとしても洗礼することに同意しなかっただろう。というのも、そのときの息子思いの見積もりによれば、もし彼が生き残るのであれば、洗礼という清めの儀式の「後に」数多くの違反の機会がないと確信できるようにしておきたかったのである。

 

 彼女のアウグスティヌスに対する影響力に関しては、まず始めに、彼女の小心なまでの敬虔さがあり、霊的な指導者に言われたら自分の習慣さえすぐに変えてしまうほどのものだった。このことは、アウグスティヌスが行なってきた広範囲にわたる気質上また教義上の実験と同じように、キリスト教組織と教義には、後にアウグスティヌス自身が回心と司教への叙階に引き続き才気縦横に取り組んだ論争によって破門と宣告されるような多くの可能性があり、いまだに解決に当っていたのだという事実に関係している。教皇でさえ、不可謬説がいまだ法制化される遙か前だったので、教義と反対の発言を公にしてしまう可能性のある時期であった。(例えば、ジョン・ヘンリー・ブラントの『セクト、異端、教会各派、宗教思想の辞典』のペラギウス派の項では、ゾシムスが圧力のもと、いかにこともなげにペラギウスの自由意志の説を変えたかを示している。)

 

 彼女のアウグスティヌスに対する影響という観点から見ると(勿論、教会を母として、神を絶対のあふれ出る乳房とするイメージを彼に直接に示すことのできた特殊な母親であったことは言うまでもないが)、もう一つの顕著な特徴は、彼女の前兆に関する強い関心であった。神的な意図の啓示を強調することが(夢、幻視、自然現象において)容易に予定説へと通じることは見易い道理である。彼が幼いころ、彼女は息子が定規に立っている夢を見た。(ちなみに、この夢において、彼が彼女に笑いかけるarridentemのを見ており、それは、我々の知るところによれば、以前に幼児期との関わりにおいて論じた、笑いが好ましい意味として言及された箇所を除けば、『告白』にただ二箇所あるうちの一つなのである。)彼女はこの夢を、息子が最終的にはキリスト教徒となり、彼女が唯一まともだと思っている生活様式を守ることになることを告げるよいしるしと解釈した。そのイメージのなかに身を置くことを促す形象として判断し、占星術による預言の可能性を熱心に探っている息子に語り聞かせれば、彼女がそのしるしを正確に読みとっているという確信は、説得力のあるものとして示唆されることもあり得るだろう。

 

 後に、アウグスティヌス占星術が無意味だと決断を下したとき、最後まで残った選択とは、純粋な偶然の説と、母親がある種のキリスト教的夢占いとして心に抱いていたような予定説であった。そして、事後において預言をするのであれば、もしアウグスティヌスの唯一の選択が偶然か秩序かにあるなら、気分においていかなる混乱に見舞われようと、気質的に秩序を選択せざるを得ないことは確信をもって言えるのである。定めという観念は予定説によって究極的な完成に達するだろう。また、理論的レベルにおいても、数多くの聖書の文章が単なる気まぐれから理論的な裏づけをもったものとして辿れるようになった。単純な唯物論決定論は、あらゆる事物が物質的なものに還元され、「精神」は拡散した「身体」に過ぎないと考えていたストア派の説を排除する過程で排されるだろう。ルクレチウスの唯物論について言えば、『自然の本性について』の世界は厳密な決定論の世界ではなく、原子がその「自然な」落下の軌道を僅かに「逸れ」、「曲がる」ことに「自由意志」がある。

 

 彼の母親は、また(少なくとも彼女自身と息子にとっては満足すべきことであるが)、船員でさえ恐怖を覚えるような航海のときに、夢によれば安全に陸にたどり着くことができると静かに告げ、実際そうなることで予知の正確さを証明したのだった。

 

 アウグスティヌスによって報告されている彼女の祈りの性質もまた、彼に対する影響という観点から見て注目される。彼女は「金や銀、移ろいやすい変化するもの」を求めず、ただ自分の魂の救いを求めた(salutem animae filii sui)。神は意志的に自分の約束によって義務を負うている(etiam promissoribus debitor fieri)という考えをもってはいたが、祈りが物質的な利益を求める方向へは向わなかった。また、危険な病気に生き残ったときにも洗礼を要求されなかったという事実は、神が、彼の母の大いなる敬虔さと常に変わらぬ懇願に答える余地を残しておいてくれたに違いないと説明される。(このことは、先に言及した、母親自身がアウグスティヌスが懇願したにもかかわらず、洗礼を伸ばしたということと興味深い照応を見せている。)

 

 彼女が祈っているときには神が現前し、成されるべきことを告げ知らす神の命令(この言葉に注意)を聞き行なっていた(aderans et exaudiebas et faciebas ordine,quo praedestinaveras esse faciendum)。命令という観念については次のエッセイ、「創世記の最初の三章」で研究するということを覚えておこう。こうした「予知」は絶対的な命令の原理であり(始まる前から既に成され、「完璧」である)、同時に水に落とした水中花のように時間的な順序によって展開するものと考えられる。最終的にアウグスティヌスが理解したところによれば、神がモニカに、その自由意志によってアウグスティヌスのために熱心に祈るという恩寵を与えていたので、その祈りに答える形で神は今度はアウグスティヌスに祈り自由意志を守る恩寵を与えることが、神によってあらかじめ定まっていたのだと言える。(恩寵と自由意志と予定との円環的な結びつきは『創世記』についての次のエッセイで「ロゴロジー的に」考慮されるだろう。)

 

 いずれにしろ、最初はまじめに受取っていた占星術を「嘲笑う」ようになったアウグスティヌスは、自分の成長はあらゆる成長と同じく神によって導かれているという確信において母親と同じ考え方を取ることとなり、その姿勢は回心のもと振り返った彼によって経済的-神学的に次のように述べられている(第四巻第十章)。あらゆるものは「負債をもった」始まりから「負債をもった」終わりへ向けて進む(ab initio debito usque ad finem debitum)――神が創造された際の言葉のうちにここからここまでというのを聞くのである(hinc et huc usque)。振り返って彼は、地方では有名であったファウストゥスが提示するマニ教説の不適切さは、説得力のある説明を希望していたアウグスティヌスを失望させ、彼の回心の助けとなったわけだから、神の計画の一部なのだと感じている。※

 

 

*1

 

 神による計画は更に先にまで進む。ジョイスの『若い芸術家の肖像』において、いかに言語への愛がスティーブンのカトリックから審美主義への変節を予示していたかを思いかえしてみよう。聖書を教えとして信仰することはなくなっていたが、スティーブンはいまだその言葉のスタイルを楽しく味わっている。これはアウグスティヌスの道筋とほぼ逆である。まず最初にアウグスティヌスはアンブロシウスの言葉をその語り手としての能力への専門的な尊敬から聞き、説教の内容よりもその語り方に興味を抱いていた。だが、気づかぬうちに、知らず知らずのうちに(sensim et nesciens)、彼は信仰に引き寄せられていた。そして回心の三年ほど前には、いまだ方法論上の疑念はあったが、アンブロシウスの影響のもと、彼はカトリック教会の洗礼志願者になろうと決心していた。

 

 次第に形成されていった自由意志と予定説の観念に関連して(大まかに言うと、人間は、神が慈悲を与えようとする者に与えられる神の慈悲による摂理と予定に応じて、意志する自由意志を持っていることによって自由であり、神に棄てられた者が自由に罪を意志することはできるにしても、神の恩寵がなければ誰も正しい意志を持つことができないという考え方である)、他にも注目すべき動機づけの特徴がある(人間という動物の物質性と強く結びついた教義上の立場である)。(1)プラトン主義の線に沿って考えられた部分と全体との弁証法。(2)マニ教の悪の教義に代わるものを見つける必要(それ故、Unde malum?という繰りかえしが響き渡る)。(3)プラトン主義者のロゴスとしての言葉の理論に強い悲劇的原理がつけ加わる(神の犠牲を通じて)。

 

 既に見たように、その美的な段階において、彼は部分の全体への順応を強調していた(universum suum――ここでの「全体」という言葉は運命づけられたvert語族の一つであることを見のがすべきではない)。後にアクイナスはアウグスティヌスプラトン主義的な力点を変え、アリストテレスの示す方向に従い、増え続ける仕事の分化はますます必要なものとなるであろうから、特殊化の原理を認めるべきだとした。第四巻第十章の冒頭において、神に自分たちを「あなたの方に向かせる」よう求めたあとで、魂がどこに向おう(se verterit anima)とも(quoquoversum)、もしそれが神(勿論、それは一なる原理である)に向うものでないなら、悲しみに釘付けにされていると言うときに、vert語族と関係するパターンが明らかになっている。或は(第四巻第十一章)において、魂は肉の道を辿りそれを「守る」と言われるが、肉は魂に従うよう「向きを変える」べきであり、肉体の特殊性ではなく神の全体性へ眼を向けねばならないとされる。彼はまたこの弁証法を言語に対する関心に結びつけ、肉体を文が全体として聞かれるためには止まらずに飛び去らねば(trasvolare)ならない音節と比較している。おそらくここで神は文の意味と対応しているのだろう。

 

 その少し前、「もっとも低次元の世界」(infima universitas)はその各部分が常に過ぎ去っていくことによって完成に達すると言われている。そこで、部分と全体に関する話しは休息を求めることに(requies)向い、quaero探し求めるという言葉が14語のなかに5回あらわれる。部分と全体の関係は、神から発するいかなるものであっても、もしそれが神の愛から見捨てられてものであるなら、不正に愛されるのだ(iniuste amatur deserto illo quidquid ab illo est)という命題に神学化される。この巻の終わり近く、部分と全体の関係がvert語族で強調される部分がもう一つある。我々が神から眼を背ける(aversi)限り、我々は道を踏みはずしている(perversi)。我々はひっくり返らない(ut non evertamur)ように立ち戻る(revertamur)べきである。その数行前、アウグスティヌスは神に叛いたadversum者の邪道perversitasを論じている。別の場所で彼はこう言っている。自分の魂が「道を外れた」とき、神の美しさのために愛する(gratis)代わりに、友人を友人であることのために愛し、自分が自分であることのために愛されているのだと思っていた、と。

 

 また別の点で、彼は「私は自分の傲慢によってあなたから離れた」(tumore meo separabar abs te)と、全体から離れた部分である「腫瘍」に対するストア派の警告に近いことを言っている。マルクス・アウレリウスの観点からすれば、キリスト教そのものが「腫瘍」であり、新たに発したカトリシズムの観点からすれば、異教が分離の原理をあらわしている。死につつある地方に散らばった異教の神々とは対照的に、キリスト教は新たな総合を与える。しかしながら、このごちゃ混ぜはまさしく宗教的相違に対する寛容であり、征服した部族の神々をローマにもってきて、その栄誉をたたえるにふさわしい寺院を中心部に建て、崇拝の自由を与えることは、その帰依者が税金さえ規則正しく納めてくれるなら普通に認められたことだった。それは衰退したときでさえ、公正で成熟したやり方だったが、自分たち以外の神を認めないキリスト教ユダヤ教双方から意地悪く異議を申し立てられた。

 

 部分と全体との弁証法物質性と関わっており、それはずっと後になって聖トマス・アクイナスによって、物質が「個別化の原理」として定義されたことに集約されるだろう。物体とは分離し、区別されるもので、文章の言葉の個々の音節に比せられるものであり、文の非時間的な全体の意味や精神は、次々に上がったり降りたりする音節の可聴的時間的物理性を超越している。

 

 物質性についての形而上学的考察は、アウグスティヌスと直接的な動機づけの力をもっており、それは、彼の生涯の各段階において様々な寄与をしているがその名前さえ挙がらない女性とのつながりに関係している。だが、我々はそれをきびしく言い立てるべきではないかもしれない。おそらく組み立て方さえわかれば、間接的にせよ恋人の名前、「つまらぬもの」であり、激しい欲望を満たすだけの弄びものの名は、木に刻み込まれた言葉が成長してわかりにくくなるように、テキストの所々に曖昧な形ではあるが潜んでいるのが見いだされるだろう。我々が知るべきなのは、第一に、どの言葉が洒落として用いられ、謎めいた変容をとげているか推測するためである。言葉について非常に鋭敏な感覚を持った偉大な言葉遣いの自伝であるからには、そうした偽装された告白があることはほぼ確実である。女性との親密な関係は、常に特殊な言葉、或は女性の名の響きに近い言葉との親密さとして論じられているはずである。おそらくそれは眼に見えない星のように輝き、神について述べられた言葉と問題のある物体についての言葉との間に曖昧に散らばっているだろう。※

 

 

*2

 

 回心のときに起こった変化は、アンブロシウスがどのように殺すだけの文字と命を与える精神とのパウロの区別を応用しているかを、アウグスティヌスが学んだ際に間違いなく近づいてきている。この教えにある原理によって彼は、美と神との物質性を強調していた初期の理論を変更することが可能になったのであり、それと平行して恋人だけでなく結婚という考え自体を永遠に捨て去るという気質上の変化を成し遂げたのだった。教義的には、それは聖パウロの定式から、旧約聖書の一節を額面通りにとるのではなく、新約聖書を予示するものと解釈するアンブロシウスの習慣に通じるものだった。次に来たのが、プラトン主義者によるロゴスとしての言葉の非物質性についての説だろう。そして、最終的には、肉体化した神の言葉というキリスト教の教義に特徴的な差異を伴った物質性に行き着くだろう。アウグスティヌスの見るところでは、マニ教にはロゴスとしての言葉についての教えがなかった。プラトン主義者にはあったが、神の言葉が肉体化し、その犠牲によって自然と超自然という質的に異なった領域を仲介するというキリスト教的な力点は欠けていた。

 

 回心の前にさえ、彼は最終的には無限に物質的な神という初期の考え方を棄てたであろうと言っている(神が物質的だと考えていたとしても、彼は神が人間の身体の形を取るとは仮定していなかった)。また、彼は悪の実在についてのマニ教の教義を捨て去っていた(善と悪とは支配権を争い合う競合する力であり、自然には本質的に悪の原理が染みわたっており、自然のすべてが「善」だと明示している『創世記』の第一章を真っ向から否定している)。しかし、彼は違った風に悪を考えようとして「息苦しく」なってしまった。プラトン主義者の著作は、彼をキリスト教教義へと導き、そこでは観念の非物質性と十字架を中心に据えるキリスト教特有の犠牲原理の排除(完璧なスケープゴートがあるという教えによって)が強調されていた。

 

 このエッセイをもともと計画していたとき、著者は庭での決定的瞬間をめぐる形式を分析すれば済むつもりだった。すべてがその瞬間に向いその瞬間から発するものとして示されるべきだった。しかし、発展を詳細にわたって分析し始めたとき、彼は驚かされた。そして、最終的には、発展は「回心」一般として分析されうるものではなく、特殊な三位一体的回心として扱われねばならないとわかり始めたのである。

 

 この発見は一つの問題をもたらした。テキストの多くは回心一般と特殊な三位一体的回心とを区別せずに分析されてきたわけだが、著者が考察の途中で出会った特性のもとそれを修正すべきだろうか。あるいは、もともとの混乱をそのままに残し、新たな立場を報告する方が著者の理論をより明確に示すことができるだろうか。

 

 二番目の方法がとられる。そこで、この回心の研究において、読者は著者自身の議論が「転回する」のを見られることとなる。特に、変化はアウグスティヌスと恋人たちの関係に関わる。既に我々は、アウグスティヌスが物質と悪との見方を変えたときに変化は含まれていたのだと示唆している。彼は精神的なものが物質的なものの稀釈化であり、自然には本来悪の原理が染みわたっていると信じることを止めていた。そして、彼の恋人たちへの愛着は、彼の発達における美的マニ教的段階に発するこの教義にある意味結びついていたのだと我々は示唆した。だが、こうした教義上の変化は既に起こり、プラトン主義者によるロゴス説にスケープゴート原理も加わっているにもかかわらず、庭での決定的な瞬間は起こっていなかった。

 

 端的に言うと、ごく一般的な三位一体による等式を受け容れることで(父は力、権威、Potestasであり、息子は智慧、精霊は愛)、三番目の位格のもと決定的な変化が起き、恋人たちが決定的に棄てられることになったと言えるかもしれない。アウグスティヌスは既に第一格と第二格の領域では回心を済ませていたのだが、二つの動機づけだけでは、第三格によってすべてが収まる場所に収まり完成するまでは、三位一体は達成され得ないのである。(『三位一体論』第五巻第十一章で、アウグスティヌスは、三位を父や息子を中心に述べることはできず、父と子とが交わり合う精霊を中心に成り立つと言ってこうした考え方に神学的な形を与えている。)この第三の動機は別の対象への愛の「転移」を含まねばならない(この場合、「肉体的な」対象から「霊的な」対象への)。

 

*1:

※勿論、教義的に言えば、アウグスティヌスは恩寵、自由意志、予定の理論を聖書、特にパウロの書簡によって組み立てており、彼の教えはキリスト教を単純な福音的宗教から、ローマ帝国に最もよくあてはまるような組織へとつくりかえるものであった。神による人間界への介入に対するモニカの一般的な姿勢は、アウグスティヌスの複雑な神学理論と一致しているが、彼女自身がそうした知識に精通していたことを示すものはない。姿勢において彼女と結びついているかもしれないが、彼の教義の知的発展は、主にキリスト教以外の場所で始められた長きにわたる「審問」の結果であるように思われる(アウグスティヌスのような思想家の影響のもと、キリスト教は後にそうした考え方を自分の目的のために取りいれるようになったが)。

 

*2:

※著者はここで「ロゴロジー的な」告白を行なっているかもしれない。「謙虚な」(modica)という形容詞はアウグスティヌスにとっては「モニカ」をもじったものだと私は考えたがっている。同様に謎めいているのが、「狭い場所」や「狭さ」をあらわすaugustusという語である。彼の美的な時期、或はマニ教徒としての時期に関連した言葉は、彼の「慰みもの」の名の隠し場所としてもっともあり得る場所であろう。あるいはnugaつまらぬものという言葉自体がそうだという可能性もある。我々がこうしたことを言うのは、ある作家のある表現が、特定することはほぼ不可能であり、証明することも困難であるが、特有の「パーソナリティ」を有していることを示すためである。そして、こうした「謎」が作家の用語法において構成要素を形づくることもあるのである。