トマス・ド・クインシー『自叙伝』20
第三章 戦いの世界の始まり
かくして、私の生涯の一章は終了した。既に、六歳が終わるまでには、この第一章は一巡し、その音楽の最後の音が演奏されたのである————熟した果実が木から落ちるように、私の生を織りなしているものから永遠に引き離されたように思われた。アラビアの砂漠に突然現れる蜃気楼のような、湖と緑の森に満ちたエデンの園であっても————天上の筆で、「地上のむなしさ」を繰り返し嘲り続ける、靄のかかった夏の日没の、夢のような沈黙のなかで空に燃えさかる城壁や塔の壮麗な舞台でさえも————かくも多大なる絶対的な幻滅と多大なる真実とが混じり合った印象を残すことはできなかった。あらゆる物事のもっとも真実であるものは、この過剰なる幸福によって支えられていたように思われた。死滅への向こう見ずな意志をもって急ぎ、「驚くべき深淵に消え去っていった」、私を待ち受けている新たな生の側面からするとあらゆる点においてかけ離れているこの時期を生の神秘的な挿話として振り返ってみると、あらゆる物事が欺瞞的であるように思われるのだった。苦々しい心の腐食に直面することなしには、私には現在をいかなる過去の出来事にも結びつけることはできない。単なる現実のいらだたしさ、否定すべくもない想起の力があるからこそ、この燃えつきてしまった私の生の始まりの章が、そもそも章などではなく、夢から発散されたものであると見なすことを許さないのである。悲惨さは真実の保証であり、あまりに確かなものなので拒むことができない。しかしまた、確かに儚いものでもあるので、全体的な経験としては空想的な幻影の性格を帯びることにもなろう。
この時期の私にふさわしかったこと、なんとか生きていくのにふさわしいことがあるとすると、それは、しばらくの間この悲惨さについてじっくりと考えた結果、乳離れを余儀なくされ、突然生に対して鎧をまとうことになったことである。悲しみで、ローマ人がdesideriumと呼んだもの(取り戻すことのできない顔への根深い切望)で、病的なまでにやつれ恐らく私は早々に墓に入ることを願っていた。目覚めは過酷なものだった。この目覚めがもたらした荒っぽい解熱剤は二年以上も続いた根強い病的な夢想を打ち壊した。その時期、私の身体も自然に成長し、危険は過ぎ去った。