トマス・ド・クインシー『自叙伝』2

 とにかく、私の後の生活で主要なものとなった感情をみるなら、私は両親と彼らの性格の幾つかの点から大きな長所を受け継いでいる。二人とも異なった意味で高邁な道徳家だった。私の母はこの階級の人に比較して、高い育ちと上品な作法において独特の長所をもっていた。すべての人間は生活のありように体現される最善のsummum bonumの基準をもっている。私について言えば、他人を私の好悪で困らせるようなことはないので、その点ではなにも例証しはしない。率直に言って私が心に描くことのできる社会的幸福のあらましには作法の精神が欠かすことのできない要素として大きなものであることを認める。イタリアでの自国語の話し言葉の理想は、次のように表現される、つまりLingua Toscana in bocca Romanaと。ここには二つの要素があるにちがいない。フィレンツェ風の語の選択とローマの発音に一致するようなフィレンツェ風の慣用語法である。これをパロディー化して、完全にまた充分に構成され長続きする歓びを最大限にもたらすのに適した社会(ある家庭と想定して)の概念は次のように表現されるだろう。即ち、最高の作法と結びついた英国中流階級の道徳と。或は、よりむきだしに言えば、貴族の作法に紳士階級の道徳だと。英国の貴族の作法以上に高貴で洗練されたものを私は想像することができない。また他方、英国の中流階級の道徳のように、単に人当たりの良い敏感な感受性ではなく原則と良心のしっかりとした基盤の上に成り立っているものはないのである。私自身が経験してきた、そして世界中に知れ渡っている書物、文学、政治制度、無数の事実がこのことについて証拠を与えてくれる。この説が多くの人の心に怒りを生じさせるものだということは私も気づいている。しかし私は自分が真実だと思っている点について、どんな人間嫌いや皮肉屋、政治的偏見や反国家的感情にも譲歩するつもりはないのである。私の個人的な経験においてこれらのことを私に気づかせてくれたことをそのまま提示しよう。それに値する同意や反対に任せよう。道徳は健全なものであって間違った価値に損なわれるものではない。しかし作法の精神に関わる移ろいやすく気まぐれで計り知れない本質は、実際的な経験が絶え間なく示してくれるものに助けられ解釈されなければ、単に言葉や対比によって公正な意味のある扱いをすることがまったく許されないものなのである。とにかく、読者は私が貴族のなにを評価しどういう制限を設けているかを理解してくれれば、私の貴族的な感情を非難することはないと思う。私が幸福に建設された社会の理想を、その最優先の要素として多分過度の重点を、多くの優れた人たちが殆んど意識の対象とさえしない作法の精神のある種の純化に置かずには達成されないものだとしていることは、もし読者がそうではないと考えるのなら私の欠点である。同じような気持ちでしかし少しの優柔不断も感じることなしに、生活上の必要時のいくばくかをなしで済ますことで、毎日の慣習の優雅さや礼儀正しさをより快いものにしようとする極端なところさえ私にはある。


 こうした感情、もし読者が望むならこうした欠点は、私の幸運な境遇と共にある。私の父は、既に言ったように際立った性質をもってはいなかった。しかし私が彼の階級に帰した道徳的な高潔さは彼のうちに大層独特な形で表現されており、私の前半生そして彼の死後ながきに渡って、私は見知らぬ人が私に殆んど同じような言葉で(本質的なものは事柄に一致しているのである)次のように言うのを聞いた。「私は君の父さんを知っている。彼は私があったうちで最も公正な人間だった」と。誰も彼を賢い、或は才能のある人間として賞賛はしなかったと記憶している。だが仕事の上での成功と他のより明白な点から彼がある種才能のある人間であったことは確かだろう。彼は一冊の本を書いた。その主題について多くのことを要求できる本ではないが、当時一冊の本を先例もなしに書くということはまったく精神の活発さと性格の強さによるものなのである。その出来栄えにおいてこの本は真に尊敬に値する。主題は、八折判でイングランド中部地方の旅行のスケッチであった。そうした主題からしてかなり雑多なものではある。旅行を通じて二つの目的が読者の前に供されており、一つは、旅行の道筋にある主要な邸宅の絵画や彫刻について一般的な評価をすることで美術についての注意を促すことと、第二に、その時至る所で活発になり、一方ではアークライトとピールによって、他方ではブリッジウォーターによって急速な発達を遂げた運河や工場等に置かれた機械的な技術に注意を向けることである。ところでこの公爵は、その気質と彼が受けた不正や冷遇に対する沈鬱な感受性に見合った人生の偶然に導かれて、自分の収入を運河やブリンドレーの庇護に使い捨てる禁欲的な習慣をもったのだった。彼は女たらしであった。そしてその結果、エウリピデスのようにひどく女性を憎むように、女嫌いになった。女性が近づいてくるのを見ると、彼は彼女と顔を合わせるよりは「帆を掲げ」どんな回り道でもしたことだろう。この人生の偶然によって公爵として所帯をもつことの費用から解放された彼は、その時スタフォード候、ブリッジウォーター伯爵などの広大な地所であったところを所有するほどの莫大な富を生み出すことができた。こうした概略と構想をもつ私の父の本はまさにこのとき国中で望まれていたもので、数年前『クウォータリー・レヴュー』で容易に他のもので代わりをするわけにはいかない願望されていたものdesideratumだと言われた。つまり、生者も死者をも含めたあらゆる芸術的財産のガイドであり、それは我々の国の至る所で訪問者の注意を引くものなのである。その出来上がりのスタイルや機械的な技術と美術とを異なった扱いにしている点で、この本は田園の工場と絵画の通廊とを混ぜ合わせたアーサー・ヤングのよく知られた旅行記に似ている。ただ私が憶えているところでは、多分フランス革命の前に書かれたからだろう、父の本には政治に関することがまったくなかった。貴族の邸宅にある芸術品に対する父の関心がきっとある部分では原因となり、ある部分では結果となったのだろうが、彼自身の家の主な部屋には古いイタリアの絵画の収集品が撒き散らされていた。私はこの事実を私の父の家の他にない優雅な環境として述べるのではなく、まったく逆に父の階級ではひどく一般的なものなのだと言いたいのである。彼らの多くは父のものよりも素晴らしい収集品を持っていた。私は子供のとき母親に付いていくことを許されて、二度ほど私の父より豊かとは言えない商人の絵画室をわざわざ見に行ったことを覚えている。実際、私はこの商人の階級を称揚するのに、次の事実以上のことを言うことはできない、即ち、豊かな階級であり支出において自由がきくためにその支出の大きな部分を知的な喜びに、既に述べたように絵画が一般的であるが、また自由な社会や書物にも大いに費やしたのである。


 このようなスタイルで生活している商人はその気前のよさと優雅さにおいてヴェネチア商人に似てはいるが、彼ら自身や彼らの住まいには外面的な光輝、つまり公衆の眼を引くような特徴はほとんどないのである。彼の国の作法に従えば、その住まいの内政はあまりの贅沢さによって失敗する。彼らは非常に多くの召使を雇う。それら召使はしばしば貴族の邸宅にも合わないような贅沢さと鷹揚さをもっている。他方、こちらには見せびらかしや虚飾がまったくない。従ってお仕着せをつけた召使を見ることもそれほど一般的だというわけではない。女性たちには決まった特有の義務がある。しかし男性は複合的な能力で行動していた。馬車をもつこともそれほど一般的ではない。一年に一千から二千使われている所でさえである。この町には相当数の協会がある。単に文学的なものよりはより知的なものにおいて優れている。というのも協会のなかでは文学的なものが一番弱いからである。聖職者から医者、商人たちが哲学協会を支え、定期的に会報を出版している。そして何人かの会員はその学問においてダランベールに匹敵し、他の者たちは主導的なパリっ子の機知や知識に伍している。しかしここでも単なる外面的な光輝や堂々とした名前だけでは事柄の明白な証拠、つまり生まれつきの知恵や知性の生来のたくましさに役に立つわけではなく、主に百科全書派と文通していたある医師は彼のビュフォン、彼のディドロ、彼のダランベールの意地悪をものともせず、実際彼らを信じきっていて、彼らのつまらない手紙をお守りのようにポケットに入れていたのだが、彼ら脆弱なるものらと同じ程度の一般的評価を受けられるものなのである。この裏切りは時に文通相手、アカデミーの偉大な人物に対してさえも同じように軽蔑的な評価を下すところまでいく。実際、彼らの公開された手紙はこれだけ大きな過失はないと言える程の証拠を十分にもつものでる。一般的に言って退屈で、最近メイソンの伝記で公にされたグレイの手紙よりもずっと劣っていて、グレイのものはその精神において愚直で、クーパーあてのものだけではなく毎夜多くの無名の女性にあてて書かれたものも多分彼女の書簡として考えるに値せず、速やかに忘れ去られる運命にあることは確かなのである。