ケネス・バーク『歴史への姿勢』 40

... 選択の検証

 

 ある特徴を強調し、別のあり得る区別を無視する選択のパターンである批評家の検証法は、実用的に使用される。無数のあり得る区分けを前にし、社会的根拠として重要だと考えるものに焦点を当てる。大ざっぱに言うと、現在の世界の状況において、「革命的」であることに重点を置く者たちがおり、芸術をもっぱら権威のシンボル、その受容と拒絶の関わりにおいて扱う。かくして、批評家はプロパガンディストであるとともに職人となる。彼は教訓的な目的に従い、主題が異なるたびに必要な戦術の転換を再確認する。そして、詩的シンボリズムの基礎的な戦略を明らかにする詩の形式的組織化に適切な注意を払う(儀式、「世俗的祈り」、同一性の劇的変化、等々)。

 

 歴史の用語を借り、「ミクロコスモス」な目的のために「マクロコスモス」の比喩を適用すると、「想像的なもの」を「官僚化する」作家は、制度的な各部分を調節する必要から生じる二次的な利害関係に巻きこまれる傾向にある。「想像的なもの」は彼の生における状況であり、姿勢と処方に関わる直接的な意味をもっている。シンボルの媒介によって、彼はそれを「官僚化する」。制度的な媒介物の内的な調整のために、元々ある想像的な刺激から関心がそらされてしまう限りにおいて、彼は「芸術のための芸術」という「疎外」へ向かうことになる。職人としての彼の問題が一般人としての彼の問題を「超越する」。

 

 こうした疎外は、特に、創始者の制度を受け継ぎ、「自ら獲得する」ことなく使用する模倣者、アカデミシャンに当てはまる。

 

 別の事例を考えることもできる(今回は批評家ではなく、詩人の内的調整と関連して)。

 

 生産と配分の物質的秩序は、それに対応する<作法>を生みだす。(別の言葉でいえば、生産のパターンが固定化まで達すると、固定した慣習、典型的な職業、蓄積状況、それに見合った道徳的評価が生まれる。それらすべては、人間的な素材に関しては、作法として纏められる。)詩でこうした作法に当たるのは<スタイル>である。スタイルは作法の儀式的な投影、あるいは完成である(商売における「押し」や「たたき売り」が口の上手い商売人にとってはスタイルにまで達するように)。生産体制が変化すると、作法もそれに従わざるを得ない。(封建主義の作法が、資本主義の必要によって作り替えられるのにどれだけ長い時間がかかったかは既に記した。)しかし、こうした作法の作り替えが必要となる時期には、「よいスタイル」の伝統は発展し、「官僚化」されきっている(それが新たな作家たちにその基準を永久のものにするよう促す「暗示」となる)。作家たちは、まったく異なった生産体制が生じ、それに対応した新たな作法が伝統的なスタイルの「内部にまで入り込んでいる」というのに、こうした純粋に伝統的なスタイルの価値を維持開拓しようとする限り、「疎外」による貧困化を蒙る。(こうしたスタイルのずれを生みだす傾向は、伝統的なスタイルが特権のしるしであり、貧しい作家が身代わりとしてもつことのできるしるしであることによって強化される。)

 

 作家は、自分の内的発展に関する真の必要が(自分の用いるシンボルを互いに正確に調整する必要)、読者には「制度的疎外」のようなものとして働かないことを見なければならない。もちろん、作品の内的な整合性、作品外の重大な状況との関わりにおける作品の一般的意味などを感じとる読者の能力はそれぞれ異なっている。哲学の訓練を受けた読者は、単に作品としてではなく、生との関わりにおける問題の見事な解決をそこに見出すかもしれないし、さほどの訓練を受けていない読者は問題そのものを感じとらないこともある。

 

 我々は、「権威的シンボル」、「同一化」、「受容と拒絶」、「浄化と再生の儀式」、「上方への超越」、「下方への超越」、「世俗的祈りによる人物設定」、「社会経済的組織による集団的詩」、「想像的なものの官僚化」、「疎外」、「再回復」といった事柄が、美的道徳的戦略のまさしく基礎にあることを信じている。芸術は生の<あらゆる>基本的な心理学的過程が記録される計器だと信じているので、芸術の象徴的行為のうちにそれらを調べようとする。証券取引と資本主義下の生産と分配との関係が、「詩的交換」と人間の生との関係に等しい。貨物量の僅かな変動が、証券取引では、利益の莫大な変化となりうる。同様に、実生活のか細い衝動が、「詩的市場」では広範囲にわたる変動を示すこともあり得るのである。

 

 相当な教養を持ち、批判的洞察力のある人間が、ある状況下では驚くほど頑迷になり、なんの根拠もないけんか腰の主張をすることがある。彼の側から言えば、その状況が「合理的」意味とは異なる別の意味合いをもっていたに違いないと仮定される。例えば、新たに会った人間の長所を認めようとせず、過去に出会った人間との類似をもとに判断が下されたのかもしれない。いずれにせよ、こうした密かな類推が「彼の対応の条件」となっており、単なるイデオロギーの問題と考えることはできない。いまは関係のない古い喧嘩に関わるものとして新たな状況に出会ったので、「窮地に追いつめられ」、党派的な対応をせざるを得なかったのである。そうした自動的な好戦的態度が不必要な不利益をもたらし、こうした障害なしに自分の力量を見せることができれば、彼の利益となる立場におり、利益をもたらすに違いない人間を不興がらせることになる状況は容易に想像される。同じ人間が、この否定的な方向へ向いた状況を批判的に概念化し、「割り引いて考える」こともあり得よう。そして、それは「詩的交換」の記録に、生全体に働く社会的商取引の過程を位置づけようとするときに、芸術の心理学が行なうべき社会的働きなのである。