ブラッドリー『仮象と実在』 130
...[直接的経験、或は間接的経験による訴えかけ]
独我論者お気に入りの議論は、最も単純な形で言うと次のようになる。「私は経験を越えることはできない、そして経験とは《私の》経験でなければならない。このことから、経験こそがその本義である私の自己を越えるものは何一つ存在しない。」
この議論はその力強さをある部分、間違った理論から引き出しているが、より大きいのは無思慮な不明瞭さである。この経験に対する訴えかけに彩りを添えている曖昧さを指摘することから始めよう。経験とは直接的、或は間接的経験を意味しうる。直接的経験とは単に与えられたもの、感じられ、現前するものに限定されると理解される。しかし、間接的経験とは「これ」「私性」を基盤に構築されるすべての事実を含んでいる。それはすべて瞬間的に感じられるものを越えて存在するとされる。これが、独我論者がほとんど理解していないために、致命的な帰結をもたらすに至る区別である。経験について《どちらの》解釈をするにしても、独我論の議論は擁護され得ない。