ブラッドリー『仮象と実在』 115

 .. 第十九章 これと私のもの

 

      ... [その一般的な性質]

 

 我々は空間と時間の形式が絶対の個別性に対する有効な反論たり得ないことを見てきた。しかし、我々はより重大なものとなるであろう難点にまだ直面していない。この章の表題に示された事実である。感じの特殊性は呑み込んでしまうことのできない障害であるように思われる。「これ」と「私のもの」は否定しがたい。我々の理論によると、両者とも説明不可能なものだと言えよう。

 

 「これ」と「私のもの」は感じの直接性をあらわす名であり、それぞれ事実の一側面に注意を向けている。「これ」でないような「私のもの」は存在せず、ある意味「私のもの」となり得ないような「これ」は存在しない。直接的事実は常に経験において感じられるなにかとして生じざるを得ず、経験は常に特殊なものであり、ある意味「唯一無比」なものでなければならない。しかし、私は唯一無比という言葉に含まれるすべての問題に関わろうとはしないだろう。「これ-私のもの」をいかに超越することができるかという問題は後に取り組むこととなるので(第二十一章)、ここではただ一点に問題を限定する。我々は「これ-私のもの」、感じられる直接的な経験が無数に存在すると仮定している。こう仮定することは、我々の一般的な見解と両立しうるものか問うてみる必要がある。