一話一言 38  

 

 

文学が判らぬという才能 漱石

彼らは[藤村や花袋]、この狂人めいた文部省留学生にくらべてはるかに西欧文学の魅力に忠実だったので--即ち、日本の現実に盲目だったので、--それだからこそ、ドストエフスキイを読んで、小説が何であるかを教えられて『破戒』を書いたり、ズーデルマンの描いた劇中の人物になりすまして『蒲団』を書いたりすることが、さほどの抵抗もなく可能だったのである。わざわざロンドンくんだりまで出かけていって、「ハイカラ」になりきることも出来ずに帰ってきた漱石には、こうした器用な変身は無縁のものであった。先程、不器用な人間の功徳を説いたのはこの意味に於てである。こうなると、当時、「文学が判らぬ」ということのために、如何なる才能が必要とされたかがはっきりする。後に作家となった漱石の作品は、すべてこの天才的な疑惑に濾過されているので、このために、彼の同時代者たちの一般的風潮、ひいては今日にいたるまでの日本の作家達の共通な病弊である所の、小説という<形式>(!)にこしらえ上げるために小説を書く、という逆立ち現象を危く免れているのである。

 

漱石は文学を理解するために、講義を行い、一作一作その形式を変化させた。もっとも私は、「猫』と『坊っちゃん』と『三四郎」、もう一つ個人的な趣味で『虞美人草』だけあればいいかな。