爽やかなピカロ――古今亭志ん朝『居残り佐平次』

 

  僅かな割り前を条件に大いに遊ぼうと、佐平次は友人四人を誘って品川に繰り込む。立派な見世でさんざん飲み食いしたので、とても割り前だけでは足りないだろうと友人たちは心配する。お前たちは朝一番で帰って、割り前の金はおふくろに届けてくれ、一月くらいはもつだろう。そっちはどうするんだい。どうもこのところ身体の調子が悪い、医者の言うところでは、どこか海の近くへでも行って一月も静養すればよくなるでしょうとのことだ。改まって静養となると金がかかる、そこで居残りすることにした。


 川島雄三の映画『幕末太陽伝』は落語の廓噺をちりばめているが、その中心にあるのは『居残り佐平次』である。落語では佐平次の病がなんであるかあきらかにされないが、一月程度ゆっくりすれば治るほどの軽い病とされている。

 

 一方、フランキー堺演じる映画の佐平次は結核で、聞くところによればフランキー堺自身がそれを強く主張したらしいのだが、妙な悲壮味がでて逆効果のように思われた。立川談志古今亭志ん朝の演ずるところでは、佐平次はいたるところで居残りをしつくしたいわば居残りのプロフェッショナルであり、面が割れていないのは品川くらいしかなかったのだ。そうしたふてぶてしさが映画ではいくぶん損われている。


 佐平次は友人たちが裏を返すのを待っているなどと、勘定を引き延ばしていたが、とうとう金がないことがわかり、蒲団部屋に押し込められる。さてそれからが居残りのプロたる佐平次の腕のさえであって、ほったらかされて文句を言っている客があれば相手になり、話もできれば、芸もそこそこだというので、居残りを贔屓にする客がつくようになった。

 

 そうなると割を食うのは宿の若い衆で、ご祝儀をもらえなくなることから苦情が続出した。困った見世の主人は佐平次を呼びだし、勘定はいいから帰ってくれるように頼む。ところが、佐平次は、自分はお尋ね者の身の上、表にでるとどうなるかわからないからもうしばらくいさせてくれという。そんなことを聞いてはよけいに置いておくわけにはいかない。見世の主人は佐平次の言う通り、高飛び用の金と着物を渡し、佐平次は品川でもまた居残りで金をせしめることに成功するのである。


 志ん生や円生の『居残り佐平次』では、佐平次が方々で居残りをしたあげく、江戸内では品川以外は出入りができないといったことは語られることがない。しかし、佐平次が居残りのプロであるかないかに従ってこの噺はずいぶん異なった様相を呈する。

 

 特に、志ん朝の『居残り佐平次』では、金と着物をせしめた佐平次が外にでたところで見世の者と行きあい、自らの正体を明かし、せせら笑うように去って行く。病気などは単なる口実にちがいない。見世の主人に自分は悪人だと告げるが、いちいちの内容はともかく、あながち間違ってはいない。立派なピカロなのだ。ただ、庇を借りて母屋を乗っ取るような噺なのだが、あまり深くくいこむことなく、切りのいいところですっぱりと去る姿は落語のなかでも随一の爽やかなピカロなのである。