魂の皮膚ーースタンダール『赤と黒』

 

赤と黒 (上) (新潮文庫)

赤と黒 (上) (新潮文庫)

 

 

 

赤と黒 (下巻) (新潮文庫)

赤と黒 (下巻) (新潮文庫)

 

 

 私が高校生のころは、完全に澁澤龍彦の影響下にあった。どれほどそれがひどかったかは、澁澤の著作に出てくる書名を書きだして、読んでは書名を線でもって消していくといったばかげた行為にふけっていたことでもわかる。むろん、彼が引用する書物は洋書も多く、書きだした書名がすっきりと消え去ることなどは決してなかった。それに、いまから考えると、悪魔学やオカルト的なこと、世紀末デカダンスにはごく一般的な好奇心しかなかったのである。
 
 いい意味でも悪い意味でも、私がオタク的にひとつのことに没頭できないのは、当時澁澤龍彦に必ずといっていいほど結びついていた「異端」へ彼を入り口にして没入することができなかったことにもあらわれている。異端を知るためには正統を知らなければならぬ、というアナクロニズムの変な教養主義のようなものを私はもっていて、いわゆる文学の名作とされていたものも同時に読んでいたのである。しかも当時は、変則的な本の読み方をしていて、不良というよりはもっとたちの悪い学校などになんの関心もなかった私は、電車のなかで読む本、一時限目に読む本、二時限目に読む本、などと毎日6~7冊の本を鞄に入れていた。
 
 『赤と黒』もそんな時期に読んだ本だが、なにしろ他方ではサドやバタイユを読んでいるものだから、刺激の点では比較にならず、どうしてもお勉強として読んでいるという意識がぬぐえなかった。
 
 ところが、今回読み直してみると、正直なところ、主人公のジュリアン・ソレルがパリに出てくるまでの第一部は少々退屈で、いったん読むのをやめて、一ヶ月ほど別の本ばかり読んでいたのだが、またなにかのきっかけで読み始め、第二部に入るや、書巻措くあたわずといった状態を久しぶりに味わった。
 
 小林正の解説によって『赤と黒』刊行までの経緯を簡単にまとめておくと、スタンダール(本名アンリ・ベール)は、1783年、東南フランスのグルノーブルに生まれた。父親は高等法院の弁護士であり、裕福な市民階級に属していたと言える。父親は熱心なカトリック教徒の王党派で、家庭教師には厳格なイエズス派の神父をつけたが、子供のスタンダールは二人に強い反発を抱いていており、迫害されていると感じていた。
 
 そんななかでスタンダールは、特に親族のなかでは三人の人間に愛され、影響を受けた。一人は、七歳の時に失ってしまった母親で、生涯母親への思慕が失われることはなかった。次に大伯母は、理想主義的でロマンティックな考えをもち、気高い行為をなにより礼賛した。最後に、「お前は頭がいいつもりでうぬぼれているが、そんなことはなんの役にも立たんぞ。出世するには女にかぎる」と忠告した叔父は、18世紀的リベルタンの流れをくむ人物だったのだろう。ちなみに、幼少期のあいだには、フランス革命が起こり(1789年)、ルイ十六世が処刑されている(1793年)。
 
 地元では優等生であったが、いざ革命直後のパリを目にすると、幻滅のあまりノイローゼになり、受験を放棄してしまった。心配した祖父のコネで陸軍に入り、ナポレオン軍に参加することになる。参事院書記官という高い地位にまでついたが、ナポレオンの失脚、王政復古によってすべてを失い、文筆家としての生活がここで始まることになる。
 
 はじめに書いたのは、ハイドンモーツァルトなどの音楽についての評論、イタリア絵画史、イタリアの各都市をめぐる紀行文などであった。次に未完に終わった『恋愛論』があり、小説の第一作である『アルマンス』の次に、1830年に刊行されたのが『赤と黒』である。1842年に死去しているから、60年弱のうちの最後のほぼ10年が小説に費やされたことになる。
 
 だが、小説家としてのスタンダールは、バルザックその他の少数にしか認められておらず、死後40年ほどたって再発見された。
 
 題名の『赤と黒』であるが、赤がナポレオン時代の栄光を、黒が聖職者の黒衣をあらわすということに落ち着いているようである。スタンダールの友人は当時、色の名を表題にすることが流行していたからだと推測したし、研究者のなかではルーレット版の赤と黒を、つまりはある種の賭けが主題になっているのだと主張しているものもあるという。
 
 製材所の息子であるジュリアン・ソレルは、ラテン語に堪能なことから、町長レナールの邸に家庭教師として住み込むことになる。金持ち階級への憎しみもあって、レナール夫人を誘惑する。しかし、関係を深めるうちに、ひたむきで純情な夫人の態度に惹かれていく。
 
 ところが二人の関係が噂となって広まるにつれ、ジュリアンはレナール家を離れざるをえなくなり、ブザンソンの神学校に入る。神学校では校長のピラール神父にかわいがられ、神父の推薦によって、フランスの政界でも重鎮をなすラ・モール侯爵の秘書となる。ラ・モール侯爵にはマチルドという娘がおり、ジュリアンとマチルドの闘争こそがこの小説の白眉となっている。
 
 二人の関係は恋愛などという安らぎを伴ったものではない。なにしろ、身体の関係をもった翌朝のマチルドはすでに「<<あたしは主人をもつことになってしまった!>>と、やりきれないほど悲嘆にくれながら、ラ・モール嬢はつぶやいた。」と反省し、ロマンチックなことを考えるまでもなく、ジュリアンの「支配する力」がどこまで及ぶのかを心配するばかりなのである。
 
 最初は高揚していたジュリアンも、相手が自分を避けていること、つまり相手をどこか満足させていないことを理解するや、友人の公爵のアドバイスにしたがって、新たな恋人の対象を見いだしたかのように降るまい、しかもマチルドとは毎日顔を合わせることを心がける。そうなると、もともとジュリアンのことを嫌っているわけではないマチルドは彼のことが気になって仕方がなくなる。
 
 さらに、マチルダが身重になったことがわかり、侯爵は激怒しながらも、二人の結婚を認める。しかしそこに、レナール夫人からジュリアンのレナール家でのふるまいと、畢竟それは偽善と野心にしたがったものに過ぎない、という告白と悲しみと中傷の入り交じった手紙が送られてきたことによって無効になる。
 
 ジュリアンはすぐさまレナール夫人のもとにおもむき、夫人を拳銃で撃つ。この銃撃は夫人を殺しはしなかったが、ジュリアンは死刑の宣告を受ける。そしてレナール夫人と再会することによって、本当の愛情は自分たちにしかなかったとお互いに認められてからは、またマチルドがジュリアンへの愛を計量することなく受け容れるようになってからは、死刑を避ける手段はいくらもあったのだが、ジュリアンはそれらの提案をすべて退け、従容と死を受け容れる。
 
 ちなみに、後にリアリズムの綱領のようになった「小説とは大道に沿ってもち運ばれる鏡なのだ。」という言葉は『赤と黒』にあるものである。確かに、この小説は副題に、「1830年代史」とあるように、王政復古下にあるフランス社会を描いたものでもあるだろうが、ラ・ロシュフーコーラ・ブリュイエールなどフランス・モラリストの系列に連なるものだと私には思える。
 
 基本的に社交界の存在を前提とするモラリストは、自分が思っていることはもちろん相手も知っており、それを知った上で、誰になにを言えばどのような効果を得られるのかといったような意識の無限の散乱を箴言として切り取る。別の言いかたをすれば、そのように踏み切らなければ、反射の反射がむなしく続くだけなのだ。終生そうしたモラリストの切断を体現してきたニーチェの次の言葉ほどこの小説の本質を明らかにしたものはない。『人間的、あまりに人間的な』の一節である。
 
魂の皮膚――骨が肉に含まれ、皮膚が血管を包んでいるように、人間がある状況を耐えられるようになるのは、魂の諸情動や諸情熱が虚栄心によって包まれているからである。――それは魂の皮膚なのである。
 
 
 要するに、虚栄心とは他者を前にした意識のありようであり、マチルドが身体の関係だけでは満足されなかったのも、ジュリアンが死を受け容れるのも、あるいは魂の皮膚が裂けていたからであり、あるいは魂の皮膚に包まれているからなのである。