シネマの手触り 2 イングマール・ベルイマン『沈黙』(1962年)

 

沈黙 [DVD]

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ベルイマン自伝

ベルイマン自伝

 

 

脚本:イングマール・ベルイマン

撮影:スヴェン・ニクヴィスト

出演・イングリッド・チューリン

グンネル・リンドフロム

ヨルゲン・リンドストロム

 

 『ベルイマン自伝』は、時系列に自分の生涯を振り返るものではなく、むしろペンの趣くままに幼い頃の思い出や映画や演劇と自分との関係を書き綴ったエッセイ集のようなものなのだが、家族や仕事仲間などとの人間関係についての記述が、なんというか、非情なまでの個人主義に貫かれていて、ちょっとあまり読んだたぐいのない自伝である。そして、ベルイマンのそうした側面が映画においていちばん顕著に表れているのが『沈黙』である。

 

 電車内にいる二人の女性と小さな男の子の姿をとらえることからこの映画は始まるが、登場人物もほぼこの三人に限られている。男の子が車窓から外を見ると、戦車の隊列が電車と平行するように並んでいる。最初はこの三人の関係はわからないが、次第に、女性二人が姉妹であり、男の子が妹の子供であることがわかってくる。三人は故郷に帰る途中で、足止めされ、ティモカという街のホテルにとどまる。

 

 脚本の段階では映画はこの『ティモカ』という題だったそうで、ベルイマンがたまたま見たエストニアの本の題名がティモカであり、その言葉を架空の都市の名前にしたものだったらしい。ティモカの本来の意味は、「処刑人にふさわしい」といったものだという。また、映画は時代も場所もわからない架空の空間でドラマが繰り広げられるが、当初は、第二次世界大戦が終りに近づいているドイツの街という設定であった。実際の映画では、新聞の文字などは中欧か東欧のようでもあるのだが、蒸れるような熱っぽい感じがむしろ南米のどこかを思わせる。さらに、制作の段階では、二人の姉妹のうちのどちらかを、映画界から遠ざかっていたグレタ・ガルボが演じるという噂が飛びまわったという。

 

 電車内の場面の後は、言葉が通じないティモカにあるホテルが舞台になる。そして、姉が生命に関わるような病にかかっていることがわかる。姉は翻訳などで世界的に著名な人物であり、妹はその「優秀な」姉にいつも監視され、道徳的にとがめられているような感覚を持っている。ホテルには姉妹と子供の三人と、近くの演芸場に出演している小人の一団、それに老いた客室係しかいない。

 

 無人のホテルの通路を探検する男の子は、キューブリックの『シャイニング』を連想させる。廊下にかかったルーベンスの絵画から背後を振り返ると、小人劇団の団長が紳士らしく、ステッキを軽くあげて挨拶する、異世界に入り込んでしまったかのような瞬間も味わわせてくれる。客席係の老人は、言葉が通じないせいもあって、最初は不気味な感じがするが、姉の病床をかいがいしく世話する親切なところも見せる。

 

 姉はほとんどベッドに寝たきりで、ときどき発作のようなものに苦しんでいるようだが、病にもかかわらず酒を手放すことができず、妹がすることに詮索の目を注ぎ続けている。妹はそんな姉の病状を気遣ってもいるが、それ以上に姉の支配をうっとうしく思っており、夜の街に出かけ、ホテルの部屋に男を引きずり込むのを子供に目撃される。ホテルで数日を過ごした後、妹は子供を連れ、姉を置き去りにしたまま旅立っていく。

 

 『沈黙』は『鏡の中にある如く』(1961年)、『冬の光』(1962年)と三本合わせて、室内劇三部作とも、神の不在三部作とも呼ばれているが、室内劇はともかく、『沈黙』を神の沈黙とし、神の不在と結びつけるのは実情に合っていない。この映画で恐ろしいのは、言葉の通じない街にいるのとまったく同じように、姉妹二人にコミュニケーションが成立せず、更にいえば、もっとも大事であるはずのことについてコミュニケーションをとろうとしない、少々のホラー映画では太刀打ちできないほどの苛烈さしか応酬することのできない不毛な人間関係にある。

 

 妹は自分の肉体を通して、見知らぬ街でも男と性交することによって、偏頗なコミュニケーションをとり、姉は姉で、異国の言葉を少しずつ知ることによって、ごく浅薄なコミュニケーションには成功するが、そうした偏ったコミュニケーション手段しかもたない二人は共感することができない。姉は妹の不品行を責めるが、自分の肉体に関する病気をなだめ、ならすことはできないし、妹は姉の優秀さというものがたかだか知識の表層に属するものであり、深層にある生の実相に触れることと優秀さとになんの関係もないことをわかろうとしない。

 

 小人劇団の部屋に紛れ込んでしまって、彼らとともに戯れる子供だけが姉妹の偏頗さを免れているが、二人の中に立ち仲介するだけの力はない。絶望は希望があってこそ成立することを思えば、ここには絶望すらなく、豪華で立派な造りでありながら、もはや泊るもののないホテルと同じように、置き去りにされた姉には徐々に生命の熱が奪い去られていく時間だけが残されている。