一言一話 124
東京の菓子――越後屋
食べ物は、東京より上方の方がうまい。菓子も然り。しかし、大地震前までは――大負けに負けて戦争前までは、東京にもうまい菓子屋があった。例えば、本所一つ目の越後屋、日本橋の三橋堂、上野山下の空也、お成街道のうさぎや。
越後屋については、こんな話がある。徳田秋声の親戚に岡栄一郎という金沢生まれの戯曲家志望の青年がいた。帝大出で、芥川、菊地、久米などと友達だった。この岡が、自慢で金沢の森八の菓子を土産に持って漱石先生を訪れた。
その後、漱石先生の批評が聞きたくってまた尋ねたところが、この間の菓子はうまかったともまずかったとも言わない。で、岡が恐る/\伺いを立てたところ、大して称美したらしくもない口振りだった。岡が、では東京ではどこの菓子がうまいのかと聞いたところ、漱石は、「越後屋だろうね」
と言ったというのだ。私など、まだ小説を一つか二つしか書いていなかった頃の話である。
銀座に移った空也の菓子は食べたことがあるが、それも遠い昔である。