二つの見世物――立川談志『らくだ』

 

立川談志ひとり会 落語CD全集 第1集「宿屋の富」「らくだ」

立川談志ひとり会 落語CD全集 第1集「宿屋の富」「らくだ」

 

 

 

  『らくだ』という噺は文政四年(1821年)に焦点が合っている。というのも、この年、三月十五日から深川永代寺で成田不動の出開帳のおり、唐人踊りの見世物がでた。それが大評判で「唐人踊りカンカン節」などと呼ばれ、六月を過ぎるころには江戸をあげての大流行となっていた。もともとこの踊りは、盆のころ、長崎に逗留する唐人やオランダ人などが墓所に集って酒宴のとき、それぞれの国元の亡き霊の手向けに歌い踊ったことにはじまるという。


 かんかんのう、の部分まで噺をたどっておくと、ある長屋に本名を馬、らくだと呼ばれている鼻つまみがいた。その兄貴分、丁の目の半次が訪ねていくと、らくだは冷たくなっている。どうやら河豚にあたって死んだらしい。通夜をしてやりたいが金がない。そこに通りかかったのが屑屋の久六である。家にあるものを買ってくれというが、がらくたばかりで引き取れるものがない。

 

 しかし、傷だらけの顔をした兄貴分が怖くもあるので、香奠代わりだと小銭を包んで差しだした。それで済んだと思ったが半次は久六の商売道具を取り上げて離してくれない。月番のところにいって香奠を集めるようにいってこい、家主のところにいって、大家といえば親も同然、通夜をするから良い酒を三升、煮付けを大皿に三杯、握り飯を三升炊いてもってこい、と使いにやらされる。

 

 くれるのくれねえのとぬかしたら、死人のやり場に困ってます、死骸を担ぎ込んでカンカンノウを踊らせる、と言ってやれ。しみったれの大家のこと、カンカンノウを踊らせると聞いて、朝から退屈してるんだ、踊らせてもらおうじゃないか、と息巻いた。これを聞いた半次、久六にらくだを背負わせると、大家の家に赴き死人を踊らせた。


 カンカンノウ・キュウノレスくらいまでしか噺のなかでは歌われないが、三田村鳶魚の『はやり唄』によると、「かん/\のう(看ゝ那)きう(九)のれんす(連子)きう(九)はきうれんす(九連子)きはきうれん/\(九九連々)さんしよならへ(三叔阿)」などと続く、中国語と日本語の混じりあったものだという。また、「尻の穴へ棒を突込んで、かん/\踊をさせる」という脅し文句もあったそうで、死人にカンカンノウを踊らせるという半次の脅し文句と通じているようだ。


 とにかく、驚いた大家は言われた通りのものを持ってきた。菜漬け屋から棺桶代わりの樽も同じ脅し文句で手に入れた。ようやく解放されたと思った九六だが、身を清めるのに酒を一杯飲め、とすすめられる。優しくいっているうちに飲みねえよ、とすごまれるのだが、三杯目になると九六もすっかりいい気分で、眼が据わり口調が突然乱暴になると、煮物なんかで酒が飲めるか、魚屋に行って鮪のブツでももってこい、くれるのくれねえのったらカンカンノウを踊らせると言ってやれ、とこの噺はここで切られることも多い。


 続きは、九六の知りあいの落合の焼き場にもっていくことになった。やっとの事でたどりついたが、樽の底が抜けてらくだの姿はなかった。これは大変だ、ととって返すと、道のまんなかで酔っぱらって寝ていた願人坊主をらくだの死骸と間違えて持ち帰った。火のなかへ放り込んだからたまらない、ここはいったいどこなんだ、日本一の火屋だ、冷やでいいからもう一杯。


 正岡容の『随筆寄席囃子』によると、八代目朝寝坊むらくの『らくだ』では後段に面白い箇所が多かったそうだ。途中で質屋をたたき起こして、この死骸を質入れさせるか、いくらか出せと脅して、金を手に入れた両人は、また酒を飲んで、吉原へでも繰り込む気で口三味線で大騒ぎをしながら、滅多矢鱈に駆けだすのでらくだの死骸を落としてしまうのである。また、願人坊主が火のなかに投げ込まれて、のたうちまわるのを、物の怪が憑いたといって棒で打ち叩くような場面もあったという。

 

 正岡容自身は記憶がなかったが、古今亭志ん生から聞いた話として書いているのは、むらくの『らくだ』では、湯灌のとき九六がらくだの髪の毛をカミソリが切れないからといって手で引っこ抜く。そのあと、茶碗酒を引っかけるところで、「ア髪の毛がありゃアがら」といって、その毛を片手で押えたまま一息に煽るくだりがあり、それによって半次は九六に完全に圧倒されてしまうことになるらしい。


 冒頭に、『らくだ』という噺は文政四年(1821年)に焦点が合っている、と書いたが、それはかんかん踊りに加えてこの年の八月、オランダ人が持ちこんだらくだのひとつがいが西両国の広小路で見世物となったことがある。唐人やオランダ人による二つの見世物から透かしてみると、『らくだ』はエキゾチックな風味をもった噺であったのかもしれない。