情動が打ち寄せるーー加藤泰『骨までしゃぶる』(1966年)

 

骨までしゃぶる

骨までしゃぶる

 

 

脚本 佐治乾

撮影 わし尾元也

音楽 齋藤一郎

 

 州崎は現在でいうと、東京都江東区東陽一丁目にあたり、東京メトロ東西線東陽町駅の周辺ということになる。川島雄三に『州崎パラダイス 赤信号』(1956年)という映画があるが、戦後の一時期は、吉原よりも賑わった歓楽街だった。1958年の売春防止条例によって完全に姿を消し、住宅地へ変貌した。

 

 もっともこの映画は、川島雄三の映画のように戦後の歓楽街の様子を描いたものではなく、明治時代の日露戦争以前の州崎が舞台である。東京帝国大学の校舎が建設されるために、風紀上よろしくないということから、根津にある遊郭が州崎に移転されたのが明治19年のことで、ロシアとの戦いに備えねばならない、といった意味の台詞が映画中にあるので、明治37年までの出来事だろう。

 

 東北の貧しい寒村に多くの兄弟と育った娘(桜町弘子)が、そうした地方を回っているらしい人買いに売られ、さらに州崎の遊郭に売られる。いったん店に買われてしまうと、家賃、食費、風呂賃、衣服の費用、等々生活の全般にわたって金を搾り取られ、それこそ「骨までしゃぶ」られて、店への借金は増えこそすれ、絶対に減らないようになっている。

 

 しかし、この桜町弘子が演じる娘には、天性陽気な部分が損なわれることがなく、なかばやけっぱちになっていたり、あきらめている先輩たちにもかわいがられる存在になる。

 

 世間では、廃娼運動も盛んになっていて、救世軍などが、廃業の手続きを支援していた。また、廃娼を主張する演説やビラまきなどが遊郭内でも行われた。だが、州崎周辺の警察は、遊郭と癒着していて、警察に逃げ込むだけでは自由が保障されるわけではない。また、店には子飼いのやくざまがいの連中がいて、娼婦が逃げたとなると、力尽くで連れ戻そうとする。

 

 桜町弘子の先輩のひとりは、うまく娼婦を廃業することができたが、また客を取るようになった、と人伝えに聞こえてくる。久保菜穂子が演じる先輩は、元は士族の妻であったらしいが、複雑な事情によって娼婦にまで身を落としてしまったらしい。

 

 桜町弘子は、大工の職人(夏八木勲)と好き合うようになり、廃業を決意する。

 

 加藤泰は、小津安二郎とはまったく異なる種類のロー・アングルの使い手で、情動のうねりがひたひたと打ち寄せてくるようなロー・アングルである。特に、序盤、桜町弘子の顔にピントが合っていて、ぼやけた背景で、村々を歩き回って女を買っていた仲買人と、店の主人がまさに桜町弘子の値段について、駆け引きを行っているなかで、彼女はそうした話には関心がなさそうに、しかし表情をくるくると変えて、どんな悲惨な目にあってもめげない図太さとしなやかさとおおらかさが一緒になって画面を満たしているところなどは、加藤泰と桜町弘子が互いを具現化して、画面を輝かせている好例だろう。