闘争の倫理――古今亭志ん生『あくび指南』

 

 

 志ん生の息子である先代の金原亭馬生には『あくび指南』の二つの録音のヴァージョンが残っている。一方は他方のほぼ二倍の長さである(十五分と二十七分)。


 ひとつにはマクラが長くなっている。まず名人と言われた圓喬の講座姿が語られる。また、江戸には妙な商売があってという流れで、誰もが取り入れている釣り指南(座敷で糸の引き具合によってなにが釣れたかを教える)の前に、耳かき屋、猫の蚤取り屋が加えられている。耳かき屋には上、中、下があってそれぞれ金、竹、釘の耳かきが使われる。猫の蚤取り屋は狼の毛皮でしばらく猫を覆っていると、狼の毛皮の方が上等であるために、蚤がそちらに移るらしいのだ。


 マクラ以外にも本編でも珍しい付けたしがされている。『あくび指南』は友人を連れてあくび指南所を訪れた男がなかなか教え通りにうまくできず、見ていた連れが「くだらねえものを稽古しやがって、待っている俺の身にもなってみろ、退屈で退屈でならねえや」と大あくび、「お連れさんはご器用だ」と終わる。


 馬生の長いヴァージョンには男が最初に習う朝湯での湯屋のあくびが付け加わっている。湯船に浸かっているときのあくびで、うなり、都々逸、あくび、念仏と続くというのだが、まったくうまくいかず、指南役も早々に諦めてもっと簡単な涼み舟のあくびに替えるのである。涼み舟のあくびは四季のあくびのうちで最も簡単な夏のあくびに当るという。


 柳家小さんは四季のあくびのそれぞれを紹介している。春のあくびは、一人旅の田舎の田圃道、花は咲き乱れ、山は霞がかかって雲のなかでは雲雀がさえずり、陽炎も立ちのぼっているなかでのあくびである。秋のあくびは秋の夜長人を待っているがなかなか来ない、お銚子の燗もぬるくなってしまったときに出るあくび。冬のあくびはこたつに入って草双紙を読むのにも眼が疲れてしまったところにこたつから猫が出てきて、のびとともにあくびをするのを見てこちらもうつってしてしまうあくびである。そして、夏のあくびは一日がかりの舟遊びにも飽きて退屈してするあくびということになる。


 小さんが噺家にとって人物描写、情景描写がいかに大切かについて話すとき、その例にあげるのが『あくび指南』だったという。


 「何しろ、あくびを教えるんだからね。さんざんいろんなことをやってきたあげくのことだから、酸いも甘いもかみわけた風格が、自然とにじみ出てくるような人物でなきゃァいけないン。そういう人物描写を心がけなきゃァ駄目なんだ。くっついてきた友達だって、どういう場所にいるのかきちんと描かなきゃァね。これが情景描写。習ってる奴の隣にいるような演り方をしてるのがあるが、これじゃァ駄目だな」と言ったという(川戸貞吉『落語大百科』による)。


 実際、小さんが演じるあくびの師匠は、ゆったりとした悠揚迫らぬ口調で「酸いも甘いもかみわけた風格」がでているようでもある。あくびの師匠はいかにもあくびを教える師匠らしく、鷹揚な態度でゆったりと語り、なにかしらの「風格」をだそうとしているのである。


 一方、志ん生の『あくび指南』でまず目を引くのは、その異様な早さである。志ん生は小さんの約半分の時間でこの噺を演じきる。あくびの師匠にはなんの貫禄もなく、教える口調に至っては、ゆったりとしたものどころか、せかせかした、むしろぶっきらぼうと言っていいほどのものである。


 もう一つの大きな相違は、師匠の口立てに男がつっかえたり、つい日頃の乱暴な言葉づかいをしてしまうところにこの噺の笑いがあるが、志ん生の場合、それに加えて、師匠の早い口調に誘われるように、教わっている男はあらぬ横道に妄想を走らせてしまうのである。


 師匠の教えはこうである。

 

 「さよう、まずところはてえと、首尾の松(蔵前橋のやや下流柳橋寄りにあった松)あたりですかナ、(煙管を右手で斜めにかまえて)こういうような具合にしてなァ。船頭が向こうにいますからな──、
〝おい、船頭さん、舟を上手の方にやっておくれよ。これから堀ィ(山谷堀)上がって一杯やって、夜は吉原へでも行って、新造(遊女)でも買って遊ぼうか。舟もいいが、一日乗ってると・・・・・・、たいくつで、たいくつで・・・・・・、はァああァ・・・・・・(と、あくびをしながら)ならぬ〟」(『志ん生滑稽ばなし』)

 一方、教えられる男の方は、

おい、船頭さん、舟を上手の方へやっておくれ。これから堀へ上がって、一杯やって、夜は吉原へツウッーて行くてえと、女が待ってて、
〝あら、ちっとも来ないじゃないか〟
〝いそがしいから、来られねえンだ〟
〝うそォつき、わきにいいのができたんだろう〟
〝そんなことないよ〟
〝そうだよ〟
〝あたしがこれほど思っているのに、本当に、くやしいよッ〟
って喰いつきやァがるから、
〝痛えッ!〟

と、あくびにまでたどり着くことができない。

 ところで、アランは、その『幸福論』の一項目であくびを怠惰なだらしなく流れだすものという印象から解放し、称揚している。

 犬が暖炉のそばであくびをしている。これは猟師たちに気がかりなことは明日にしなさいと言っているのだ。気取りもせずどんな礼儀もなしに、伸びをするあの生命力は、見ていてもすばらしいし、引き込まれ真似をしたくなる。周囲の人たちはみんな伸びをし、あくびをしたくなるはずだ。これが寝支度の開始となる。あくびは疲労のしるしではないのだ。あくびはむしろ、おなかに深々と空気を送り込むことによって、注意と論争に専念している精神に暇を出すことである。このような大変革(精神のはたらきをばっさり切ること)によって、自然(肉体)は自分が生きていることだけで満足して、考えることには倦き倦きしていることを知らせているのである。 (神谷幹夫訳)

 あくびは伝染するものだと言われる。だが、アランによれば、それ以前にその場に伝染し、蔓延しているものがあって、それが「事の重大性であり、緊張であり不安の色」である。あくびは、実は、そうした緊張や不安の治療薬として伝染するのである。疲労や退屈のしるしとして伝染するのではない。「あくびがうつるのは深刻な態度を放棄するからであり、何も気がかりがなくなったことを大げさに宣言するからのようだ。それは整列している人たちを解散させる合図のようなもので、だれもが待ち受けている合図なのだ。」


 笑うことや泣くことも、脇目もふらずに自らの活動を続ける精神の注意を肉体の方に向ける力をもっている。しかし、笑うことや泣くことには「二つの思考、すなわち拘束しようとするものと解放しようとするものとの間の戦い」が避けがたい。笑うことや泣くことはより一層意識的であり、あくびと比較すると敷居の高いものなのである。

 

 あくびとは、人間がそれをするにしても「犬のあくび」と本質においてなんら変わりのないものであり、むしろすべての思考を捨て「生きることの気安さ」に積極的に赴き、「犬のあくび」をあくびすることである。


 同じ姿勢で、何時間も集中してなにかをした後の伸びやあくびはなんとも言えぬ安逸感をもたらすとともに、精神に対する賦活剤でもある。集中することによって狭くなっていた視野が安逸のもたらす気楽さのなかで再び広くなり、休息を与えられることで精神は新たな力を得る。こうした意味で、アランのあくびは、退屈から生まれるものではなく安逸を生むものであり、精神と肉体の健康のバロメーターであると言えるだろう。

 


 しかしながら、さして仕事をしているわけでもないのに強烈に襲ってくる睡魔や、なにをしようにもする気が起きない退屈の極みを体験したことのある者なら、仕事の後のすっきりしたあくびとは異なった種類のあくびがあることを知っているだろう。このあくびは安逸感をもたらすどころか、底なし沼にずぶずぶと沈みゆく身体が空気を求めてもがくのに似ていて、何回あくびをしようが空気は得られず、身体は更に泥のなかに沈んでいく。このあくびは「精神に暇を出す」ことでも、「健康の回復」でもない。アランが言うようなあくびの働きをまったく果たすことのない、「大変革」とは無縁な不活性なものなのである。


 さて、『あくび指南』にも二つのあくびが登場する。師匠のあくびと、連れの男が二人のやり取りを見ていてもらすあくびである。連れの男のあくびがアランのあくびに通じるものであることは明らかだろう。

 なにォいってんだよ、おめえたちは。え、二人でくだらねえこと言ってやがらァ、本当に。(中略)
 ああ、あッ・・・・・・、何がたいくつだよ。え、やっててたいくつかよ、てめえは。さっきから待ってるオレの身にもなってみろ。こっとのほうがよっぽど、たいくつでたいくつで・・・・・・、はァ・・・・・・(大きなあくびをしながら)あーあー、ならねえ

 男は「くだらねえ」とあくびをすることによって、この状況すべてを批判し、観客としての自らの立場を放り投げることで退屈から安逸に向かおうとする。この男は健全な批判的精神のもち主である。

 

 師匠は「お連れのほうが器用だよ」とほめるが、男がしたあくびは、舟遊びにも退屈を覚え、しかも、次の日もまた次の日も同じような変わりばえのない日が続くのだと漠然と思うでもなく感じている男のぐったりと沈降していくあくびとは関係がない。退屈に取り囲まれ押しつぶされるあくびではなく、退屈から脱するためのあくびだからである。


 だが、もちろん、志ん生の『あくび指南』の魅力は連れの男の健全な反応にあるのではない。あくびなどにはまったく関わりがないにもかかわらずあくびの教えを受けている男と退屈に沈み込むようなあくびを教えようとする師匠との激しい戦いにある。

 

 また、この話のおかしみは、誰でも自然にしているあくびをわざわざ教わることの滑稽さにあることは確かである。だが、なかば不随意であるあくびまでをも生活の様式化のなかに組み込もうとしているのだとみると、三百年の江戸文明の安逸も侮りがたいこととなろう。四季のあくびのなかでもっともやさしい夏のあくびはあたかも芝居の一情景のようであり、指南もまた芝居の型を伝えるように進む。それゆえ、ある程度以上の文明を感じさせるが、他のあくびはより日常生活に喰いこんだ、より不随意なあくびであり、そうした日常の場面まで様式化されるということは文明の爛熟と言っていいのかデカダンスと言っていいのかわからないが、のど元に合口を突きつけられたようなひやりとした感触を味わうこととなる。


 志ん生は、関東大震災の日、「まごまごしていると、東京じゅうの酒が、みんな地面に吸い込まれちまうんじゃァなかろうか」(『びんぼう自慢』)という心配でいても立ってもいられなくなって酒屋に駆け込む。酒屋の方ではお客などかまっていられない。「ゼニなんぞ、ようがすから、好きなだけ、呑んでください」というのを聞いて志ん生はその場で一升五合をあおり、割れてない一升瓶二、三本を「赤ん坊でも抱くように」かかえて家に戻る。

 

 また、酒が飲めるというので戦争中満州に行き、敗戦が決まりまわりが物騒になると、いっそ死んでしまおうとウオッカを六本飲んで自殺しようとする。まさに、この志ん生の、欲望が強烈なあまり妄想にまで流れ込むような強烈な性格を受け継いでいるのがあくびを教えて貰っている男である。


 一方、あくびの師匠は、正宗白鳥が江戸時代の文学について皮肉混じりに言った「無気力の幸福の天国」の教えを伝える者だと言えるだろう。その世界は、また、落語がその半身をどっぷりと浸している世界でもある。かくして、志ん生の『あくび指南』は、志ん生と落語との両者一歩も引くことのない闘争の実況として聞くことができる。

人間性の変化――柳家小さん『青菜』

 

落語決定盤 五代目柳家小さん ベスト

落語決定盤 五代目柳家小さん ベスト

 

  大きな家で仕事を終えた植木屋が、酒と肴を勧められる。酒は良く冷えた柳蔭である。味醂に焼酎を加えて味を調えたもので、お直しとも言ったという。味醂が酒屋に売っていたことまではかろうじて記憶があるが、柳蔭などはだされたこともだしたこともない。

 

 柳蔭をだすことが、職人相手のざっかけない応対を示したものなのか、柳蔭というものが、特に大店などに限って、(例えば味醂を余らせてしまうような)余剰としてありがちなものなのかいささかはんぜんとしないのだ。よそからの頂き物となっているが、味醂をもらうことがどの程度の社会的位置を示しているのかどうかはいまだわからない。もっとも鯉の洗いとなれば立派な肴であって、十分な饗応がなされたといっていいだろう。


 ところで、植木屋さん、菜のおしたしは好きかい、好きだという答えを得て、奥さんを呼びつけることはから話が面倒になってくる。鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官と奥さんが答えたのに対し、ああそうか、じゃ義経にしておきなさい、と妙な問答をしたと思うと、菜はなくなってしまったと告げるのだが、植木屋は菜のことよりも奇妙な応対のほうが気になってならない。問いただしてみると、なんのことはない、「菜」を「食らう」判官、既に食べてしまいましたよ、という奥さんの答えに対して、よしておきなさい「義経にしておきなさい」と語呂合わせを符丁に使っているだけなのである。


 もっとも東大落語会の『落語事典』によれば、上方の方では大尽客を義経、まわりの幇間や取り巻きたちを弁慶と呼んだこといもあったというから、単なる語呂合わせよりは多少なりとも内的な連関があったのかもしれない。いずれにしろ、これを聞いた植木屋は自分も使ってみたくてしょうがない。

 

 屋敷があるわけもなく、自分でもできるという奥さんを押し入れのなかに閉じこめて、友人を呼びよせる。菜っ葉が嫌いだという友人に無理に勧め、奥さんを呼びつけると、汗だくになった彼女は「鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官義経」とすべて言い切ってしまった。うーん、じゃあ弁慶にしておけ。


 これほど実りが薄い噺も少ないかもしれない。特に人間存在についてのなんらかがテーマとなっているわけでもないので、上手に演じるか下手に演じるかしかない。むしろ人間存在そのものがテーマといえばテーマであるかもしれない。実際、下手な噺家がこの噺を演じているのを聞くと、テーマを現出するまでもなく、薄っぺらな言葉のやりとりで終わってしまう。青菜がだして欲しいなら、だして欲しいと言えばいいし、なければないといえばいいだけの噺なのだ。それをあえて義経に置きかえるいやみすれすれの風格や品格を人間存在が醸しだしうることこそがこの噺のテーマであり、実に単純でありながら根本的な人間性の変化ということこそが主眼となっている。

眼球譚ーー桂米朝『犬の目』

 

 

 

特選!! 米朝 落語全集 第二十六集

特選!! 米朝 落語全集 第二十六集

 

 

 落語には呑みこんだ義眼が詰まってお腹がぱんぱんになり、医者が肛門から覗いてみると、呑みこんだ義眼と目があったというというバタイユばりの変な噺(『義眼』)があるが、この噺も相当に変な噺で、桂米朝でしか聞いたことがない。
 
 ある男が眼が痛くなり、友人のすすめで目医者に行く。医者は早速眼をくりぬいて、こんなに膿と血で汚れていたら、痛いのも無理はない、見てごらんというが見られるわけはない。洗浄液につけてしっかり洗えば大丈夫だと、しばらく液につけておいたら少々時間が長すぎたのかふやけてしまった。
 
 干して乾かす必要がある。ちょうど乾いたころだと見てみると、なくなっている。よく見ると常日頃ちゃんと閉めておけと命じていた裏木戸が開いている。察するところ、隣の犬が入ってきて食べてしまったらしい。
 
 正直に犬に食べられてしまったともいえないから、犬の目をくりぬいて代わりにすることにした。犬は野生のものだから、その目が新たに芽吹くこともあろう。不安なのは大きさが合うかどうかだったが、ちょうどうまい具合に収まった。真っ暗でなにも見えないといわれて多少まごついたが、それも眼球が裏っかえしになっていたからだった。しかるべき位置に入れてやると、よく見えるとのこと、念のために二日後に様子を見せにいらっしゃいということになった。
 
 二日後に現われた男、ひどく満足な様子である。夜、寝ていると、小さな物音にもすぐに反応して起きてしまうことはあるが、晩でも昼のようにものがよく見える。ただひとつ困ったことがある、電信柱を見たら小便がしたくなる。
 
 切られた首を提灯のようにぶら下げて進む『提灯首』のように、人体の一部がオブジェのように取り付け、取り外しが可能となるのも落語ならではであるが、生首というのは谷崎潤一郎の『武州公秘話』や(正確に言うと、こちらは生首の鼻をそぐことに執着する話だが)、あるいは団鬼六のエッセイに登場する生首愛好家の話などに見られるように、残酷絵などでもおなじみのテーマであり、私なども、愛好とまでは行かないにしても、『四谷怪談』の伊右衛門が吐く「首が飛んでも、動いてみせるわ」などといった啖呵はぜひ一度は言ってみたいものである。
 
 そのほかにも川端康成の文字通り片腕を抱えて歩きまわる「片腕」があり、山田風太郎には鼻の部分に男根がひっつく短編があったと思うし、それこそ忍法帳では基本的に男根などというものは付け外し自由なものであったはずだ。しかし、生首、腕、男根などに共通するのは、その全体が可視的なものであり、人形というものを考えたとき、容易に着脱が可能なものとなる。
 
 眼球もまた、義眼としてとらえれば、オブジェとしての機能を十分に備えているのだが、米朝もくすぐりに加えているように、くりぬいた自分の眼を自分で見られるわけはない。自分の首や腕や男根の着脱は可視化して想像できても、眼球の場合は可視化することができない。その結果、自己と他者、あるいは可視的なものと想像的なものとのあいだに埋めることのできない断絶が生まれる。
 
 眼球とは、感覚の主要な部分を担っていながら、ある種外界と触れあっている内臓のような存在であり、多くの意味でつねにある種の断裂、落差、齟齬から逃れることができない。言い方を変えれば、まさしく意識が発生する存在の断裂をあらわしている。いくら特撮技術が進歩しても、ブニュエルとダリの『アンダルシアの犬』の冒頭の、剃刀が眼球を切り裂く場面の衝撃が弱まることがない秘密はそのあたりにあるのだろう。

 

 

世界崩壊の予感ーー内田百閒『冥途』

 

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

 

 

『冥途』は大正十一年、稲門堂書店というところから出版され、十八編の短編からなっている。ページ数がついていない特異なつくりになっていたという。それぞれの短編は主として、大正十年の春陽堂発行の文芸雑誌「新小説」の創作覧に発表された。
 
 いずれもある種の怪談であり、その多くが既視感が伴っていて、恐怖の瞬間は、「水を浴びた様な気持」という語句によって典型的に表わされるような瞬間である。あるいは、「水を浴びた様な気持」と同じような状態を表わしていると思われる「髪の毛が一本立ちになった」、あるいは単に、なんとも知れないが「恐ろしく」なる場面を加えれば、およそ百閒が描く恐怖の瞬間を尽くしている。
 
 例えば、「花火」では、長い土手で顔色の悪い女と出会い、連れ立って歩くことになった「私」は女と共に座敷に入るが、とにかく早く帰ろうと考えている。女は「私」をなんとか引きとめようと掻き口説きながら泣き出してしまう。「私」は女が泣き伏している間に帰ろうとするが、色艶の悪い女の襟足ばかりが白くみずみずしいのに気がついて「水を浴びた様な気持」になる。「私はこの襟足を見た事があった。十年昔だか二十年昔だかわからない、どこかの辻でこの女に行き会い、振り返ってこの白い襟足を見た事があった。」
 
 あるいは、「木霊」では、大きな池の縁を泣きながら子供を負ぶって歩く女の後を「私」はついていく。女の泣き声にどうも覚えがあるようなのである。女は暗い道をどこまでも歩きつづけ、「私」は歩いている道が通ったことのある道であることを思い出す。その道で「私」の足音は微かに木霊して、自分の足音に追いかけられるようだったことも思い起こされる。「『いいえ、私の足音です』とその時一緒に並んで歩いた女が云った。そうだ、その道を歩いているのだと気がついたら、私は不意に水を浴びた様な気がした。」
 
 さらに、「道連」では、「私」は何時からともなく一人の男を道連にして歩いている。男は「私」の名を呼び、自分が「私」の生まれなかった兄だと告げる。男は「私」に一言「兄さん」と呼んでくれるように頼み、「お父さんの声はお前さんの様な声かい」と尋ねる。「『そんな事が自分でわかるものか』と云ってしまって、私は自分の声が道連の声と同じ声なのにびっくりした。頭から水を浴びた様な気がした。」そして、「道連の云う事を聞いているうちに、私は、なんだか自分もどこかでこんな事を云ったことがある様に思われた。さっきから聞いていた水音にも、何となく聞き覚えのある様な気がしてきた。」という具合になる。
 
 いずれもある認識が恐怖を引き起こしている。知らないと思っていた女が、実は昔見たことがある女であることや、いま歩いている道が昔通ったことのある道であること、自分の声が道連の声と同じであることに気がついた瞬間に「私」に恐怖が襲いかかる。しかし、こうしたことのなにが一体かくも突発的な恐怖を招き寄せるのだろうか。
 
 内田百閒は師匠である夏目漱石の『夢十夜』の部分を特化して受け継いだといわれるが、百閒は自分の書くものを夢と特定することはなく、日常を描いたかに思えるエッセイにおいても、恐怖は身近に潜んでいる。十八編を合わせてもさして長いものではない『冥途』は完成に十年かけられた。
 
 百閒のいわゆる奇人としての側面は、自分が決めた生活パターンを壊されることに対する嫌悪感から来ているが、十年間彫琢して書き上げた作品にあらわされる恐怖も、既視感などによって私、あるいは私によってつくりだされた世界にずれが生じてしまうことに対する恐怖感であり、年月をかけて他者も偶然も入るはずのない世界に、向うの世界を暗示させるような他者の視点や、時間に左右されない世界を流動化し、変転させるような現在が紛れ込んでいることによって引き起こされるのである。
 
 『冥土』の短篇に漂うカタストロフの予感は、世界を念入りに仕上げれば仕上げるほど高まってくる、世界の外部に対する不安であり、文字通り、世界の崩壊に対する恐れが産み出したものである。しかしまた翻って考えてみると、このように自分の世界に侵入されることや、崩壊する恐れのみを書いてきた内田百閒にとって、世界とはそもそもさして安泰なものではなかったに違いない。

60年代のドン・キホーテーードゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』

 

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

 

 

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

 

原著は1972年に刊行された。
 
 題名に端的にあらわれているように、ポレミックな書であるかに思える。しかし、なにに対して論争を挑んでいるのかはさほどはっきりしない。欲望をパパ、ママ、ぼくのオイディプス的な三角形のなかに抑圧し、統制する精神分析がもっとも大きな敵となっていることは明らかなのだが、フロイトに対する言及はさほど多くないし、フロイトというとき、フロイト自身を指しているのか、それとも制度としての精神分析を指しているのかあまりはっきりしないのである。
 
 たとえば、シュレーバーに対するフロイトの分析は徹底的に批判されているが、フロイトの教義が個々に、全体にわたって検証されて批判されるわけではない。フロイトよりも、ファシズムを分析し、オルゴンなる生命エネルギーが世界には充満しており、それを集積、放射することによって病気を治療できると考えたヴィルヘルム・ライヒや、イギリスにおいて反精神分析を主張したクーパーやレインの名が盛んに引きだされることによって、いわば間接的に牽制されている。
 
 さらに曖昧なのは、「フロイトに帰れ」と主張しているラカンについてであって、皮肉っぽい揶揄や部分的な言及はあっても、正面から向き合おうとはしていない。ラカンにおいて重要な理論的構成要素をなすファロスや、去勢という概念にしても、欲望をオイディプス的な図式にあてはめるものだという批判にとどまっているように思える。
 
 また、資本主義が奸智に長けたものであることは繰り返し強調されており、消費社会における欲望の充足が肯定されているわけでもないのだが、欲望という言葉が充満し、それを抑圧するものが繰り返し批判されているのを読んでいると、その気になりさえすれば、どんな欲望でも満足させることができ、家族の規範などはすでに崩壊した、ポストモダンの現代の高度な消費社会のほうが相対的にいい社会なのかと思えてくる。
 
 ガタリの単独の著作は私は読んだことはないが、ドゥルーズに関するかぎりは、対象となる哲学者の著作を徹底的に読み込み、あくまでその哲学者の思考に添いつつ、そこから思ってもみなかった「逃走線」を引きだしてくるものだった。自らの哲学を前面にあらわしたのは、ガタリとの共著を除けば、『差異と反復』のみであり、そうした意味で、非常に禁欲的な、あえて言えば抑圧的な哲学者であった。さらに、確かどこかで、論争はなにも生みださないともいっていたように思う。
 
 1972年という刊行年のことを考えると、非常に60年代的な時代性の刻印の強い作品だと感じられる。60年代は欲望と反抗の時代であり、日本でいえば、若松プロの映画や、状況劇場などのアングラ演劇、サド裁判、肉体論の盛り上がり、高橋鉄などによる俗流フロイト主義の流行があり、アメリカではケネディやマーティ・ルーサー・キング牧師の暗殺とともに性の解放が喧伝された。
 
 このような文脈において考えてみると、ドゥルーズの著作のなかでは、そしておそらくはガタリとの共著のなかにおいても、『アンチ・オイディプス』はもっとも古色蒼然としており、たとえば、ノーマン・ブラウンの『エロスとタナトス』などの隣にあると、据わりがいい。ルイス・キャロルストア派を扱ったドゥルーズ単独の著作である『意味の論理学』をドゥルーズは自ら「論理的で精神分析的な小説の試み」だといったが、『アンチ・オイディプス』は同書にもっとも数多く引用されているニーチェやD・H・ロレンスやヘンリー・ミラーを読みふけった騎士が、欲望を武器にオイディプス的三角形を攻撃するドン・キホーテ的なテーマの小説の試みなのだと言える。

満開の桜の下の秘密ーー坂口安吾『桜の森の満開の下』

 

 

昭和二十二年六月十五日発行の「肉体」に発表された。
 
 古典文学に通暁していた若いころの三島由紀夫が、現実の桜の花を知らなかったというのは、さすがに都市伝説のたぐいだと思うが、私も桜は好きなのだが、現実の桜となるとどうか、そもそも花見に行ったことがない。花見の名所といわれるような所に一度行ってみれば、考えが変わるかもしれないが、上野や千鳥ヶ淵の桜は見たような気がするし、そもそも近くにある桜並木を通っても、ああ咲いてると思って、やや歩くペースが遅くなる位のものである。それ以上なにをしたらいいのかわからないのである。結果的に一番好きな桜は、鈴木清順の映画『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』のなかの桜である。
 
 確かに、この小説の冒頭にあるように、桜の花の咲き方には常軌を逸したばかばかしさがあり、意味を拒否するようなところがある。
 
 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集まって酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります・・・
 
 梶井基次郎の『桜の樹の下には』では「屍体が埋つてゐる」とあって、これはこれで、丸善の本の上にレモンを置いて出て、爆弾を仕掛けたように思うのと同じく、見事は発見だとは思うが、腐敗物を栄養にして美しく咲くもの、労働を搾取することによって栄華を極める支配層、不気味で混沌とした下層部の上に成り立つ理性的なもの、などと容易に言いかえられて、わかりやすいところがある。梶井の短編は昭和初頭に書かれたもので遙かに先行しており、梶井がおぼえた妙な感じを安吾は別の角度から切り取ってみせた。
 
 江戸時代よりもずっと昔のころ、鈴鹿峠に山賊が住み着いた。むごたらしい男で、街道に出ては着物を剥ぎ、命を奪った。女は連れ帰って女房にした。ところが、八人目の女房となる女が、非常に美しい女であったが、さらうときからどこか「変てこ」なところがあった。女はもといた女房を、ビッコの女を女中として、残りをすべて殺させた。女は大変わがままで、装飾品だけを大事にして、都に帰りたがった。
 
 男も腕に自信があったので、都に出て住むようになった。夜になると女が命じる屋敷に忍び込み、装飾品と屋敷に住む者たちの首を持ち帰った。女は毎日、首で遊んだ。肉が崩れ原形をとどめなくなるのを女は喜んでいた。男は都が嫌いで、退屈で仕方がなかった。
 
 男が山へ帰ると告げると、驚いたことに女もついてくるという。喜んだ男は女を背負って、山に戻っていく。折しも桜の花が満開のころで、満開の桜の下を通ると女は鬼に変じている。必死に振り落として、首を絞め殺すとそれは女房であった女で、男ははじめて涙を流す。
 
 桜の森の満開の下の秘密は、あるいは「孤独」であるのかもしれない、と安吾はいう。しかし、この孤独は意識したとたんに消え失せてしまう。対象となった孤独は、共有される観念となり、癒やされうるものとなって本来性を失ってしまう。
 
 むしろ、秘密の本当の答えは、最後の段落にある。男が女の顔に触れようとしたときにはすでに、そこには桜の花びらばかりが降り積もっており、その花びらをかき分けようとした男の手も桜のなかに消え、「冷めたい虚空がはりつめているばかり」で、ここには人間と物とを仲介する桜の美しさと気が変なばかばかしさがあらわされている。

道徳の系譜――メリメ『マテオ・ファルコーネ』

 

エトルリヤの壷―他五編 (岩波文庫 赤 534-1)

エトルリヤの壷―他五編 (岩波文庫 赤 534-1)

 

 

 1829年5月3日号の「パリ評論」に掲載された。
 
 コルシカは地中海、イタリアの西にある島であり、そのほとんどが急峻な山岳地帯で成り立っている。現在はフランスに属しているが、独立した地方公共団体が島を管轄している。
 
 古代においては貿易の中継点として争いが絶えず、中世においてはイタリアの都市国家の植民地であり、18世紀には独立戦争がおこったが、ジェノバとフランスが協定を結ぶことにより、フランスの圧倒的な軍事力に敗れ、フランス領となる。ちなみにフランス領になって数ヶ月後にナポレオンがこの島に生を受けた。つまり、フランスとはいっても、独自の文化が強固に存在しており、コルシカ語という別の言語も存在する。
 
 この短編はコルシカの情景を描くことから始まっているが、作者のメリメはこのときまだコルシカを訪れたことがなかったという。書かれていることが的確なのかどうか、実際にコルシカに行ったことがない私には判断しかねるが、江戸時代を経験したことがないにもかかわらず、森鷗外の史伝を的確だと感じるように、虚構ではリアリティは実在と対応しているのではなく、表現と対応するのだ。
 
 メリメのこの短編では、町を離れると、すぐに険阻な岩場があらわれること、岩場を抜けても、広大な「雑木山」が拡がり、それはマキと呼ばれることが伝えられる。もし、人殺しなどをして逃げなければならないことになったら、銃と布団にも使えるような頭巾つきの茶色の外套だけあれば、ここに逃げ込めば安心して暮らしていける。
 
 実際のコルシカにおいても、現在でも生活を営むことができる居住地区は少なく、沿岸地は一年を通じて地中海特有の温暖な気候であるにもかかわらず、4カ所もスキー場があることでも、この島の峻厳さが見て取れる。
 
 マテオ・ファルコーネはそんななかでも富裕な階層に属し、牧人を雇って家畜を遊牧する上がりでもって暮らしていけた。彼は銃の名手であり、妻となった女の競争者を撃ち殺したとも言われていた。しかし、友人としては信頼に値し、敵にまわすとこの上なく危険な男だと評判されている。妻は三人の女の子を産み、四人目にしてようやく男の子を出産した。その子はフォルチュナトと名づけられ、すでに十歳になっていて、跡取りとして期待できるだけの萌芽を見せていた。
 
 ある秋の日のこと、マテオは妻とともに、家畜を見回りに出掛けていた。フォルチュナトも一緒に行きたがったのだが、留守番もいないので、残ることになった。昼近くなったころ、近くから数発の銃声が聞こえてきた。マキに逃げ込んでいたお尋ね者が、治安維持に当たる兵隊たちに追われているようだった。フォルチュナトに近づいてきた男は、マテオ・ファルコーネの息子であることを確認し、かくまってくれるように頼む。フォルチュナトは男の銃にもう弾が残されていないことをめざとく見て取ると、じらすように返答を渋り、銀貨をもらうことと引き替えに、男を自分が横になっていた干し草のなかに隠す。
 
 しばらくすると、マテオの遠縁のガンバという名の男が率いる兵隊たちがやってきて、男が逃げてこなかったか尋ねる。この遠縁の男はお尋ね者に恐れられている切れ者であり、そんな男は見なかったよ、とはぐらかすフォルチュナトの言葉に納得しない。そして、懐から銀時計を取り出すと、教えてくれたらこれをやろうともちかける。まだ子供であり、なまじ小利口なために、フォルチュナトはこの取引に応じてしまう。
 
 そこへマテオ夫婦が帰ってきて、ガンバたちと挨拶を交わすと、ガンバは何気なくフォルチュナトがいなかったらお尋ね者が捕まらないところだった、なにか立派な褒美がもらえるようにするよ、と報告する。このちょっとした言葉は、マテオにとってはあらゆる価値を転覆する言葉となる。
 
 「おれの血筋で裏切りをやったやつはこいつが初めだ」とマテオは言うと、フォルチュナトを家から少し離れた窪地に連れて行き、子供が知っているかぎりの神への祈りを唱えさせると、「神様に許してもらえ!」と撃ち殺す。
 
 フォルチュナトは人の信頼を裏切ったばかりではなく、マテオの信用と名誉を汚し、金品で命を受け渡した。
 
 旧約聖書アブラハムは、息子を生け贄として捧げるように神に命じられ、煩悶する。そして、この箇所は聖書を信仰するものにとっては無限の思索を誘うものとなった。
 
 もちろん、両者の違いはどちらが正しく、どちらが間違っているかという問題ではない。聖書とはまったく異なる価値や倫理があることを示唆し、それが峻厳な島の描写と即応している見事な短編である。