魔法使いの嫁ーーカール・T・ドライヤー『怒りの日』(1943年)

 

カール・Th・ドライヤー コレクション怒りの日 [DVD]

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脚本、ポール・クヌッセン、カール・T・ドライヤー、モーウンス・スコット=ハンセン。撮影、カール・アンテルソン。音楽、ポウル・シーアベック。
 
 モンティ・パイソンのコントに、なにか細かいことで言い詰められたマイケル・ペイリンが、まるで異端審問のようだな、とつぶやくと僧服を身にまとった一団がぞろぞろとあらわれ、その連中がその後異端審問という言葉をきっかけとして幾度も登場することになる私の大好きなコントがあって、場違いでアナクロニズムなものが突然闖入してくることにその面白さがあるのだろう(そこで異端審問を選ぶのはセンスの問題でしょうが)。
 
 思うに、この『怒りの日』はモンティ・パイソンのコントに似ている。実際いまではまともに考えられることのない(とはいえ、形を変えて日常的に行われているとも思えるのだが)魔女狩りの話なのである。ただデッド・パン(無表情)に徹しているので、笑いが生じることはなく、居心地の悪さを感じ続けることになる。
 
 無表情というのは、決してこの映画が魔女狩りを非常識で、ばかげたこととして描いてはいないことにある。「怒りの日」とは魔女として最終的に宣告される書のなかで用いられる表現であり、魔女として確定されたものは火あぶりにされる。
 
 ある教区の牧師は、すでに相当の年配であるが、すでに死んだ先妻とのあいだの男の子供よりも年の若い妻をめとる。経緯ははっきりと描かれていないが、特に相互の愛情があって一緒になったのではなく、教区で身寄りのなくなった女性を、妻に先立たれた独り身の不便さから引き取るようにして妻にしたらしい。この牧師には強権的で、厳格な母親が同居しており、十分予想されることだが、この若い妻のことが気に入らない。そしてこれもまた予想されることだが、父親を愛してもいるが、快活でより社交的な息子と若妻とは恋仲になる。
 
 最初は慎み深く、遠慮がちな生活を送っていた若妻は、息子と恋に落ちるに従い、奔放になり、強権的な義母への口答えも辞さなくなってくる。
 
 この話と平行して、ある初老の女性が、魔女の嫌疑によってとらえられ、拷問を受ける。その女によれば、若妻の母親もまた魔女の仲間だったのだという(魔女とは野草などの調合とその効き目について詳しいということに過ぎないのだが)。
 
 結局、その女は火あぶりの刑に処せられるが、牧師は妻に対する疑惑に苦しめられる。若妻はいっそう奔放になり、義理の息子とともに家をあとに逃げ出すことを提案し、家のなかでも愛撫を交わそうとする。
 
 ドライヤーは1889年の生まれで、ゴダールトリュフォーに敬愛され、映画監督になる前身はジャーナリストであったから、たとえ神への信仰はあるにしても、魔女の存在や、ましてや魔女裁判の正当性を信じているわけはないのだが、一連の経過を批判的に描くなどといった安っぽいことを一切していない。ただその姿勢があまりに徹底しているもので、居心地の悪さ、非理性的な不条理なことを淡々と見せられている薄気味の悪さを感じさせる。
 
 実際、窓からぼんやりと外を眺めることから、どんどんその本性をあらわにする若妻は、多少考えれば、ちょっと時代に先立った、自由で開放的な性格をしているに過ぎないのだが、義母や夫の抑圧によって歪曲したことによるのか、義母や夫に対する敵意をもはや隠すこともなくむき出しにすると、夫に義理の息子との関係をたたきつけるように宣言し、呪詛の言葉を投げかけることによって彼を死に追いやり、実際に魔女といっても差し支えない存在に変貌したのではないかと思わせることばかりではなく、すでに言ったように、魔女裁判的なことは形を変えていまでも繰り返されることを思って、居心地の悪さは最後まで解消されない。