ケネス・バーク『歴史への姿勢』 29

第二章 中世の総合

 

 生において望まれない利益などない。誰でも、どんな立場にいようと、課外授業を受けねばならないときはある。人間を逆境に満足するようにし、特権は、特権をもつ者が特権という障害を乗り越えるためにある種の努力をできなければ、不毛なものだというのは、単なる方便としての嘘ではない。身体の仕組みそのものによって、人々は努力を賦与されている。努力がなければ腐ってしまうから、いわば自分の意図には関わりなく努力しているのである。「余暇」を与えられた者が、新たな努力によってそれを乗り越えようとしないなら、「心理的失業状態」というほとんど知られていない神経症に陥る。自動車でどこにでも行かせてみるがいい、彼らは足を使わないことによる新たな居心地の悪さを発見することになる。

 

 この努力の必要、身体に基づいた定めが奮闘の源として活用され、人間の正当化の必要とつながりうる。実践的、あるいは美的な形式によって、人は「自分が正しいことを証明」しなければならない。自分が居心地のいい場所をつくる手段を獲得なければならない(こうした支配の最も低次の形は、多分、ブルジョア的な出世の基準として発達した商品の蓄積に対する道徳的責務であろう)。人々は、単にバターを溶かさないためだけではなく、「もっている」ということを示すために冷蔵庫を買う。そして、広告の書き手は、いかに彼らの人間の動機づけに関する考え方が「啓蒙された」としても、一貫してこの「正当化」への餓えを強調するのである。

 

 最近発売された『ニュー・リパブリック』のマルローのインタビューは、この「もうける」という問題を正面から扱っている。もしある人間が、民衆を愛していると語るなら、とマルローは言う、この宣言は何も意味しない。しかし、クルプスカヤが、レーニンの死に際し、「レーニンは民衆を愛していた」と言ったなら、この発言は人を深く動かす。というのも、ここでは、「後からくるもの」が「先を行くもの」から意味を受けとっているからである。この「先を行くもの」と「後からくるもの」との関係は文化的問題の基礎となっている。

 

 例えば、ある発明家が極めて重要な発明をする。それは個人的な生活における無数の特定されない要因が微妙に総合されたものである。発明に外側からかかわり、物質的な仕掛けに注目し、生の目的といった側面はとりあえず脇に置いて、実用的な意味において単にそれを「使用する」我々には完全に失われている、数多くの心的な要素が二次的にまとめ上げられている。しばらくするとそうした工夫の数は増え、我々もそれを「使う」ことになる。発明者の個人的なドラマにあった「先を行くもの」、深く個人的な詩は無視され、我々に残されるのは「後からくるもの」だけである。発明者のように「努力して得る」ことなく、こうした工夫を使うことは、まったく異質な文化の建造物のなかの野蛮人になるようなものである。

 

 こうした不毛、こうした衰弱を避ける方法がただ一つである。新たな問題の基礎づけとして、努力して遺産を継承しなければならない。それを「先を行くもの」として捉え、新たな「後からくるもの」を発展させるよう努めねばならない。もしそうしないなら、散乱するものが我々が想像的に吸収できるものよりも多くなり、遺産を新たな「仕事」の基礎にするよりむしろ浪費してしまうなら、「疎外」の過程が始まる。生は「空虚な」ものになる。二十年を費やして労力節約装置の発明に従事する人間というのもあり得る。彼にとっての心理学的な価値とは、その発明にかかった労働の量であって、その仕掛けが節約する量ではない。彼の行為の頂点から新たな論理を打ち立てる努力をしないならば、彼の個人的な救いは、我々の忌々しさのもとでしかない。彼は満ち足りているにしても、我々は空っぽなのである。

 

 ローマでは乱雑に積み上げられ、最終的にアクイナスの『神学大全』で完成したキリスト教的受容の枠組みは、罪、正当化、努力、疎外といった問題をあからさまに扱っていた。そこに訴えかけるものがあり――ある階級の人間が機会を「利用し」、「マルサス的限界」にまで拡大し、世界を新たなものにするために努力したなら、歴史の進行が変わってしまうがゆえに、痛烈で、抛棄する必要がある場合もある。

 

 偉大な修道院制度が確立される順序を描くことで、曲線のあり方を見よう。最初はベネディクト修道会であり、人間性についての知識を語る緩やかに結ばれた修道僧の集団である。次に、博愛に専心する集団が生まれ、それは新たな可動性の始まりを示している。しばらくすると、戦闘的な集団があらわれ、悔悛や免償といった体面上の作り事に抗し、増大する経済的圧迫に不満をあらわにした。意味深いことに、プロテスタントとの衝突が起こる直前に生じたのがフランシスコ会で、托鉢に従事し、物乞いの受動性を積極的な目的に転換しようとした。そして、宗教改革以後には、プロパガンディストにして相対論的なジェズイットが登場し、古い教義を新しい用語に翻訳することによってヨーロッパでカトリックを再び主張しようとした。(1955年の付記。フランスにおける最近の「労働者司祭」は、工業労働者のなかにより直接的な改宗の方法を探ることで、マルクス主義の影響を反映している。)

 

 逆説的ではあるが、我々は修道院制度を「異端の始まり」と考えることができる。そのそれぞれは、その時代の歴史的力点に従うことで、信仰のある特殊な側面を強調し、それをあらゆる点において重要だと見なすことで全体の均衡を危険にさらしている。正統派は修道院を認め、制度的な全体のうちに、異端の萌芽を予防接種のように植えつけることで、枠組みを作り直そうとする。しかし、聖フランシスコ会のときには限界が近づいていた。長い間、それが異端であるのか、新たな修道会であるのか疑いが残った。恐らく、イタリアで生じ、中心的な正統と密接した言葉で自己を主張できたために、認められたのだろう。遙か北方の、ヴァルド派といった似たような運動は、この戦略的な利点を欠いていたために、異端として始まり、完全な異端になっていった。

 

 ジェズイットについて言えば、彼らはプロテスタントとともに、正統派をも当惑させた。プロテスタントの用語でカトリックを推奨することで、プロテスタントカトリックのために馴致しようと試み、彼らは最盛期のカトリックの絶対主義とは完全に異質な相対論的技術を発達させた――そして、カトリックの思想家たちが、最盛期を記憶している限り、それに抵抗したのは、今日のカトリックの思想家たちが、同じく最盛期を記憶している限り、ナショナリズムと商業活動に反対するべきなのと同様である。

 

 しかし、その無時間性にもかかわらず、教会は変化している――将来のロシアにおいて、思想家たちが社会主義の性質を本質的に変える必要を見いだすようなときがくるのさえ我々には想像できる。ギリシャ正教が再建され、しっかりした共産党役員のもと政治権力に受け入れられるのも想像できる。努力のパターンに重要な転換が必要とされるときがきたら、なぜそうした変化が必要なのか説明できる真剣な人間たちを破門し、非難し、打ち負かすために教会自身が立ち上がると想像することもできる。

 

 我々の歴史的ドラマの第二幕は、中世封建主義にかかわるものであり、その広大な象徴的建築物が、それに付随する生産のパターンと完全に混じり合っているために、それを再現しようとする我々の試みにはいまだに混乱がつきまとっている。

 

 既に述べたように、驚くべき厳格さで、人間の罪を土台としており、巧妙に人々の罪に対する感覚を強め(以前には一つの罪しかなかったところに、二つの罪を認める)、その罪を適切な儀式と、慣習によって確立された社会的身分への忠誠によって鎮められるようにする。

 

 アウグスティヌスに従い、トミストは、政府、財産、奴隷を、アダムの失墜への罰として、神の判断に委ねた。かくして、確立された体制は神の体制であり――それを疑問視することは神を疑問視することである。教会人は完全ではないと認めねばならないが、キリストの身体をもとに地上に設立された教会は完璧だった。それゆえ、教会の成員によってこの完璧さは共有され、極端に個人的な発案(「野心」)によって自己を「正当化」しようとする誘因は脇に逸らされている。

 

 社会について「有機的な」理論が存在していた。後のプロテスタントでのように、人々がなにに似ているか問われることはなかった。戦う人間、働く人間、祈る人間がそれぞれ存在し、各々が一般的な繁栄に寄与している。(その有機的理論は、天における平等に訴える「総合」の働きで、貴族と農奴との不釣り合いを「超越した」。)全体が一つの建築になっており、文化的構築物は実際的なものと精神的なものの双方を含んでいた(生産方法とシンボリズム)――そして、建築という隠喩に含まれる静的な意味合いが強調された。

 

 別の鍵となる隠喩は家族である。社会学者が言うように、我々は原始的な部族を小さな共同体ではなく、大きな家族と考えるべきである。トミストの枠組みは、この家族的な観点を普遍的な限界まで押し広げた。教会制度は、「父親たち」、「母親たち」、「兄弟」、「姉妹」、そして唯一の「父親と母親」という家族関係の大規模な複製として描かれる(罪を犯した息子を、象徴的な父親殺しとしていつでも締めだすという特に役に立つパターンがある)。この隠喩から、慣習に具体化された権威に対する服従の必要が生じる。家族では「評決」は行なわれない。権威は政治の場のように、代表として選ばれているのではない――それは、慣習という魔術のもと、まさにあるがままに存在するのである。そして、家族の愛情は、正確に金銭に換算することはできない。

 

 この枠組みに対する抵抗は、どの点においても、必然的に「罪」と感じられるために、枠組みは自律的な様相を帯びる。罪は悲惨なものであり、悲惨さは交わりを愛する――こうして罪への衝動は集団的な努力を補強することができる。他人の仲間に加わることで、人間は無罪放免される。

 

 初期の福音主義的枠組みは完成しなかった。広範囲にわたる生産パターンを織り込むことがなかったのである。それは方法において極端であったが、トミストはそうではない。完成された正統的な信仰がすべてそうであるように、トミストは、物質的な「不完全な世界」を精神的完璧さの理論に適合させるのに必要な折衷案を発達させた。論理的整合性と、文化的要素の割合を歪める社会的圧力に強いられて、自ら窮地に追いつめられていったのが異端者である。異端者は、自由意志が存在するのか、あるいは決定論しかないのか決定しようとする――正統派は、恩寵の説を使って、その中間の道を探り当て、自由意志決定論が存在すると述べるだろう。異端者は、身体に罪があり、どんな罪を大目に見るとしても、身体だけは辱めるべきだと決するだろう。正統派は、身体は罪への傾向があると主張はするが、また、身体の生は純化した身体による天上における生を準備するものだと諭しもする。このように、初期の福音主義の枠組みはその本質において非妥協的だったが(人間に聖性か堕落かの単純な二者択一を強いた)、トミストの枠組みはそこに濃淡を導入したのである。そこには「段階」が、「階梯」があり、信心において貧しい人間が自分自身を宗教的だと考えることさえできる緩和的な虚構が存在した。

 

 我々は、西へと拡張した道が、東へと拡張していく権力によっても使用されることに注目した。教会の緩和作用のある虚構もこの類のものである。それは「あれもこれも」理論によって、「あれかこれか」を排除する。聖人か堕落かである必要はない。聖人と堕落の双方であり得る。(人はアダムの堕落によって悪を受け継いでいるが、教会の一員となって、聖体としてキリストの完全性を共有することで善でもある。)こうした緩和の虚構によって、再生といった意味合いを捨て去ることなく、腐敗に向かう道を進むことができる。しかし、東に西に向かう道と同じように、この仕掛けは両義的である。妥協を容易なものとしてしまう。救いとなる恩寵はどんな政策にも見いだされる。当然、こうした優秀な装置をマルサス的限界にまで利用しようとする傾向があった。*

 

 

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 すべての異端が「経済的に」説明できるかどうかは疑わしい。精神というのは進取的で――自らの創案で他の創案を抜き去ることで世界を「獲得」しようとする――その力は異端においても考えるに値する。しかし、異端が大集団を擁し、正統に対して積極的な抵抗をし、力の使用にさえ至って、始めて我々は経済的な要因を探ることができる。

 

 経済的要因は、異なった党派が正統派が供給する資源と異端が供給する資源とを「利用し」、異なったシンボルに体系化された生の様態が衝突したときにかかわってくる。(シンボルの戦いというのは、別の言葉でいえば、「容器」はそれが含んでいるものではなく「ラベル」によって明らかになるということで、それは十九世紀のドイツで、ダーウィニズムが単なる純粋科学の問題ではなく、封建主義の生き残りに対抗するブルジョアの抵抗の容器であったようなものである。)この過程は新たな文化的材料の勃興がなくとも生じうるだろう(つまり、生産と防衛の新たな道具や、中世の実体経済の根拠を脅かす金銭の増加、あるいは、自分の労働力をより高く売れるようにする疫病など)。しかし、むしろ、新たな要因は、それを包みこもうとはしていない古い枠組みをより押し広げるといった方が正確である。

 

 受容の枠組みが服従させるのに役立つなら(封建主義の家族のメタファーのように)、人々を徐々に組織化し、その鉱脈がつきるまで「掘り進む」ことが予想できる。いかなる枠組みであれ、搾取の源である――それが与える機会は、「マルサス的限界」に達するまで、効率よく捉え続けられる。この過程は枠組みの有用性を危険にさらす。そして、もちろん、新たな資材の登場が、そうしたものを扱うことなど予定になかった枠組みを更に危険にさらすこともある。

 

 一時的に、枠組みが詭弁的な拡張を新たに強いられるような状況もあろう。トミストの折衷的な教義にも、教会がプラトン的、福音主義的な別世界の重視から、現世を重視するアリストテレス的リアリズムに移行する際必要となった詭弁的な要素が見て取れる。初期の異端が、正統派によって、しばしば、修道院制度として矯正されたことにそのからくりが見て取れる。また、利害が敵対するものに対する中世の破門が、教皇や野心のある君主の交替によって巧妙に無効化される法的虚構にそれを見ることもできる。本来関心というのはすべて利子のことだったが、こうした虚構が関心と利子との間に微妙な区別をつくりだしていった。

 

 しかし、詭弁がそれ以上働かなくなる点がくる。矯正という両義的な方法が働きすぎてしまうことがある。枠組みを拡張する手段であったものが、逆に拡張され、結局矯正ではなく堕落と感じられるようになる。例えば、我々のなかには、最高裁判所の保守的な人間が憲法のもともとの枠組みを堅持し、憲法がつくられてから生じた新たな事態に対して対応するような法的処置を執っていないのを見て、矯正よりは堕落を感じる者もいよう。

 

 枠組みはそれが壊れてしまうまで引き延ばされよう。こうした破裂が近づいてくると、我々は三つの重要なしるしを見いだす。詭弁と権力以外に、枠組みが準備できるだけ、祈りに頼ることが増えていく。中世の枠組みは、この点に関して例外的なほど多くの財産をもっており、その職業が祈りの専門家をつくりあげていた。そして、請願や非難によって最も悪化したときには、この「働きかけ」の過程は切迫したものとなった。つまり、正統派の「段階的な」救済という枠を越え、反抗者を力ずくで脅しつけたのである。プロテスタンティズムの時期がすぐそこにきていた。

*1:

*イソップは、「説得は力ずくよりいい」という格言を取り上げ、それを北風と太陽の競争という寓話にした。「北風が最初に自分の力を試し、力の限り吹きつけた。しかし、強く吹けば吹くほど、旅人は外套を強く身に巻きつけた。結局、勝つ見込みがなくなり、太陽になにができるか見せてみるよう求めた。太陽は突然、最大の明るさで輝き始めた。旅人は暖かい光を感じると、次々に服を脱いでいき、最後には、なんとか暑さを凌ぐために裸になり、道にある小川で水浴をした。」

 

 告解制度は、この物語の独創的な変種である。教会の詩人たちや心理学者たちは、沈黙が積み重なると恐るべき力となることを十分理解していた。彼らは話すことが治療的な役割を果たすことを知っていた。そこで、人を裸にさせることができるような哲学的な日光を発明したのである。

 

 実際、彼らは人間を自分自身の探偵のように振る舞わせた。「自らの自由意志によって」、人はそうでなかったら精神の監督官でも近づきがたい告解を行なう。

 

 仮定の話によって、こうしたことが悪用されるやり方が例示されよう。「神経症」の社員を「治療する」ために心理学者を雇う企業内組合を想像してみよう。社員の告白は率直なものであろうし、そうでなかったら効果的ではない。例えば、会社の管轄外の他の組合に加わる「誘惑」を感じたことをその度に告白しなければならない。

 

 会社組合の心理学者が重要な情報を雇い主に告げでもして、告白の秘密が漏れるのではないかと言おうとしているのではない。外部の組合に参加するという誘惑が、それ自体「神経症的」だと定義されるなら、「厳密な論理」に従って、社員は教父とともにこの「誘惑」から「自由になる」ことによってのみ、「治療」の希望がもてることになる。それゆえ、彼がその前提を受け入れる限り、自分自身で探偵を「受ける立場」に置きながら探偵を行なっている。

 

 教会の枠組みは、確立された所有関係を維持するために採用された。それゆえ、いかなる点においてもそれを疑問視することは、自動的に、「外部の組合に参加しようという誘惑にさらされている」ことになる。そして、この「誘惑」を「治療する」には、自動的に、全力をあげて確立された所有関係を維持することになる。

 

 しかしながら、最終的には、より権威のあるものがそれを「利用し」、従順さを限界点まで引きだそうとして、この完璧さそのものが無秩序を拡大する結果となる。

 

 同じようなことのあらわれは、南部の「よい黒人」と「悪い黒人」の区別に見て取れる。「よい黒人」とは自分の劣った身分を受け入れ、それを最上だとする。「社会的優位者」はしばしば、外面上の優しさで彼に報いる。しかし、彼らはまた、黒人全体の悲惨さを増大させるような条件を認めることで、それを「利用する」。最終的には、従順と服従の報酬を得ることができない黒人が生まれる。皆に行き渡るだけの施しはない。ここで憤りを見せる黒人はなんらかの方法で罰せられる。彼らは「コーナーに追いつめられる」。彼らの憤りは、悪循環によって、「有意義」になり、優位者はより以上の罰や報酬を与えないことによってそれにあたるのである。結局、「底からこぼれ落ちた」黒人は「悪い黒人」になる。そして、単によい黒人と悪い黒人が存在すると語られ――経済的要因と心理学的要因が合わさってこうした区別が更に拡がっているのだという正確な批評から逸らされてしまう。