出来事の零度ーーアキ・カウリスマキ『希望のかなた』(2017年)

 

希望のかなた [Blu-ray]

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脚本、アキ・カウリスマキ。撮影、ティモ・サルミネン。

 

 シリアの内戦から逃れ、いくつかの国境を越えて、転がり込んだ石炭を積載する船がフィンランド行きだった。そこでカリード(シェルワン・ハジ)は、真正直に難民申請をするが、却下されてしまう。カリートは内線ではぐれてしまった、家族での唯一の生き残り、妹の行方を捜している。自分と同じような足跡をたどったのだとすれば、ヨーロッパのどこかにいるはずだ。なんとしても妹を捜しあてたいと思っているカリートは、国外退去になるところを逃げだす。

 

 一方、フィンランド人の初老の男、ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は、おそらくはそれまでの生活がいやになってしまったのか、妻の元を離れ、洋服の卸を商売にしていたようだが、すべての商品を売り払い、カジノでその金を数倍にすると、以前から考えていたレストランの経営に乗りだす。

 

 カリートは難民の排斥を主張する国粋主義者の3人組に目をつけられていて、逃げ込んだところでヴィクストロムと出会い、店で雇ってもらうことになる。

 

 内戦の現場がニュース映像で流れ、まさしく現代のヨーロッパを揺るがせている難民問題が取り上げられ、ある意味アクチュアルな出来事が扱われるのは、アキ・カウリスマキにとっては珍しいことだといえるかもしれないが、いつものスタイルは変わらない。

 

 表情の零度ともいうべき登場人物たちのデットパンも相変わらずだが、より先鋭化しているとも思えるのは、同じく表情にとぼしい、カリードを付け狙う狂信的な愛国者たちはより良識的な無表情の者たちに妨害されて、コメディ・リリーフ的な役割を果たすに過ぎないのだが、最後に深刻な事態を引き起こす。

 

 妹は同じく無表情なレストランの経営者などの力添えによって、嘘のようにあっけなくトラックによってフィンランドに運び込まれ、ヴィクストロムはあっけなく妻とよりを戻すのだが、カリートに訪れた同じくあっけなくも深刻な事態は、夜のつややかさといい、重要な出来事はそれが重要であるために気取って自らを顕示しながらやってくるものではない、ということが徹底されていることによって、北野武の映画を思わせるところがある。

 

 先日、もう映画を撮ることはやめると宣言したカウリスマキだが、無表情な者の、社会からの疎外と、共感をよせる者たちの結びあいを一貫して描いてきた。表現の零度とは、出来事が常に未発状態にあることであり、カウリスマキの映画に嘘のようなハッピーエンドと、悲惨さの双方があることに不思議はなく、いずれにしてもそれは「希望のかなた」に瞥見するしかないものなのである。

信仰に固定しない散文ーー石川淳『焼跡のイエス』(1946年)

 

焼跡のイエス・善財 (講談社文芸文庫)

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芥川龍之介全集 全8巻 (ちくま文庫)

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 石川淳が最もファルスに近づいたのは、「おとしばなし」の冠のもとに書かれた諸作品、『堯舜』、『李白』、『和唐内』、『列子』、『管仲』、『清盛』などにおいてである。しかし、これらは道化に徹底し、なにかわからぬエネルギーがひたすらほとばしっている坂口安吾のファルスとも、常識と非常識(ご隠居や大家と与太郎)の境目がぐらぐらと揺れ動いたり入れかわったりする落語ともその趣がまったく異なる。
 
 ここでは、堯、舜、列子管仲、清盛といった歴史上の人物たちが伝法な言葉で語り、それぞれ一応落ちらしきものもついているのだが、猛烈な道化ぶりによってあらゆる価値が破壊されるようなことも、巧みなあるいは強引な論理の操作によって価値の反転が行われるわけでもない。交わされる言葉こそくだけたもので、その言葉の独特さにこそこの連作の面白みがあるのだが、内容は他の小説で書かれているようなこととさしたる径庭はないのである。
 
 つまり、『堯舜』では恋愛、『李白』では脱俗的生活と俗中での生活、『和唐内』では思想と生活それに行動へと向かう契機について(女房にすべてもちさられ「甘輝、気をおとすな。運動がはじまるのはこれからだ。しつかりしろ。」/「だつて、このとほり一文無しぢや、手も足も出ねえ。生活の窮地におちいつたよ。」/「生活の窮地とかけて、何と解く。」/「はてね」/「これを宇宙の空虚と解きやす。」/「その心は。」/「されば、力のはたらく場所さ。」というのが落ちで、「おとしばなし」のなかではもっとも石川淳らしい落ちだろう)、『列子』では夢と現実、『管仲』では政治、『清盛』では権力からの解放について書かれていて、テーマは他の小説やエッセイと変わらない。そしてその価値判断は、決して単純なものではないにしろ、率直にあらわされているのである。
 
 戯作者化と称されてきたにもかかわらず、石川淳は逆説的言辞やイロニーとは無縁な作家である。しかしながら、石川淳には『焼跡のイエス』、『燃える棘』、『かよひ小町』、『雪のイブ』、『処女懐胎』といったキリスト教を題材にとった諸作品がある。
 
 これら一連の作品は、まさに、信仰の逆説、俗から聖への一瞬の転換、汚穢に満ちた現実に神々しい光が差し込むことによって価値が逆転するさまを描いたものではないだろうか。だが、これら諸作品で試みられているのも価値の逆転のようなことではない。このことは、石川淳が親しく読んでいたアナト-ル・フランスや芥川龍之介キリスト教を題材にして書いた小説と比較してみるとより明瞭に理解される。
 
 第一に、石川淳の諸作にあっては奇跡も秘密もない。フランスの『聖母の軽業師』のように聖母像が祭壇から降り立つということもないし、芥川の『奉教人の死』のように傘張りの娘と密通した咎で破門された神父が実は女性だったというような秘密が隠されているものでもない。言い方を変えれば、小説全体の意味をもう一度始めから組み変えなければならなくなるような遡及力のある意外な結末に石川淳は無縁である。
 
 『焼跡のイエス』で言えば、「ボロとデキモノの少年」がイエスであることは秘密でもなんでもない。語り手である「わたし」が敗戦後の市場で初めて少年を認め、少年とムスビ屋の若い女がもみ合いになるのを目撃し、よろけてきた二人に跳ねとばされたとき、つまり小説の中盤に既に「わたし」は「メシアはいつも下賤のものの上にあるのださうだから、また律法の無いものにこそ神は味方するのださうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびこらうとする人間のはじまり、すなはち『人の子』の役割を振りあてられてゐるものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだといふことはまづうごかない目星だらう」と述べる。
 
 第二に、神性の開示のあり方が異なる。その後『焼跡のイエス』の「わたし」は、服部南郭の墓碣銘の拓本を取るために谷中へ向かう。気がつくと少年が「血に飢ゑた狼」のように後ろについてきていて、その距離がだんだん近づいてくるのがわかる。思い切って振り返った途端に少年は飛びかかってくる。「わたし」は死にものぐるいで少年を組み伏せ、「ウミと泥と汗と垢とによごれゆがんで、くるしげな息づかいであへいでいる」顔を見下ろす。
 
   
    わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかつた。わたしは少年がやはりイエスであつて、そしてまたクリストであつたことを痛烈にさとつた。それならば、これはわたしのために救ひのメッセーヂをもたらして来たものにちがひない。わたしはなに一つ取柄のない卑賤の身だが、それでもなほ行きずりに露店の女の足に見とれることができるといふ俗悪劣等な性根をわづかに存してゐたおかげには、さいはひ神の御旨にかなつて、ここに福音の使者を差遣されたのであらうか。わたしは畏れのために手足がふるへた。
 

 

 
 『聖母の軽業師』。修道僧になった軽業師は先輩たちのように、絵を描いたり石像を刻んだりする神を讃えるための仕事をもたない。聖母の祭壇の前で軽業をすることができるだけだった。それを見た院長たちは乱心したものと思い彼を取り押さえた。
 
     三人は力を合せて礼拝堂から引き摺り出そうとした。ところがそのとき三人は、祭壇の階段を降り給う聖母の姿を見た。降り立たれた聖母は、軽業師の額から滴り落ちる汗を、青色の外套の裾でお拭いになった。
     すると修道院長は平れ伏して、面を床の敷石につけたまま、次のような言葉を唱えた。
      「福なるかな素直なる人、彼らは神を見るべければなり。」
      「亜孟。」と、古参僧は地面に接吻しながら答えた。(水野亮訳)

 

 
 『奉教人の死』。破門されて姿が見えなくなっていた「ろおれんぞ」は、火事のなかに飛び込み、密通の結果できたと思われている子供を救い出す。だが、女性である「ろおれんぞ」は父親ではあり得ない。
 
   
    見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。御主「ぜす・きりしと」の御血潮よりも赤い、火の光を一心に浴びて、声もなく「さんた・るちや」の門に横わった、いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のように露れておるではないか。今は焼けただれた面輪にも、自らなやさしさは、隠れようすべもあるまじい。おう、「ろおれんぞ」は女じゃ。「ろおれんぞ」は女じゃ。見られい。猛火を後にして、垣のように佇んでいる奉教人衆。邪淫の戒を破ったに由って「さんた・るちあ」を逐われた「ろおれんぞ」は、傘張の娘と同じ、眼なざしのあでやかなこの国の女じゃ。
     まことにその刹那の尊い恐ろしさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝わって来るようであったと申す。

 

 
 アナトール・フランス芥川龍之介では、神性は客観的に認められるものでなければならない。なぜなら、客観的に認められることによってはじめて価値が逆転するからである。聖母が祭壇から降りてくること、「ろおれんぞ」の乳房があらわになることによって、軽業師が乱心したと思っていた修道院長たち、「ろおれんぞ」を非難していた奉教人たちの信じていること、価値観は相対化される。更には、それを読んできた読者の視点が揺すぶられ、結末の意外性が感じられることにもなる。
 
 だが、石川淳では、「わたし」が少年にイエスを認めているにしろ、それを証明するしるしは書かれないし、しるしがあったにしろ、それを認めるいわば読者の代わりになるような第三者がいない。客観的に見れば二人の男が取っ組み合っているだけであり、そこになにか神的なものが現われたしるしはまったくないのである。それゆえ、この世ならぬ神的なものが地上の常識を覆す鮮やかな反転はない。
 
 それでは、「わたし」の価値観の転換、つまり、宗教的な回心のようなものがここで起こったのかというと、そうとも言えない。既に述べたように、「わたし」は小説の中盤で少年のうちにイエスを見ており、最後の取っ組み合いはそれを再認したにとどまる。「わたし」は「やはり」少年がイエスでキリスト、つまり救い主であることを認めるが、それによって信仰を得るわけでも、フランスや芥川のように信仰の神秘を悟るわけでもない。
 
 小説の中盤と終盤の二回の少年との関わりに違いがあるとすると、それはほとんど彼との接触の激しさの違いに限定される。中盤では、露店の女ともつれ合って偶然の結果よろけてきた少年が、今度はそうした夾雑物なしに、生なかたちで、しかも明確な意志のもと襲いかかってくる。
 
 「わたし」は「恍惚となるまでに戦慄」する。しかし、それは彼がもたらした「救ひのメッセーヂ」によるものではない。そのメッセージがなんであるのか、そもそも「わたし」がなにから救われなければならないのかは明らかにされない。この「戦慄」は、ただただ少年の「苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔」を「わたし」が激しいもみ合いのうちに「まのあたりに見た」感覚の強烈さによるのである。
 
 であるから、次の日「わたし」は再び上野の市場を訪れるが、そこには救い主への熱烈な思慕があるわけではなく、「ここに来たのは、きのふのイエスの顔をもう一度まぢかに見たいとおもつたからである」というほどのことであり、あたかも少年の顔が本当にイエスの顔のように見えるのかもう一度確認してみようとでもいうかのようである。加えて、「そして、ついでに、やはりもう一度ぐらゐは、あのムスビ屋の女の足を行きずりに見物してもよいといふふとどきな料簡はまだあつた」という欲望も健在で、イエスでありキリストでもある少年に巡り会ったにもかかわらず、「わたし」の料簡は始めから最後までなんら変わることはない。
 
 上野の市場は市場閉鎖で昨日とは様子がまったく異なっている。縄が張られ、そのなかは人影もない。「きのふまでの有象無象はみな地の底に吸ひこまれてしまつたのだらう。イエスのすがたも、女の足も、今は見るよしがない。もしわたしの手足にまだなまなましく残つてゐる歯の傷爪の傷がなかつたとしたならば、わたしはきのふの出来事を夢の中の異象としてよりほかにおもひ出すすべがないだらう」ということで、「わたし」を変え、「わたし」に残ったものといっては「歯の傷爪の傷」だけであり、後は「夢の中の異象」に等しい。
 
 要するに、ここでも、問題になっているのは神や信仰の力による価値の逆転なのではなく、イエス・キリストと女の足が緊張関係を保てるような散文である。
 
 アナトール・フランス芥川龍之介キリスト教を題材にした小説では、神や信仰の力があたかも逆説的表現、価値の逆転のための道具として用いられるようなところがあり、そのためにしばしば彼らは「主知的」と非難される。
 
 そして、彼らに対する批判者たちは、本当の宗教、本当の信仰は、こうした知的遊戯に見まがうもののなかにはないと、真の信仰とそれに見合った表現方法を求める。だが、フランスと芥川の後続者たる石川淳の方向はそれとはまったく異なる。
 
 石川淳は、むしろ、真の信仰や思想に縁がないことにこそフランスや芥川の真価を認める(「出来上がつた人柄全体を支へてゐるものは位置の定まらぬ知識の集合と見るほかなく、ただそれが限られたひろがりの中で統一されて、かなりうつくしい教養の平面図を形成してゐた。そして、この平面図は遺憾ながら運動を知らない性質のものであつたにも係らず、図形の範囲内では変化流通に富んでゐて、そこに凝りかたまつたものがなにかの思想になるなどといふ野暮な沙汰には及ばなかつた」「アナトール・フランス」)。
 
 フランスや芥川に物足りないところがあるとすれば、真の信仰を知的に矮小化していることにあるのではなく、逆説や価値の逆転によって信仰を描くことに、いまだ真の信仰に対するノスタルジーが残っていることにあるだろう。あるいは、神聖なものを俗世界とは別次元にあるものとし、神聖なものが俗世界に介入するや、俗世界がその運動を止めてしまうような事態、言い換えれば、言葉が神聖なものに突きあたったときに、それを言葉にすべからざるものとし、そこで文章の運動が終わってしまうようなところが両者にはまだある。
 
 石川淳がなしたのは、この聖と俗との重層性を文章に一元化し、聖なるものが俗なるものには入り込んだときに生じる文章の遅滞、硬化を解消することによって、言葉を速やかに流通させることだった。このとき石川淳が範としたのは、彼が江戸において発見した「やつし」あるいは「俳諧化」だった。
 
 この操作によって、例えば、佐久間家の下女は能の『江口』の江口の君になり、それを通じて大日如来になる。つまり、佐久間家の下女とは限らない、ある市井の女性が、西行に宿を断り、断られた西行が詠んだ歌「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」に対して「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と返歌した江口の君に見立てられ、この江口の君は謡曲『江口』に従えば大日如来の化身である、という道筋になる。だが、「俳諧化」とは、実際には、こうしたまわりくどい分析を経るべきものではなかった。ある女性即ち江口の君即ち大日如来、でそこに遅滞はない。
 
 
     江口の君をおもかげにしたこのお竹の説話から、何らかの思想を抽象しようとするのは愚に似てゐる。仏説の縁起観がはたらいてゐるといつただけでは説明にもなるまい。けだし、江戸人にあつては、思想を分析する思弁よりも、それを俗化する操作のはうが速かつたからである。かれらにとつて、象徴が対応しないやうな思想はなきにひとしかつた。かれらがときに無思想と見られがちである所以だらう。げんに、お竹説話に於て、われわれはそこに二重の操作しか見ない。一面は江口こそ歴史上の実在で、お竹こそ生活上の象徴であるやうな転換の仕掛に係る。また一面は眼をひらけばお竹、眼をとぢれば大日如来といふやうな変相の仕掛に係る。いはば、お竹すなはちやつし大日如来である。またお竹説話すなはちやつし仏説縁起観である。そして、この仮定が忽然と生活上に立てられたとき、それは歴史上の現実たる江口説話に依つてとうの昔に証明済といつたあんばいで、とたんに?でもうごかない。さつそく筆まめな学者先生がお竹の実話を随筆に書いたり、慾ばりの香具師がお竹の遺物を小屋掛で見せたりする。江戸に於ける俗化といふことばは右体の次第から離れたところではたちまち意味をうしなふだらう。またやつしといふ思想はおなじことばのやつしといふ操作と不可分であるところにはじめて活機をうるだらう。このやつしといふ操作を、文学上一般に何と呼ぶべきか。これを俳諧化と呼ぶことの不当ならざるべきことを思ふ。
                        (「江戸人の発想法について」)

 

 上野の市場を徘徊する「ボロとデキモノの少年」がなぜイエス・キリストなのかは少しも問題ではなく、「ボロとデキモノの少年」をイエス・キリストと見ること自体、そうした仮定から引き出されるもののみが重要である。
 
 であるから、お竹に大日如来を見ることが格別、宗教心のあらわれではないように、少年にイエス・キリストを見ようと、そこに特別な信仰、例えば、ある種のキリスト教神秘主義のように、もっとも悲惨な現実のなかに天上的な美しさを幻視するといったこととの関わりがあるわけではない。
 
 ただ、イエスという人物が最下層の貧者や病者とともに生活をしたこと、その記録が聖書に記されていること、そして、悲惨なもののなかに神々しさを見るような伝統がキリスト教にあるという事実の集積が「ボロとデキモノの少年」とイエス・キリストを同一視することを正当化し、また、それだけで十分なのである。「ボロとデキモノの少年」は、少年即ちイエスという操作によって流動化する。飢えと貧しさの悲惨さしかあらわしていないかに思われた少年が、イエスと結びついたとき、イエスにまつわる膨大な記録と夢想の記憶が同時に流れ込み、少年はなにか得体の知れないものになる。
 
 あるいは『処女懐胎』では、貞子が妊娠しながら「さういふ原因に当たるやうなしぐさは、なにもしたおぼえないわ」と主張するが、それが事実そうであるのかどうかはたいした問題ではない。「処女懐胎」という要素の混入によって、通俗的とも言える中流階級とそこでの三角関係という図式がどこか予想できない方向に向けて流れ出すのである。
 
 姉は貞子の言葉を信じながらも「つい手の下にある妹のからだが突然消えうせて行くやうにおもつて、ぞっと」するし、貞子をめぐる三角関係の一方をなす伝吉は彼女の言葉を大して信じる気配も見せずに「きみの子でもだれの子でも、おれの知つたことぢやねえ。おれはこどもを生む女なんか大きれえだ。あいつが腹のふくらんだ格好なんざ、うふ、をかしくつて目もあてられねえ。おれはそんなものには惚れてなんかやらねえよ」と啖呵を切り、もう一方の徳雄の方はいわば貞子の言葉に感応するよう聖痕的な徴を見て、膠着状態にあったそれぞれが異なった方向に動きだすのである。
 
 イエス・キリスト処女懐胎といっても状況を流動化するための契機にしか過ぎない。この意味で、石川淳は、イエスや奇跡や信仰が物語すべてを支え保証するアナトール・フランス芥川龍之介の小説を「俳諧化」していると言える。

逍遙する書物ーー富士川英郎『失われたファウナ』(1980年)

 

失われたファウナ―消間詩話 (1980年)

失われたファウナ―消間詩話 (1980年)

 

 

 森鷗外の史伝に、しばしば江戸時代の医学関係の本を鷗外が借りる人物として富士川游という人物が出てくるが、富士川英郎はその息子である。もともとはドイツ文学者であり、リルケのものを多く訳している。また江戸時代の漢詩に造詣が深く、『菅茶山』という鷗外に倣った史伝の大著をあらわしている。

 

 私にとって、柴田宵曲森銑三富士川英郎は、実際の部屋では散らかっていてそれどころではないが、頭のなかでは同じ棚にはいっている。どの著者の作品も、特に奇をてらったところがなく、表だった技巧を凝らすことなく、詩や文章を紹介していくだけの文章が多いのだが、不思議なことに読んでいて面白く、飽きることがない。

 

 ちょうど黄金期のハリウッド映画が、カメラの存在を意識させることなく、抜群に面白い映画を量産していたときのように、もちろん各人の鍛え抜かれた審美眼はあるのだが、その趣味性が意識させられることがなく、本がそこに読まれるべく存在しているかのようなのだ。

 

 富士川英郎柴田宵曲森銑三と異なるのは、あとの二人がその守備範囲が、江戸から明治の時代に限定されているのに対し、ドイツ文学、より広くヨーロッパ文学といった方がいいが、それに日本に関しても萩原朔太郎を中心とした近代詩まで範囲が広いことにある。

 

 この本は古今東西の詩歌のなかから、動物に関するものを紹介している。以下に各章で取り上げられる人物をあげてみよう。それ以外にも各所に俳句や短歌が入っているが、煩瑣になるのでそれは省略する。

 

 蝿の詩 ウィリアム・ブレイク天明から寛政へかけて江戸・京都で活躍した六如上人、萩原朔太郎薄暮の部屋」、「蝿の唱歌」、リルケ『マルテの手記』。

 

 蛇の詩 江戸初期の医者中山三柳の随筆『醍醐随筆』、千家元麿室生犀星、D・H・ロレンス、リルケ

 

 蛙の詩 ドイツの詩人、リヒャエル・デーメル「静物」、六如上人、幕末の豊前の詩人村上佛山、萩原朔太郎草野心平「月夜」。

 

 蝶の詩 ヘッセの「晩夏の蝶」、菅茶山、リルケジュール・ルナール三好達治、廣瀬淡窓、萩原朔太郎、エミリー・ディキンソン「蝶」、安西冬衛

 

 蝉の詩 尾崎喜八「蝉」、三好達治、江戸の詩人大窪詩佛、宋の寇準、唐の薛濤、ギリシア詩歌、アンドレ・シュアレス、ヴァレリーラフカディオ・ハーン尾崎喜八「鎌倉初秋」。

 

 象の詩 柳原紀光の随筆『閑窓自語』、谷崎潤一郎の『象』、ルコント・ド・リール高村光太郎「象」「象の銀行」、千家元麿室生犀星の「象」。

 

 獅子の詩 オーストリーの詩人、リヒャルト・シャウカルの「ペルセポリス」、ゲーテファウストニーチェツァラトゥストラ』、白楽天、森島中良『紅毛雑話』、福沢諭吉『西洋事情』、西園寺公望欧羅巴紀遊抜書』、リルケの「ライオンの檻」、高村光太朗の「傷をなめる獅子」。

 

 虎の詩 正岡子規ウィリアム・ブレイクの「虎」、萩原朔太郎の「虎」、『宇治拾遺物語』、江戸後期の儒者津坂東陽『夜航余話』、蔵原伸二郎の「虎」、中島敦山月記」。

 

 鶏の詩 コクトー陶淵明安西冬衛三好達治、廣瀬淡窓、萩原朔太郎「白い牡鶏」、「田舎の時計」、伊藤整の「雪明り」。

 

 鴉の詩 幕末の詩人村上佛山、北原白秋永井龍男、讃岐の詩人尾池梅陰、萩原朔太郎ニーチェの「寂寥」、唐の張継、大窪詩佛、日夏耿之介、ポー、堀口大学、ゲオルク・トラクール

 

 鼠の詩 アーサー・シモンズの「鼠」、江戸の医書『痩狗傷考付録』、ホフタンスタール『チャンドス卿の手紙』、ゲーテファウスト』。

 

 『失われた』と題名にあるだけに、どことなく挽歌的な調子があることが、この著者にしてはやや珍しい感じもする。

 

 「蝶の詩」に引用されているリルケの詩をあげておこう。

 

 墓場の塀を超えて

 風に吹きつけられてきた 蝶々

 たぶんほかの花よりももっと無尽蔵な

 悲しみの花を吸いながら・・・・・・

 

 墓に供えられた花が

 ほかの花より躊いがちに咲くのを

 すべての庭園のほしいままな努力のいとなみに

 結びつけ ひきいれる 蝶々

 

という詩は、墓に供えられている花の蜜を吸った蝶が墓地の塀を超えて、ひらひらと舞ってくるところを歌っているが、この詩においても見られるように、蝶はしばしば陰影や、死や、霊の世界と結びつけられ、その世界からの使者としてもみなされているのである。

 

男の首――三遊亭圓楽『たがや』

 

五代目 三遊亭圓楽 名席集 たがや/高田馬場

五代目 三遊亭圓楽 名席集 たがや/高田馬場

 

 

 多分一番最初に好きになった落語は『たがや』であったと思う。落語の噺のなかではもっともよく知られたもののひとつだろう。

 

 両国の川開きの当日、特に両国橋の上は花火を見物する者たちで立錐の余地もない。その橋の一方からはたがやが、反対側からは供を連れ馬に乗った侍が人混みを向こう側に通り抜けようとする。たがは桶や樽を外側から締め、形をまとめておくためのもので、たがやはその材料となる竹を丸めて持ち運ぶことになる。

 

 橋の中程まできて、たがやと侍たちがすれ違おうとするとき、押された拍子にたがやのもっていたたがが外れ、馬上の侍の笠をはね飛ばしてしまう。収まらないのは侍たちである。どんなにたがやが謝っても許そうとはせず、屋敷にこいの一点張りだ。屋敷に行けば命はないことはわかっているから、せめて病気の親の後の始末を頼んでから出向くことで許してくれと頼むが、侍はいっこうに聞き入れようとしない。

 

 そればかりか、橋の上の見物衆がみなたがやの味方をするので、手討ちにいたすと刀を抜いた。もはやここまで、と腹をくくったたがやは啖呵を切り、侍たちと立ち回りを始める。二人を血祭りにあげ、中間から槍を受け取って馬上にいた侍がじりじりと迫ってきたときには、もはやこれまでと観念したが、うまく懐に入ることができ、横に払った一文字に、侍の頭が中天高く飛び、たがやーっと見物から声がかかる。


 東大落語会編の『落語事典』には「町人の武士に対するレジスタンスを現わした落語の一つ」などと書いてあるが、眉唾物である。それに倣えば、『首提灯』は封建的な身分社会をあらわしたものだとでもいうのだろうか。

 

 また海賀変哲は『落語の落』で「・・・全く無味乾燥なものだ。只たが屋が、武士に悪口するところは、彼の「首提灯」に似ては居るが、比較にならぬ拙作である。この話しや「はで彦」の如きは、僅かに円蔵の快弁に依って命脈を保って居るもので、他の者が話したら、欠伸の百も出る事だろう。」と非常に手厳しい。


 しかし、この落語は話の内容を聞かせるようなものではなく、中天高く飛ぶ首というファンタジーをひたすら満足させるためのものではないだろうか。空気が詰まっているわけでもなし、横に払った刀によって頭が宙高く飛ぶなどファンタジー以外の何ものでもないのだ。たがやと武士のやりとりなどは、ファンタジーに到達するまでの助走に過ぎないのである。その点、たがやが侍に謝るとき、三代目桂三木助が病気の親どころか、痩せこけて親のことを頼んで死んでいった兄のことまで持ちだすのは全くの蛇足である。


 もともとこの噺で首を飛ばされるのはたがやの方だったというが(立川談志はそちらの結末で演じている)、ファンタジーの原則からすれば、そちらが正しい。落語が、威張りくさった武士などにこの性的快感にも通じる飛翔感を手渡していいはずがないからである。

 

情緒纏綿デカダンスーー山内義雄『遠くにありて』

 

 

 山内義雄は1894年(明治27年)に生まれ、1973年に死んだフランス文学者である。ジイドの多くの作品を訳し、マルティン・デュ・ガールの長い長い小説『チボー家の人々』も訳した。デュ・ガールはジイドの友人でジイドはそこそこ読んでいるが、なにしろ『チボー家の人々』は長い長い小説なので、読んでいない。それに、シュルレアリスムから読書を始めたような私は、ロマン・ロランとかこの辺の小説を馬鹿にすることで読書生活を始めてしまったので、このあたりの小説はごっそりと抜け落ちている。

 

 しかし、このエッセイ集を読んで、他人とは思えなかったのは、「折れた撥」では筆者は私淑する文学者の手書きのものをいつからともなく集め出して、その中に永井荷風河上肇マラルメ、シャルル・ペギー、会津八一などと並んで、筆頭に幸田露伴の名前が挙げられていることがあって、こういう系列も考えられるのか、と仮想の道を幾度かたどってしまった。

 

 確か山内義雄石川淳の親しい友人であったはずで、生粋の東京人的なところは次のようなところにもあらわれている。「靄のなかの味覚」の一節である。

 

 「柳ばし、柳橋・・・・・・」その柳橋にあった橋本のことなど、今はもうおぼえている人もいないだろう。私の遠い味覚の靄のなかに、ぼんやりともる燈籠の灯とでもいったように、あの川添いの橋本のことが思いだされる。亀戸天神の藤を見に行った帰りには、いつもきまっておやじに連れて行かれたものだった。五代目菊五郎がひいきにして、いつも舟を仕立ててかよったと言われているその橋本は、南鍋町の昔の風月堂のフランス料理とともに、わたしの思い出の一番奥のほうで、ぼんやり黄ろい灯をにじませている。だが味覚の点では、あそこで出された玉子焼のうまかったことしかおぼえていない。それでいて、藤の咲くころになるといつも思いだす柳橋の橋本、わたしの場合、味覚それ自体というより、どうも味覚にからんだ季節感覚の比重のほうが大きいらしい。

 

 

 

 もちろん橋本にはいったことがないが、僭越ながら私も味覚よりは誰と食べたか、どんな季節に食べたかのほうが心に残り、そうした残影が東京に集中しているところで共感する文章である。

 

 また、岡野知十について知ることができたのはうれしい。知十は江戸趣味が濃厚な俳人であるが、その句は加藤郁也の何かで目にしてはいたのだが、詳しいことはなにもわからなかった。「知十翁のこと」では、知十の息子が山内義雄の大学での同級生であり、その縁で、親しく接することができたことが書かれている。珍しいのは知十の小唄が紹介されていることである。

 

  くゐな

 

だまされて

ゐるのがあそび なかなかに

だますおまへのてのうまさ

くゐなきくよのさけのあぢ



  お茶漬

 

二人一緒に暮すなら

茄子と胡瓜の漬き加減

涼しく箸をとり膳や

浮世はさらりと茶漬けせ

 

 

 このデカダンスは魅惑的である。

世界=市民のための座頭市ーー平岡正明『海を見ていた座頭市』(1973年)

 

海を見ていた座頭市―平岡正明映画評論集 (1973年)

海を見ていた座頭市―平岡正明映画評論集 (1973年)

 

 

 先頃亡くなった劇団・月蝕歌劇団の主宰者であった、高取英さんと、30年くらいまえに、ちょっとだけ話す機会があって、どういう具合にか話が平岡正明のことになり、『魔界転生』が面白かったというと、おおっとちょっとびっくりした顔をして、「『魔界転生』を読んでる人間にはじめて会ったよ」といわれた。事ほどさように私は平岡正明の愛読者なのである。自慢ではないが、全5冊に及ぶ『皇帝円舞曲』もそろえているほどなのだ(まだ読んでいないが)。

 

 なにしろイザラ書房であるとか、秀明出版であるとか、小さな出版社でばかり本を出しており、それらの出版社がまた次々につぶれるので、よほど古本屋を丁寧に廻らなければ、その著作をそろえることが難しかったのである。

 

 それにしても、膨大な平岡正明の著作のなかでも、『海を見ていた座頭市』というのは屈指の題名の一つであると思う。晩年は『新内的』『浪曲的』『落語的』と『的』を愛用されていて、別に文句はないが、『マリリン・モンロープロパガンダである』とか『官能武装論』といった異形の題名が懐かしくないこともなかった。

 

 平岡正明ご本人の姿は2度ほどお見かけし、一度は上杉清文の芝居の舞台に立たった空手着姿の平岡正明が正拳突きで板割を披露したのだが、芝居の筋とはほとんど関係なくあらわれてすぐに引っ込んでしまったのをよくおぼえている。

 

 もういちどは、河内音頭の公演で、朝倉喬司と一緒だった。声をかけようと思えばかけられるほどの距離だったが、二人連れであったし、決して褒められたことではないが、極度の人見知りで、どう声をかけたらいいのかなにも思いつかないままに時間が過ぎてしまった。それに、平岡正明はお酒も飲まないし、極真空手で鍛えているから、ちょっとやそっとで死ぬこともあるまいと思っていた。

 

 この本は、題名には『座頭市』をつかっているが、座頭市を論じたのは2編で、圧倒的に多いのは若松プロの作品であり、それにゴダール大島渚が加わった映画論集である。しかし、やはり印象深いのは、座頭市論である。

 

 とくに、「座頭市はクラウセヴィッツ理論の権化だ。彼のドメクラ斬りは本質的に防御にはじまる。そしてこのことは、座頭市において、日本の民衆蜂起の原型としてあらわれる。」という一文からはじまる「座頭市オゥ・ゴー・ゴー」はすばらしい。

 

 武器は二つの種類に分けられる。一方は、権力の武器であり、その時代時代の最新のテクノロジーの結晶であって、それが最新テクノロジーであるために、火器、探知機、動力などといった目録と、操作の仕方を習得するのがせいぜいのところで、武器の効果が実際に現われる現場のことは権力はなにも知らない。その意味で観念的なものでしかない。

 

 他方、武器を防御の延長と考えるものは、民衆であり、生活のなかにある道具から武器をつくりだすことが技術である。その結果、民衆は社会全体を潜在的な武器と見なすことができる。そして道具の延長であるためにそれは常に具体的に生活と連関しており、現実を見失うことがない。

 

 ただ、いまの問題は民衆、あるいは市民と呼べるような存在がいなくなっていることで、そうした存在が必ずしも自明ではないことが明らかになってしまった。国民となるとさらに漠然としていて想像の共同体以上でも以下でもなく、一番しっくりするのは世界=市民、世界=民衆なのだが、それがどのように組織化されるのか、皆目見当がつかない。

 

長屋の壁という武器――柳家小さん『粗忽の釘』

 

  柳家小さんの『粗忽の釘』を聞く。引っ越しの日、粗忽な男は風呂敷に箪笥を包んで担いだまではよかったが、犬の喧嘩を見たり、自転車の事故を見とどけたり、元の家戻ったり、道に迷ってなかなか新宅にたどりつくことができない。ようやく長屋を見つけた男は、女房に箒を掛ける釘を打つように頼まれる。たまたまいた蜘蛛を殺そうとして、思わず壁に釘を打ちこんでしまう。長い釘だったのでどうやら向こうに突きでてしまったようだ。けがなどすると危ないので、断わりにいけという女房の言葉に従い、長屋をまわる。一番先に入ったのが向かいの家で、向かいの釘がこちらに届くはずはないのだから、心配しなくていいというその家の主の言葉に、いやとにかく長い釘なんですから、と男は言い張る。


 粗忽どころかこの男の空間感覚には端倪すべからざるものがあるといわねばなるまい。空間の連続性という常識にとらわれずに、長屋の壁の類似性に目を向けるならば、我が家の壁に打ちこんだ釘は長屋のどの壁から飛びだしてもおかしくはないのである。


 三代目小さんは名人の呼び声が高く、夏目漱石が愛したことでも知られている(私はSP盤の録音を聞いたことがあるが、三分程度の雑音混じりの音源ではさすがになんとも判断のつけようがなかった)。『三四郎』では圓遊と比較されて次のように言われている。「圓遊も旨い。然し小さんとは趣が違つてゐる。圓遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた圓遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。圓遊の演ずる人物から圓遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ、小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい」と。


 圓遊は「ステテコの圓遊」とも「鼻の圓遊」ともいわれ、落語の改作に力を注いだ。ギャグをふんだんに盛りこんだらしいこと、また、「太鼓持になつた圓遊だから面白い」という漱石の発言から推測すると、芸が前面に出るタイプというよりは、パーソナリティーが突出している落語家が想像される。小さんと圓遊の対照的な姿は、ちょうど文楽志ん生のようなものではなかったろうか。こうした対照的な落語家のなかで漱石の称讃する三代目小さんから二代後になる五代目小さんはどこに位置づけられるのだろうか。


 落語では、能や歌舞伎のように親が子供の師匠となり、なにもわからない幼いころから問答無用に型をたたき込むということがないので、同じ名前を襲名しても芸や型の継承がなされているかどうかは疑わしい。五代目小さんに特徴的なのは、そのフラットな語り口にあると言えるだろう。与太郎のように奇矯な性格をもったものでも、必要以上に口調を乱して別な人格を造型しようとはしない。おそらく『うどん屋』にでてくる酔っぱらいくらいが小さんの最大限の別人格なのではないだろうか。そうした意味では、志ん生はもちろん、「泣きの文楽」と言われ、思い入れたっぷりに登場人物を演じた桂文楽ともまったく異なる。


 にもかかわらず、小さんの落語がたまらなくおかしいのは、そのフラットな口調が乱れることなく長屋の壁のようにあちらこちらに張りめぐらされており、粗忽な男同様常識的空間配置(リアリズム的な性格造型や因果関係)など意に介さない小さんが打ちこむ釘はどこから飛びだすかわからない驚きに満ちている。