アステア、アステア、アステアーーチャールズ・ウォルターズ『イースター・パレード』(1948年)
脚本:フランセス・グッドリッチ
撮影:ハリー・ストラドリング
音楽:アーヴィング・バーリン
ロジャー・イーデンス
長年コンビを組んできて、有名になった男女のダンサーだったが、あるとき、女性の方が、これ以上添えもの的存在でいたくない、と主張し、ひとりの仕事の契約をすでにとってしまっている。男性の方は、相手を引き立て役などと思ったことはなく、懸命になだめようとするが、女性の決心は変わらない。そこで、なかばやけになった男は、ダンスの相手などは自分が手取り足取り教え込めば、すぐにできあがるさ、となかば酒の酔いも手伝っているようだが、小さな酒場で、5~6人で稚拙な踊りを披露し、歌も歌う女をひとり選ぶのだったが・・・
この男性の役を演じるのがフレッド・アステアだというのだから、当然私はアステアとジンジャーのコンビを思いだし、二人の間にどんな経緯があってコンビを解消したのか、よく知りはしないのだが、脚本もまた、アステアを前提にして書かれたものだと思った。
ところが、関係者が当時を振り返った短いドキュメントを見ると、まったく事情が異なっていたことがわかった。企画の段階ですでに決まっていたのは、ヴィンセント・ミネリを監督にして、ジーン・ケリーとジュディ・カーランドの二人を主演にミュージカルを撮るというものだった。
しかし、まず、ヴィンセント・ミネリは当時撮っていた映画が長引いて、手が離せなかった。続いて、ジーン・ケリーが足を骨折してしまった。まだ、スタジオ・システムが機能しているときで、映画の供給が滞ることは許されなかった。そこで、だめでもともとという気持ちで、当時引退していたアステアに脚本を送ったのだという。
アステア=ロジャースのころから『バンド・ワゴン』(1953年)まで映画界で活躍し続けた人だという印象があったために、引退していた時期があったことなど私はまったく知らなかった。むしろ『イースター・パレード』の成功によって、『バンド・ワゴン』にまでいたるやる気を奮い立たせたらしい。
従って、最初にできあがっていた脚本は、アステアのことが念頭にあったのかもしれないが、特にアステアへの当て書きではなかったのである。かくして、この映画が初監督になるチャールズ・ウォーターズが起用され、内容に即していうと、より生々しいアステアが有名なダンサー、酒場でダンスの相手として拾われる女がジュディ・ガーランド、アステアから独立する女性ダンサーがアン・ミラーである(最近ではデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』に出演している)。
実を言うと、ジュディ・ガーランドもアン・ミラーも好みではなくて(とはいえ、ミラーのソロでのタップ・ダンスはすごい)、この映画で見るべきなのは、後半、アステアが演目のひとつとして、バックダンサーの前で踊る時間につきていて、バックダンサーたちが通常の速度で踊っており、その前で踊るアステアだけがスローモーションとなる時間は、おそらく一分にも満たないだろうが、夢幻的で、崇高ですらあり、全身に鳥肌が立ち、一瞬身体が浮き上がるような気がした。