シネマの手触り 6 ジョセフ・フォン・スタンバーグ『モロッコ』(1930年)

 

 

 

モロッコ(字幕版)

モロッコ(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

  

原作:ベノ・ヴィグニー

脚本:ジュールス・ファースマン

撮影:リー・ガームス

出演:マレーネ・ディートリッヒ

   ゲイリー・クーパー

   アドルフ・マンジュー

 

 マレーネ・ディートリッヒは私がはじめて好きになった外国の女優で、まさしく『モロッコ』を見たのがきっかけだった。モロッコは地中海がスペインですぼまるところのアフリカ側にある。

 

 吹きだまりのようにモロッコに人が集まる。ディートリッヒにはなにか過去がありそうで、アドルフ・マンジューが演じる富裕な男も、物珍しさからモロッコにたどり着いたのでないのならば、なんらかの理由があるのだろう。マンジューはモロッコに向かう船の上で、ディートリッヒのことをすっかり気に入ったらしい。あたかもそのとき、モロッコには外国人部隊の一団が駐屯していた。外国人部隊は1830年のアルジェリア征服戦争に由来するもので、国民軍の死傷者を多数出したフランスが、戦力を補充するために始めた。この映画の時代は、第一次世界大戦の頃らしく、そのなかにゲイリー・クーパーが含まれている。クーパーは遊び人であるらしく、上官の女に手をつけたりもするのだが、粘着質な感じはなく、特定の女に執着を見せるわけではない。

 

 ディートリッヒはモロッコのクラブでショーガールとなり、やがてマンジューの愛人となるのだが、クーパーのことが忘れられずに、部隊を追って旅をする女たちの一団に加わる。つまり、古典的なメロドラマなのだが、これほど性的要素の薄いメロドラマも珍しい。

 

 クーパーが客席にいるクラブではじめての出番を迎えるディートリッヒは、タキシードにシルクハットをかぶった男性の姿で、客席に降りて、女性の観客にキスを与え、ゲイリー・クーパーには一輪の花と部屋のカギを与える、5分ほどの出し物である。特にそれ以前に個人的な接触があったわけでもなければ、愛情を示すようなそぶりを両者があらわしたわけでもない。

 

 クーパーはディートリッヒの部屋を訪ねるが、そこでもまた愛の言葉がささやかれるわけではなく、お互いの間合いをはかるような静かな言葉が交わされるだけなのである。いわば三角関係になる三人のこれまでの経験、モロッコにくることになった経緯にはまったく触れられることはないし、いったんモロッコを離れたクーパーたちの部隊が、戦闘を終えて帰ってくると、既にマンジューの愛人としての地位を占め、贅沢な暮らしをしていたディートリッヒであるが、実のところ、愛人であるマンジューとどの程度の関係をもっているのかさえよくわかりはしないのである。

 

 クーパーが再びあらわれると、ディートリッヒは、重力を失ったかのように地に足がつかなくなり、更にクーパーたちの次の目的地が新たに決まり、旅立っていく彼らを見送ろうと、愛人であるマンジューと砂漠のなかに旅立っていく部隊を見送っているうちに、自然にクーパーを追い始めてしまうディートリッヒの姿は、ほとんどなにをきっかけとしているのかわからない心情に占拠されており、そこにはもはや非個人的な純粋な情念がひかれあっているとしか思われなくなり、フーリエ的な情念引力の法則の典型を見る思いがする。