白銀の図書館 7 演奏と批評〜遠山一行について Ⅲ

 

 

名曲のたのしみ (1967年)
 

 第二の驚きは、西欧音楽において、バッハからガーシュインまでのなかから、100曲を選ぼうという途方もないことが企てられる『名曲のたのしみ』という本によるもので、長い歴史のなかから100曲を選ぶことがどだい無理なこと、編集部に言われて仕方なく行っていることを弁解のように訴えているが、いざ実行するとなると、自分なりの音楽史、カノンを提示してみたいと思うのも当然のことだろう。オペラとそれ以外の曲が別建てになっており、オペラについては、モーツアルト、ワグナー、ヴェルディがそれぞれ3曲づつ与えられており、リヒャルト・シュトラウスが2曲、それ以外の音楽家が1曲づつだということだけ述べておこう。

 

 オペラの25曲を除いた75曲ががどのような音楽家からなっているか、名前だけあげてみると、バッハ、ヘンデルペルゴレージハイドンモーツアルトベートーヴェンシューベルトベルリオーズメンデルスゾーンショパンシューマン、リスト、フランク、ブルックナーブラームスムソルグスキーチャイコフスキーフォーレ、デュパルク、ショーソン、ヴォルフ、マーラードビュッシーリヒャルト・シュトラウスシベリウスルーセルシェーンベルクラヴェルバルトークストラヴィンスキーウェーベルン、ベルク、プロコフィエフとなる。フォーレ、デュパルク、ショーソンルーセルなどのフランスの音楽家たちは加えないものも多いだろうし、著者の好みがはっきり出ているところだとも言える。バッハが一番多く10曲選ばれているのは首肯されるが、次に多い5曲がモーツアルトドビュッシーに選ばれ、4曲がベートーヴェンシューベルトショパンだけに与えられているのを見ると、通常の音楽史的観点が揺らぎだす。ごく一般的な西欧音楽の歴史によれば、ベートーヴェンは古典主義の完成者にしてロマン主義の先駆者であり、交響曲ソナタ弦楽四重奏曲などの諸形式を完成発展させた。群小のロマン主義者たちが大量に生まれ、ベートーヴェンに完成を見たものは、縮小再生産のふくろ小路しか見ず、新ウィーン派のように新しい音楽に向かった。いずれにしろ、ベートーヴェンはバッハと同じく、絶対的な参照点であり、そのことはある程度認められているのだが、シューベルトショパンと同じく、4曲、交響曲第5番、第9番、ピアノソナタ第32番、弦楽四重奏曲第14番だけをあげている。

 

 ベートーヴェンについて述べられた場所では、第五交響曲を聞いたゲーテが、これは音楽なんてものじゃない、と不機嫌になったというエピソードが引かれている。そして、遠山一行自身は次のように述べている。

 

私は、この音楽をきいている時、すべてのものが、それを中心にして、周囲を回転しはじめるように感じられてくる。その感じに耐えられない思いをすることがある。芸術の体験においては、いつでも自分の幸福が中心になっていたはずなのに、この音楽はそれをゆるさない。自分と音楽の間に距離をもつことを許さない。この距離の中に、自分の幸福をきずく余裕がない。

 

 

 一度ベートーヴェンの音楽のなかに入り込んでしまうと、それが規範的なものであるだけに、演奏させられることはあっても、自発的に演奏することは総じてできなくなる。前のショパンとの関わりでいうなら、規範に最初に突き当たるので、ベートーヴェンにおいては生の音そのものに直面することはない。いわば遠山一行はベートーヴェンのいない音楽史を提示しているのである。