マキノ正博『鴛鴦歌合戦』

 

 

 1939年の作品であり、マキノは幾度も名前を変えているが、雅弘の時代の次郎長や高倉健の任侠ものを見るのをもっぱらとしていて、いわゆる時代劇オペレッタと呼ばれる初期の作品をはじめて見て、鈴木清順が最後の作品として『オペレッタ狸御殿』を選んだ理由がよくわかった。ここでのマキノ演出は、最良のものを量産することによって名人の域に達するという点において、これ以後となんら変わることはないのだが、オペレッタという本来はヨーロッパ産のものを、もちろん浅草の軽演劇を経由しているとはいえ、映像化することによって、それが本来もっているでたらめさ加減をでたらめなものとして受けいれることで、恐ろしくモダンな仕上がりになっており、鈴木清順のモダニティがはしなくも逆照射されている。ひとりの浪人に対する三人の女の恋のさや当てといった物語はなんら重要なものではなく、行為の始まりと終わりを示すはずのシークエンスはずたずたに分断され、浪人と娘たちと娘を妾にしようと付け狙う殿様との距離は曖昧に消失し、傘は雨を避けるために存在するのではなく、昼日中長屋前に拡げてその意匠を誇示するため、最後の場面で移動するカメラに向かって出演者たちが広げて挨拶するために、つまりは色あせることのない驚異という不可能に向かってすべてが集中している。志村喬が歌うのもびっくりしたし、お爺さんではない片岡千恵蔵を見るのもはじめてだったが、さらにもっとも驚くべきであったのは、撮影は宮川一夫であり、小津安二郎の作品のようにロー・アングルが徹底されているわけではないが、それでも低い地から仰いだ角度のアングルが多く、その背景にある、いくら時代が変わったからといってもそれほど変化するはずのない空と雲とが、そんなはずはないのだが、これまでに見たことのない空と雲としか思われないことにあって、まさに新鮮であり続ける意匠としてその世界を覆っている。