魂の声ーー孟子からサドへ

 

孟子〈上〉 (岩波文庫)

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孟子〈下〉 (岩波文庫)

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童子問 (岩波文庫 青 9-1)

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啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫)

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美徳の不幸 (河出文庫―マルキ・ド・サド選集)

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 孟子は紀元前三世紀から二世紀にかけて、戦国時代のいわゆる「百家争鳴」の時代に生きた。
 
 司馬遷の『史記』によると、孔子の孫、子思の門人から学問を受けたのち、斉の宣王に仕えたが、宣王は彼の助言を採用しなかった。そこで魏の梁に移った。梁の恵王も彼の話を聞いたが、それを実行しなかった。
 
 その頃は、秦の力が強くなり、その他の国々はその力に対抗すべく、合従や連衡の駈引きに熱中していた。そんななか孟子が説いたのは古代の聖王たちの徳や仁であったから、力と力の争いに没頭していた王たちの耳にはいかにも迂遠に思われ、取り上げなかったのも無理がないことは想像できる。
 
 どこの王も彼の教えに耳を傾けようとはしないので、郷里に帰って、門人とともに孔子聖典とした『詩』『書』を整理し、『孟子』をあらわした。
 
 『史記』にある孟子の伝記はこうしたごく短いものだが、通常は最後に置かれる「太史公曰く」が冒頭に置かれ、『孟子』を読んでいて恵王が「先生はなにによって私の国をとませてくださるか」というくだりを読むごとに、利というものこそ乱の糸口であり、孔子は利のことをほとんど口にされなかった、と嘆息するのが常であると述べている。おそらくそこにはかつては聖人というものがいながら、いまではだれもが利によって動いている、という現状に対する批判と冷徹な認識が働いているのだろう。
 
 正直なところ、私は『孟子』には、『老子』や『荘子』ほどの魅力を感じない。『老子』の詩的なイメージがあるわけでもなければ、『荘子』のきてれつな寓話もない。
 
 また、『論語』には弟子それぞれの個性があって、人間の微妙なタイプの相違を、また教えるということの難しさを伝えているが、『孟子』で相手にされているのは各国の王と疑問をもって問いかけてくる門人だけであって、各王や門人たちの個性が描かれているわけではないので、結局は孟子という人物の論だけが残ることになる。
 
 またそのいっていることも、聖人を目標としていながら、王に自ら会いに行かないのはなぜか、であるとか、自説が受け入れられないことがわかったある国ではさっさと出て行き、別の国では未練でもあるかのように何日もとどまってから出て行ったのはなぜか、などといった細々したことに多くの章が割かれていて、説く相手の利害だけを考えた縦横家などの方がよほどすっきりしている。
 
 『孟子』を『論語』『大学』『中庸』とともに四書として聖典化したのは宋の時代の思想家である朱子である。日本では藤原惺窩や林羅山などの力があって、朱子学徳川幕府の官学として採用されることで、『孟子』も一般的になった。もちろん、それ以前にも読まれてはいたが、『論語』と同じような聖典として読まれていたわけではなく、限られた読者しかいなかったようだ。
 
 儒学道教的、仏教的要素を入れ込んで、形而上学的な靄に包んでしまったと朱子学を批判したのが、伊藤仁斎であり、原典に帰ることを主張した。彼が先達となって荻生徂徠本居宣長と続く反朱子学的な古学の学統が続くことになる。
 
 伊藤仁斎は1627年に生まれ、1705年に死んだ。ほぼ寛永と元禄の頃を生きたといっていいだろう。京都の町人として一生を過ごし、どの藩に仕えることもなかった。森銑三の「仁斎とその子達」は短い文章だが、仁斎の人柄の魅力を伝えている。
 
 京都所司代は、天皇に拝謁することもできる重職の役人だが、路上で仁斎を見かけたとき、高貴な方と思い違えて、馬から下りて挨拶した。奇をてらったことが嫌いで、節分には自ら上下を着けて「福は内、鬼は外」と炒り豆をまいた。仏教を信じてはいなかったが、寺に入ると本堂に向かって礼拝した。
 
 晩年、火事にあって家が類焼した。ある人が見舞いに行くと、堀川のなかに床をおいて、悠々と酒を飲んでいたという。見舞の言葉を述べると、「天災は是非に及びません。老人の癖に騒ぎ立てゝ、怪我などしてはと思ひまして、始めからこゝにかうしてゐます。まづお一つお上がり下さい」と悠々としていたという。
 
 何しろ余程の勉強家であったらしく、『古学先生文集』の「浮屠道香師を送る序」では、自分は若いときから非常に学問を好み、寝食を忘れ、日常的な細々したことなど顧みないで、ただ学問だけに没頭した。名声を得るために進むことも、利益を得るために務めることもせず、およそ飲食談笑、ひとの出入り応接、野に遊ぶこと、山を眺め、水と戯れること、巷の歌を聞き、芝居を見ることも、どんなことでも機会があるごとに学問を進める場所になる。
 
 自分の性格は愚かで魯鈍であり、いうに足りない。だが、学問を好むことだけは、聖人であろうとも譲るものではない、という意味のことが書かれている。仏教や老荘思想を批判したが、そのどちらについても生半可な学者などよりは余程精通していた。
 
 仁斎の古学は朱子を批判することから始まったが、朱子が四書のうちに孟子を加えたことを責めはしなかった。もっとも、『大学』『中庸』については、取るべきところもあれば取るべきでない箇所もあると距離を取っている。
 
 『語孟字義』は孟子の教えの中心となる言葉を取り上げて、そこに朱子学的な歪みを経ない元の意味を読みとろうとするある種のキーワード事典ともいうべきものだが、むしろ『論語』について最大限の賛辞を呈している。
 
誠にもって論語の一書、その詞平生、その理深穏、一字を増すときはすなわち剰ること有り、一字を減ずるときはすなわち足らず、天下の言、ここにおいてか極まる。天下の理、ここにおいてか尽く。実に宇宙第一の書なり。
     (吉川幸次郎の読み下しによる。以下同じ。)
 

  

 これだけ完全な書物があるからには、それこそ世界そのもののように完結しており、他の書物を必要としないのではないかと思われるのだが、なぜか『孟子』は欠かすことはできない。『論語』への最大級の賛辞から引き続き、『孟子』についてはこう言われている。

 
孟子の書も、亦論語を羽翼して、その詞明白、其の理純粋、礼記諸篇、秦人抗燔の餘に出でて、漢儒附会の手に成るがごときにあらず。故に論語に次いでその言誤り無き者は、ただそれ孟子か。
 
 抗燔とは焚書坑儒のこと。
 
 あるいはまた、初学者の問いに答える形式を取っている『童子問』では、先生は『孟子』を『論語』の意味を説き明す書だとしていますが、そうであれば、もっぱら『論語』を読んで、『孟子』は必ずしも読まなくてはいいのではないでしょうかととわれて、おおむね次のように答えている。
 
 そうではない、『孟子』を熟読しなくては『論語』の意味に達することはできない。いわば『論語』への渡し船である。『論語』はもっぱら仁義礼智を修める方法を説いているが、その意味をあきらかにしていない。『孟子』の時代、聖人は既に遠い過去のものとなり、道も大義も失われてしまったために、その意味を分析し、理をあきらかにする必要があった。そうした状況はいまも大した変化はないだろう。それゆえ、『孟子』によって意味をよく把握した上で、『論語』を読まなければ、間違った意味の取り方をし、道を誤ることがある、と。
 
 『語孟字義』で仁斎は学問の対象となるものを二つに分けている。すなわち、血脈と意味である。血脈というのは体系のことを意味し、儒教でいえば、仁義礼智の教えなどがそれにあたる。
 
 意味というのは普通に用いられる意味のことだが、本来の意味は時間の経過によって、状況の変化によって、あるいは後世の賢しらな解釈によって損なわれていることが十分にあり得る。意味は血脈のなかにあってこそ、つまり、体系のなかにあってこそそれこそ固有の意味をもつにいたる。
 
 たとえば、敬虔な信仰者と無神論者では、神という同じ言葉を使っても、しかも神ということで意味されている様々な概念がほとんど同じことがあるかもしれないが、それぞれの体系あるいは考え方で、神の占める位置がまったく違うことによって、まったく異なった価値をもった観念となっている。
 
 このように意味、より正確に言えば、意味の価値は体系から生じるので、学問をするものはまず血脈=体系を理解しなければならない。もしそれを理解しないで進むと、舵のない船のように、明かりのない夜のように、ぼんやりとしてどこに行きつくのかわからない。そうした意味で、方向性を知るためにも血脈を先に知っておく必要があるが、難易をいえば意味の方が理解するのが難しいという。
 
 文脈によってどうにでも変わってしまう茫漠としたものであるために、意味はよほど見識のあるものでなければ知ることはできない。こうしたことを踏まえると、『論語』と『孟子』の読み方も自ずから異なってくることになる。
 
語・孟の二書を読む、その法おのずから同じからず。孟子を読む者は、当にまず血脈を知るべし。しこうして意味おのずからその中に在り。論語を読む者は、当にまずその意味を知るべし。しこうして血脈おのずからその中に在り。
 
 『論語』の言葉は老荘思想、仏教などが共有することによって、あるいはまさしくそれらが混濁したものとして解釈した朱子学によって、本来の意味を失っている。それゆえ、『論語』においては本来の意味を知ればその道筋は明らかとなる。
 
 反対に『孟子』は、『論語』の注釈者としての血脈、位置づけさえわかっていれば、意味はおのずから明らかになる。つまり、両書は完全に相補的な関係にあるわけである。
 
 そうなると、孟子といえば一番有名な性善説も、『論語』の意味を敷衍した結果出てきた説ということになろう。しかし、この説もいざ実際に『孟子』を読んでみるとそれほど強い説得力で訴えてくるわけでもない。もっともよく知られたたとえ話としては、よちよち歩きの幼い子供が井戸に落ちそうなところを見れば、誰でもはっとして助けようとするだろう、それはつまり人間にはあわれみの心が生来備わっているためだ、というものがある。
 
 しかし、本当にそうだろうか。もちろん大部分の人間は助けようとするだろうが、それこそ頽廃した時代に生きている我々には、状況やそのときの心理を考えると、助ける方に向かわない人間の存在も容易に想像できてしまうのは確かだ。そうなると人間性のなかに本来善が含まれているという普遍性は損なわれるだろう。
 
 時代も国も異なるが、カントもまた道徳を形而上学的に位置づけようとした。つまり環境や時代によって変化することのない精神における物自体のようなものとしてとらえたが、その宗教論では根源的悪という問題に直面せざるを得なかった。
 
 また、アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』では、啓蒙によって普遍的に広められるべき理性や合理性が、いわば空虚な形式であり、あらゆる倒錯と殺人を称揚するサドの論理を矛盾なく受けいれるものであることを明らかにした。
 
 サドの登場人物は、戯画的に貞淑そのものとして描かれるジュスチーヌに向かい、魂の声を消し、無感動になることを勧める。それを反面教師とするなら、空虚な形式とかした啓蒙を活性化させるには、魂のつぶやきを聞きもらさず、退落への抵抗の手がかりとすべく、感動を層化して実質を詰めていくしかない。

「カイエ・デュ・シネマ」1951年の映画ベストテン

 

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 ゴダールトリュフォー、リベット、ロメール、シャブロルなどがまだ批評家として活躍していた時期の「カイエ・デュ・シネマ」1951年の映画ベスト10.1952年3月の10号に掲載された。

 

1.ジャン・ルノワール『河』(米・1951年)

2.ロベール・ブレッソン田舎司祭の日記』(仏・1951年)

3.ヴィットリオ・デ・シーカミラノの奇蹟』(伊・1950年)

4.ルイス・ブニュエル『忘れられた人々』(メキシコ・1950年)

5.ジョセフ・L・マンキウィッツ『イヴの総て』(米・1950年)

6.アルフ・シェーベルイ令嬢ジュリー』(スウェーデン・1951年)

7.ミケランジェロ・アントニオーニ『愛と殺意』(伊・1950年)

8.ビリー・ワイルダーサンセット大通り』(米・1950年)

9.ジャック・ベッケルエドワールとキャロリーヌ』(仏・1951年)

10.ロベルト・ロッセリーニ神の道化師、フランチェスコ』(伊・1949年)

11.イヴ・アレグレ『奇蹟は一度しか起こらない』(仏・1951年)

12.クルツィオ・マラパルテ『Il Cristo probito』(伊・1950年)

13.ルイス・マイルストン『激戦地』(米・1946年)

14.エドワード・ドミトリク『コンクリートの中の男』(英・1949年)

15.ピエール・ブラウンベルジェ『La Course de taureaux』(仏・1951年)

 

 マラパルテはイタリアの作家のことだと思うが、映画をつくったかどうかは不明。ピエール・ブラウンベルジェはルノワール、後にトリュフォーの映画を制作しているが、監督した映画は見つけられなかった。私が見たのは2.4.5.8.9.10の6本ほど。

狂気の愛――古今亭志ん生『二階ぞめき』

 

   

江戸川乱歩名作選 (新潮文庫)

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 ボードレールによれば、ハシシや阿片を服用しても、その人物が思ったこともないような奇怪な幻想や超自然的で荘厳な天啓などが訪れるはずもないという。脳や器官の反応は強まるにしろ、反応そのものは当人の普段と変らない。つまりこれらの麻薬は、「人間の不断の印象や思考を拡大してくれる鏡ではあっても、鏡以外のものではない」(『人工の楽園』安東次男訳)のである。


 『二階ぞめき』の二階にもいくらか似たところがある。若旦那は毎晩吉原通いで、父親は腹を立てている。心配した番頭がもうちょっと控えるように意見をするが、うまく言いくるめられてしまう。

 

 そこで番頭、よろしいあなたの味方になりましょう、父親には内緒で好きな妓の身請けをし、どこかに囲っていつでも会えるようにしましょうと申しでるが、若旦那は、俺は吉原が好きなんだ、妓が好きで行くわけでもなんでもない、身請けだというなら吉原をもってこいという。よろしい、といって棟梁に頼み、二階に吉原をつくってしまった。

 

 できあがったと聞いた若旦那は着物を着替え、夜露が毒だと手拭で頬っかぶりして、二階に上がっていく。腕のいい棟梁の仕事だけにすべて整っている。しかしどうにもならないのは誰もいないこと。大引け過ぎだという設定にしたものの若旦那は、ちょいとちょいとちょいと、あなたと呼びとめる若い衆や娼妓の役まで勤めねばならない。やがてあがるあがらないで三人が大喧嘩になってしまった。

 

 二階から息子の大声が聞えてくるので親父は驚いた。たまにいると思ったら、喧嘩してやがる、と小僧の定吉に静かにするよう言いに行かせた。定吉はすっかり二階が様変わりして綺麗になっていて、しかも若旦那がひとりで大立ち回りをしているのに驚いた。若旦那、若旦那、と声をかけると、定吉か、悪いところで会ったなあ、ここで会ったことを家に帰ったら親父に黙っててくんねえ。


 立川談志がこの噺のなかで「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」という其角の句を引用して言っているが、当時は文字通り鼻をつままれてもわからぬほどの闇が夜を覆っていた。そうした漆黒の闇のなかにひとつの街が浮かびあがるさまはどれほど豪奢であったことか。そしてそこに映しだされる娼妓、めいっぱいおしゃれをしてきている客の着物のさまざまな色合いは街をなおさら現実とは隔離した別世界として際立たせたことだろう。


 ところが、二階の吉原にはそのどちらもない。ボードレールのハシシや阿片と同じように、この二階の吉原を与えられても、誰でもがぞめき、つまりひやかしをしてまわれるわけではないのだ。もちろん娼妓目当てで通っているような人物には無理であるが、そればかりでなく光の歓楽街を現出させる幻視の能力が必須なのである。江戸川乱歩の『押絵と旅する男』ではある男が浅草の十二海から覗かれる押絵のなかの娘に熱烈な恋をし、逆さにした遠目がねを通って押絵のなかに入り娘と一緒になる。『二階ぞめき』とは、実は、そうした狂気の愛の物語と考えるべきである。

スティーヴ・マックイーン(俳優の方)、カフカ

 

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タワーリング・インフェルノ [DVD]

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カフカ短篇集 (岩波文庫)

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 ウィリアム・ウィヤードの『トム・ホーン』(1980年)で久しぶりにスティーブ・マックイーンの姿を見た。『拳銃無宿』というテレビ・シリーズによって人気を得たのであるから、西部劇との親和性は高いはずだが、私が子供のころにはテレビの洋画劇場によって、『大脱走』や『パピヨン』などを繰り返し放映していて、特に好きだったのは『タワーリング・インフェルノ』という高層ビルが火災になるパニック映画で、確か、高層ビルの火災を題材に取り上げた本が偶然2冊出版されて、それぞれのいいところを取り上げて脚本が書かれたとおぼえている。実際、私はその2冊の本を買ったはずなのだが、さすがにその内容のことはほとんどおぼえていない。

 

 『トム・ホーン』は実話に基づいている西部劇で、前半こそ撃ち合いがあるものの、トム・ホーン役のマックイーンが愛用しているのは、ライフルで、したがって、二人の男が対峙して、緊迫した時間が流れるというような場面はなく、しかも後半は未成年の殺人によって起訴されたトム・ホーンの裁判の場面が続く。一般的な西部劇とは異なるのは、ホーンに対立しているのが個人やある一家ではなく、各地域の保安官を巻き込んだ街々の有力者たちであり、個人対組織に位相が移しかえられている。

 

 それはともかく、牢獄内での回想シーンによると、彼が逆恨みで馬に乗って撃ちかかってきた少年を、ライフルで撃ち落とし、殴りつけたことは確からしいのである。むろん、その出来事を彼を葬り去りたい者たちが利用したのは確かだろうが、道徳的に曖昧な状況で、実際彼が首つりにされて終わる変な西部劇で、マックイーンが西部劇がすでに成り立ち得ないことをアイロニカルに語るような映画に出るようなイメージはまったくなかったのでなおさら妙な感じになった。



 カフカの「物語『あり戦いの記録』からの二つの対話」は題名通り二つの短い短編から成り立っているが、その一編目の「祈るひととの対話」は人目を引くようなパフォーマンスめいた祈りを繰り返している男を強引に捕まえて、話を聞くというもので、その男によると、自分は生きているという確信が持てたためしがない、かつては美しかった物が頼りない観念に崩れ去っている状態にあり、毎日道行く人が倒れて死人となり、商人たちが自分たちが売った物の代わりに死体をどんどん運び込んでいて、母親が近所のものと交わす何気ない会話でさえ、なんらかの意図を持った作りごとに違いないのだと訴えかける。

 

 聞いている「ぼく」は当惑とこの世界の根拠のなさをなかば認めている自分に狼狽しながら、あなたのお母様と近所の方の会話などはそれほど不思議なものではなく、自分もそれに加わったことがあるくらいだ、といってやる。

 

 ぼくがそう言ったとき、彼は非常に幸福そうに見えた。彼はぼくの着ている服がすてきだ、ぼくのネクタイがとても気に入った、と褒めた。そして、ずいぶんきれいな肌をしていらっしゃるのですね、と言った。それから、告白というものは、それが取り消されるときにはじめて意味がはっきりするものですね、とも言った。(川村二郎・円子修平訳)

 

 

 この最後の文を読んで思わず吹き出してしまった、そしてやはりカフカは喜劇作家だと確信した。

ピーター・グリーナウェイ、吉田一穂

 

英国式庭園殺人事件 [DVD]

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吉田一穂詩集 (岩波文庫)

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 ピーター・グリーナウェイ『英国式庭園殺人事件』(1982年)。17世紀のイギリスが舞台であり、従って、英国式庭園とはいっても、いまだヨーロッパの幾何学的な様式が採用されており、たとえばドラマの『ダウントン・アビー』でのように、ごく無造作な自然でありつつ美しく感じられるものになるよう人間の手を加えるという形式ではなく、どちらかというとアラン・レネの『去年マリエンバードで』の整序された隅々まで管理の行き届いた庭である。

 

 領主のいないあいだに、その妻からさる有名な画家が、屋敷の絵を12枚描いてくれと頼まれる。さほど気乗りのしない画家は、高額をふっかけた上、夫人との密会まで条件につけて断ったつもりでいたが、夫人がその要求をのんだので引っ込みがつかなくなった。

 

 画家は日光との関係で、描く対象が一番くっきりと見通せる時間を割り当てて、次々に絵を完成させていくが、それぞれの絵のなかに本当はあってはならないものがあり、それらを組み合わせると、都会にいっているはずの領主の殺人が示されていることを、領主の娘から知らされる。娘は高慢なドイツ系の夫があるが、子供がなく、どうも夫は不能らしい。この娘とも画家は密会の契約を結び、実際に領主の死体が発見される。

 

 音楽のマイケル・ナイマンバロック音楽ミニマル・ミュージック風に作曲し、演奏しているように、グリーナウェイはコスチューム・プレイをアンチ・テアトルか不条理劇のように演技させ、演出している。とっぽい、という形容が一番合っているのはイギリス人だと思うし、こうしたとっぽさは嫌いではない。

 

 

 乱暴でおおざっぱな話だが、人間を視覚型と聴覚型に分類するなら、私は自分がずっと視覚型だと思っていた。しかし、思い返してみると、たとえば、人の顔などはフランシス・ベーコンの絵のように、輪郭線が容易に崩れ去っていくのに対し、声は鮮明に残っている。あいにく、絵が上手なら人の顔は再現できるが、声は再現できない。ある人を懐かしいと思うとき、私の場合、多くはその声が懐かしい。

 

 従って、吉田一穂の「声」という詩は大好き。

 

     声

 

葉影かき散らす戸階(ドア・ステップ)の雨

 (彼女すでに去りし・・・・・・)

みだれうつ暴風雨(あらし)の中に

ひそみまつはるひとすぢの声

常に離れて言葉をおくる。

 

青き光圏を環つて、終夜、

遠く点滅する不眠の都市。

 

 ( )のなかは本来はルビ。

 

 点滅する都市が遠くに見えるからには、高台のはずで、吉田一穂の出身地である北海道ではそうした景色が見えるのだろうか。稲垣足穂の神戸でもありそうだが、どちらにしろいったことがないので、イメージとしての話。

 

 言うまでもないが、東京の高層マンションから見たところで、だいたい都市の真ん中にあるのだから、遠く点滅する都市が見えるわけではない。

タルコフスキー、内田魯庵、滝沢馬琴、ピタゴラス

 

僕の村は戦場だった DVD HDマスター

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 タルコフスキー僕の村は戦場だった』(1962年)、第二次世界大戦の末期、ドイツ軍との戦いで母親を殺され、ひとりぼっちになった少年が、学校へ行くことを拒み、戦闘に参加することを志願する。少年は幻想的な悪夢と甘美な夢を交互にみる。スピルバーグの『太陽の帝国』で収容所に入れられた少年のように、精神の平衡を逸している。

 

 浜辺にたたずむ母親の夢だとか、沼沢地を闇のなかで小舟に乗って進み、頭上には曳光弾が行き交っている場面など、あまりに美的であり、一時期、たとえば『惑星ソラリス』では、異星人とのコンタクトの話が、父親との葛藤が浄化される物語に収斂していたりして、タルコフスキーがあまり好きではなくなったのだが、この映画にも、ウラジミール・ポゴモーロワによる原作があって、タルコフスキーの長編のなかでは、唯一ほかから押しつけられた企画だというが、はじめに手を入れたのが、原作にはない少年の夢の部分を書き足すことだったことを知って、結局自分の夢を描きだすことにしか興味がなかった人なのだな、と思うとこれはもう趣味の問題で、反発は消えてしまった。

 

 

 日本名著全集という単行本よりも少し小ぶりではあるが、ページ数がやたらと多くて、しかも三段組みなものだから、文字も小さくて読みにくいことおびただしい本があって、江戸時代の小説のたぐいが相当量収められているので、一時期使っていたが、いまはさすがに目にも負担がかかり、方々に散らばってしまったのだが、確かそのうちの三巻が馬琴の『南総里見八犬伝』に当てられていて、岩波文庫だと各巻相当厚い全10冊が、3冊にまとめられているのであるから、文字の小ささもわかろうというものだが、それでも全部は収められず、各巻に内田魯庵が梗概をのせているのだが、それが簡単なあらすじどころのものではなく、抄訳といってもいいくらいのものだった。

 

 それと馬琴の本文との関係がどんな具合になっていたのか、見せ場だけ本文を乗せていたのか、あるいはたとえば途中から最後までをとりだしていたのか、おぼえていないのだが、とにかく内田魯庵にとっては相当に手間のかかる仕事だったことは間違いなく、馬琴については並々ならぬ関心をもっていると思っていたのだが、明治22年の「馬琴の小説」「馬琴の文章」などでは、馬琴に対して批判的に接している。

 

 言文一致という新しく起こった運動に対しては、馬琴が歴史を題材にとったところといい、教訓的なところといい(実は教訓の名の下にエログロを尽しているといったほうが近いのだが)、妨害となるものでしかない、と判断していたのだろう。

 

 

 ピタゴラス完全数を崇拝した。完全数とは同じ数字を、二つの異なる操作に適用しても同じになるような数のことをいう。

 たとえば6は完全数の一つで、

   6=3×2×1であり、同じ数を足すことによっても、

   6=3+2+1 と同じ結果を得ることができる。

 また28は1,2,4,7,14のいずれによっても余りなく割り切ることができるが、この数を足すことによっても、

   1+2+4+7+14=28

となる。

 

 √2のような無理数は、ピタゴラス教団で門外不出の秘密として知られていたらしいが、ピタゴラスは、そうした数が存在することに耐えられない信徒によって殺されたのだという伝説もあったらしい。

歩いても歩いても

 

 

寝惚先生文集・狂歌才蔵集・四方のあか (新 日本古典文学大系)

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鬼貫句選・独ごと (岩波文庫)

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歩いても歩いても [DVD]

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いしだあゆみ ベストアルバム ~ブルー・ライト・ヨコハマ~ EJS-6131

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 鬼貫の好きな句に、 

  春の水ところどころに見みゆる哉

がある。考えてみると、紀友則の、百人一首にも選ばれている

  久かたのひかりのどけきはるの日にしづ心なく花のちるらん

の一首が、小学生のときに百人一首をおぼえさせられたこともあって、私の春に対する情調を形づくっているようにも思える。

 一番好きなのは、大田南畝狂歌

  生酔の礼者を見れば大道を横すぢかひに春はきにけり

である。礼者(れいしゃ)は新年の挨拶に回っている人のこと。

 

 是枝裕和の『歩いても歩いても』(2007年)を見る。少年のときに事故で死んだ長男の命日に、もう大人になって結婚もしている姉弟(YOU、阿部寛)が家族を引き連れて、実家に集まる。父親(原田芳雄)は町医者だが、年齢のためにすでに引退している。母親は樹木希林。姉の一家はこの実家に移り住むことを期待しており、弟は子連れの女性(夏川結衣)と結婚したところで、まだ子供がなついているとは言えない。父親は昔風で、なかなか自分が言いたいことを正直に言えず、母親は死んだ長男のことがいまだに忘れられない。

 

 特に感動を押しつけることもなく、結局親子はお互いにわかり合ったとは言えないままに別れてしまうのだが、やはり是枝映画の家族ものは苦手である。是枝監督がどうというより、小津安二郎からホーム・ドラマはどうも苦手で、なんでしょうこれは。

 

 しかし、『歩いても歩いても』がいしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』から来ているというのはうまくて唸りました。

 

 

 内田魯庵は明治22年にすでにスイフトを論じている。そのなかで、ヒュームがスイフトを評価しなかった、ということがでていて、そうだったっけとちょっと意外に思った。引用されているヒュームの書簡を句読点を補ってあげると、

 

卿がスウヰフトを偏愛するは余の常に笑う所なり。元より一種の体なれば、是を嘉せざるにあらねど、毫も感嘆する事能はず。スウヰフトの文には調和せる装飾なし。流麗にあらず、正確にあらず、若し英国文学にして既に野蛮の区域を照したれば、此著者の作を古文学の高位に置くべからず。

 

 

とある。