ストア哲学とモイラ--マルクス・アウレリウス『自省録』

 

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

 

 

 モイラ(運命の三女神)についてはほとんどのことが漠としている。アケンナ(必然)の女神の処女受胎によって生まれたとも、エレボス(幽冥界)が夜と交わって生んだとも伝えられる。

 

 それぞれの名をクロートー、ラケシス、アトロポスという。クロートーは「紡ぐひと」、ラケシスは「長さをはかるひと」、アトロポスは「避けることのできないひと」の意味である。

 

 クロートーが生命の糸を紡ぎ、ラケシスが物差しで長さを測り、アトロポスがはさみでそれを切る。だとすると、一番大きな力をもっているのは生をどこで完結させ、断ち切るかを決定するアトロポスだということになる。

 

 ゼウスは自分の気に入った者を救うためにアトロポスの仕事を遮ることができるとも言われているが、つまり、より強力な神の介入によってアトロポスを動かすことができれば運命を変えることができるのである。

 

 プラトンの伝えるところはそれとは少々異なる。糸を紡ぐのは紡錘であって、それによって様々な生涯の見本がつくられている。人間はあの世において、籤で定められた順番にしたがってどの生を選ぶのか自分で決断しなければならない。生涯はアトロポスによって切り取られるまでもなく、すでに決定されている。

 

 三女神の役割は、クロートー、ラケシス、アトロボスと順々にその紡がれた生涯に触れることによって、その糸の出口と入口を決定すること、過去、現在、未来という変えることのできない方向性をその生に与えることなのである。そこでは生の長さが厳密に決められるようではない。しかし、決してほぐれも切れもしない糸に織り込まれている出来事は、多少の伸び縮みによってその生起の比率を変えるかもしれないが、出来事そのものを人間の力によって増減させることはできないだろう。

 

 とはいえ、マルクス・アウレーリウスが言うように、個々人の運命というものがピラミッドのなかの四角い石が互いに嵌り合うように組み合わさって大きな運命を形づくっているのだとすれば、ある人間の各出来事の比率の変化はそれに関わる人間の比率を変化させ、この運動は小石を投げ込むことによって生じたわずかの波紋がすぐにその波立ちを平面へと拡散してしまうように容易に収まったりはせず、どこまでも変化を及ぼしていくはずである。確かに、各個人の比率の変化が互いを相殺することが多いかもしれないが、そんな心配は糞リアリズムというものである。

 

・・・・・・君は自分に起ることをよろこばなくてはならない。・・・・・・各人に個人的に起る事柄は、宇宙を支配する者の繁栄と完成と、それから実にその存続の原因となるからである。なぜならば君がたとえ少しでも(全体を構成する各)部分や原因相互の結合と連絡を断ち切ったとすれば、宇宙全体の完全性は損われてしまうであろう。
       マルクス・アウレーリス  神谷美恵子