ケネス・バーク『歴史への姿勢』 41

... 分析的「放射」

 

 芸術や生の象徴的行為を論じようとすると、数多くの方向に一度に向かわなければならない理由については既に述べた。シンボルは総合的なので、それを構成要素に分解しようとする試みは、どんな場合でもある種虚構となる。ある要素を選んで長い間それに集中していると、関わりのある他の構成要素が入り込み、その概念は必然的にぼんやりとせざるを得ない。例えば、我々は頻繁に山というシンボルに言及する。「巨人」についてのボードレールソネットに「手がかり」を求めると、そこには山についてのリアリスティックな意味も含まれているが、「母親」に関する「象徴的含み」も認められる。トーマス・マンの『魔の山』に描かれた山の上での七年の生活は、再生のための「退行」が象徴されているかもしれない。ここで、マンは非常に明らかな形で、移行期にある登場人物を描いており--最終的に、彼の不吉な「再社会化」は、「平地」に戻った後の軍隊への編入を準備するものである。

 

 しかしながら、成人の母親への象徴的回帰はまた「近親相姦への恐れ」が含まれており、それはカストロップが「死に」、そして再び生を取り戻す雪の場面(冷感症という意味合いもある)での象徴的な去勢に表現されている。このように象徴化された罰の後、彼は初期の存在を「超越」する--「急展開」、「劇的な同一性の変化」であり、新たな経歴が始まるのである。(この儀式は、平和的自由主義者として、同盟国に対立するドイツの政策論争に巻きこまれる覚悟をしたマン自身にとっても必要だったと思われる。知的な塹壕のなかで作品についての考えを動員していた『非政治的人間の考察』での象徴的な戦いの小説による対応物がある。『ヨゼフ』連作での再生の儀式は、『魔の山』の結末での国家主義の受容に象徴化されているものよりも広範囲にわたる集団主義への参加を企図したものに思われる。)

 

 こうした考察は、現代のイギリスの詩人が共産主義との関わりにおいて自らを儀式的に「再社会化」するときに用いる「磁気の山」というシンボルを「放散」させることにもなる。この詩人に同性愛的な形象があることを認めると、詩人が磁力のある山として引きつけられている新たな共産主義社会は、母親の魅力に対する象徴的な対応でもあるのではないかと問うことができる(初期の非政治的な側面が新たに政治的に生れ変わる)。

 

 形容詞においては引きつけ、名詞において寄せつけず突き刺しさえする「磁気のあるサボテン」というシンボルを得ると、「何が起きているか」を理解するためには、多方面に「放散する」必要がある。砂漠で成長するサボテンを取り巻く<不毛性>という意味合いに潜む補償的な去勢のモチーフが認められるだろう。あるいはまた、同性愛的な形象を含んだ現代の作品、グレンウェイ・ウェスコットの『眼の林檎』に目を転じることもできる。最初の節は恐らくはある種の「男性の母親」である「悪しきハン」の肖像である。確かに彼女は女性なのだが、荒々しい男性の特徴をもっている。結局、彼女は恋人を攻撃的に独り占めにすることで誘惑する。(彼女の働き、あるいは運命は、デズデモーナの絞殺が、「デス【死】」と「モーン【苦悶】」という名前にある音で予示されていたように、名前に地口として予示されていたと言える。「悪しきハン」とは「ジョイス風に」言い換えると「悪しきハンド【手】」であり、肉体的に文字通り恋人を「手玉にとる」彼女の役割を象徴している。)

 

 読者は、こうした手当たり次第の「放散」を厳密に辿る必要はない。「象徴的合併」に関する分析的な辞書をつくる一例として挙げているに過ぎない。他にも無数のジグザグ道があり得よう。例えば、マンがカストロプの再生の儀式で用いた山のシンボルを、『ヨゼフ』連作で同じ目的のために使った穴のシンボルと比較することもできる。穴のなかで再生するヨゼフは、マンが我々に語るところによると、話すこともできないおむつのついた子供にまで「退行する」。

 

 二つのシンボルの相違は、象徴的去勢による再生(不妊化による「浄化」)と、「パリの下水」の変種である汚物の「受容」による再生である。このことから、パスツールドストエフスキーの比較対象に進むことができる。

 

 パスツールが考えだした医学的な殺菌の技術の背後に、象徴的な要素を探り当てることはできないだろうか(彼の方法と合理化によって進展した官僚化は<殺菌>装置の完成に従って<豊か>になる)。少なくとも、医学界のアカデミックな権威との戦いを印象的に描いた見事な映画『ルイ・パスツールの生涯』では、洗っていない手で妊婦に触り、産褥熱を引き起こす医者の場面で、そうした要素が期せずして強調されていた。そして、彼の例外的なまでの喧嘩っ早さは(ドラマでよりもむしろ実生活にあらわれているのだが)、単に対立する者への反応以上のものがあるように思われる。敵に対する<せり上げ>に思われるのである。

 

 いずれにせよ、殺菌の官僚化は出産のコントロールへの欲望が高まっていたときの人間の空想力を捉えたように思われる。両者の技術的な依存関係は、心理学的な相互依存に合っていた。出産のコントロールは、一般的に最も清潔であった、プロテスタントの国々で主に拡がった。オランダの台所は<清教徒>の台所である。洗滌は部分的には儀式であり、「象徴的な」清掃である。儀式的な清浄化のこの純粋に物質的な表現は、部分的には、プロテスタントの宗教的実践である告白形式からきているのかもしれない。カトリックの国では、汚染という感覚なしに、汚い状態にいることもできるのであって、というのも不潔感は浄化の儀式によって定期的に緩和されるからである(罪の承認と免除、告解によって帳消しにされる罪)。人間の生得的な善を主張し、カトリックの方法を先んじたジュネーブ人ルソーの先導に従い、プロテスタントの国々で広大な<世俗的>告白の文学が発達したことも見て取れる。

 

 もちろん、その源にはアウグスティヌスがいる。しかし、アウグスティヌスの生涯の大半は積極的に異端を主張することで過ごされた--それゆえ、正統を積極的に主張することでそれに逆らわねばならなかった。彼は生涯の重要な変化、権威シンボルの根本的な転換を象徴化するために「告白した」。宗教心の薄弱な典型的プロテスタントの「世俗的告白」は異なった傾向をもっている。自分のやり方の<抛棄>ではなく、<固執>を「告白する」。「懺悔」としての性質は疑わしく、むしろ自慢の一手段である。

 

 我々のパスツールに関する解釈が疑問だというなら、アブラム・ヤーモリンスキーによるドストエフスキーの伝記に見られる対照的なシンボリズムを見てみるといい。初期のドストエフスキーは夢見がちで、「新たな状況を恐れ、あるがままの世界に直面することにおののいて目を背けていた」のだが、そんな彼がリアリストとして生れ変わったのは「突然の啓示」によるのだという。

 

 「その発達において自ら決定的だと考えていた挿話は成人してすぐに起こった。・・・肌を刺すような寒さの一月の午後、彼は家路を急いでいたが、夕焼けの空を見るために川岸に立ち止まった。雪に閉ざされた街路と光り輝く川面の上に、煙がエーテル状の街を打ち立て、本当の街は実体のない夢のように思われた。そのような瞬間、世界はこのうえもなく美しく、感覚を揺さぶり、手の届かないところに真理をしまい込んでいるように思えた。報告されているのは曖昧な考えだが、その意味するところは明瞭であると思える。彼は現実そのものの神秘的で、不思議な性質を感じて驚いたのである。ネヴァ川の冬の夕陽を見て--彼自身はそれを幻視の瞬間と呼んだ--彼はドストエフスキーとして『存在』し始め、作家として誕生した。」

 

 この「超越」の瞬間は、ブルックリンからの船旅でホイットマンを襲った同じような高揚の瞬間を思い起こさせる(「三途の川を渡る」ことで、彼にとって詩は、自分の死後読者によって開封される遺書なのだということが象徴化される)。また、ワーズワースソネットウェストミンスター橋で」の奇妙な静けさ、眠っている街をまるで死者の街であるかのように感じる個所が思い起こされる。また、雪の主題は、マンにも認められる。この挿話の後、ドストエフスキーは、彼が色々なところで「cloaque」と呼んでいる世界のリアリスティックな細部を考えることができるようになった。夢想を捨て、「悪臭の滲み出る垢じみた緑の壁に囲まれた部屋に続く、じめじめした、不潔で、異臭の漂う階段」に直面できるようになった。この再生によって、彼は「下水」を「受け入れる」ことができるようになり--この同一性の超越的な変化が扱われている同じ章で、ドストエフスキーの「『分身』の主題への関心が生まれ、この関心は生涯変わらなかった」と論じるヤモリンスキーは正しい。分身とは、ホイットマンの「見えない存在」の一変種である。

 

 ここで「見本」を挙げるのは止めにしよう。枚挙しつくそうというよりは、方向を示唆する意図だったのである。この章を終わるにあたって、これまで触れてきたことの意味深い相互関係を図式化して、ある種の「現況報告」で締めくくることにしよう。