音楽の時間 1 アンソニー・ブラクストン

 

イン・ザ・トラディション
In The Tradition

イン・ザ・トラディション
In The Tradition

 

 

 

Bossa Antigua

Bossa Antigua

  • アーティスト:Paul Desmond
  • 出版社/メーカー: Sbme Special Mkts.
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: CD
 

 

 

Two Not One

Two Not One

  • アーティスト:Warne Marsh
  • 出版社/メーカー: Storyville
  • 発売日: 2010/01/19
  • メディア: CD
 

 

 

ジャイアント・ステップス<SHM-CD>

ジャイアント・ステップス<SHM-CD>

 

 

 

ジャズ来るべきもの<SHM-CD>

ジャズ来るべきもの<SHM-CD>

 

 

 私の世代はレコードからCDへの変化を経験している。CDが普及したのは1980年代後半から、90年代にかけてで、それゆえ、かろうじて私は中古レコード店を巡る楽しみを経験している。歌謡曲はテレビやラジオで満足していて、なぜ買ったのかまったくおぼえていないが、マイルス・デイヴィスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』かチャールス・ミンガスの『直立猿人』が最初に買ったレコードだったような気がする。ところが、マイルスのほうは、次に『ライブ・アット・フィルモア』を買ってしまい、そのときは電化マイルスを受けつけなかったもので、その他ピンク・フロイドとか、ノイズとかでレコードの記憶はぷっつりと途切れ、すでにCDの時代を迎えており、CDを買い始めた最初のころにアンソニー・ブラクストンを買ったように思う。

 

 大学のときには、フリー以降のジャズと現代音楽と民族音楽をでたらめに聴いていたので、アンソニー・ブラクストンの音楽になんの拒否反応もなかったが、夢中になって聞いていたというほどでもなく、夢中だったのはむしろスティーブ・レイシーやセシル・テイラーだったろうか。それでも、ブラクストンのことは何か常に引っかかっており、もやもやしたものを抱き続けてきた。

 

 グラハム・ロックの『フォーセズ・イン・モーション』は、1985年にイギリスをツアーで回っていたブラクストンのカルテット、(ブラクストンがサキソフォン、ピアノがマリリン・クリスペル、ベースがマーク・ドレッサー、パーカッションがゲリー・ヘミングウェイ)に同行した道中記に、ブラクストンを中心としたメンバーへのインタビューからなっている本で、その本のなかで、ブラクストンは、私がもっとも影響を受け、私のすべての音楽にその刻印が押されていると言えるのは、ポール・デズモンド、ジョン・コルトレーン、ウォーン・マーシュだけだと答えているのを読んで、ちょっともやもやが晴れたような気がした。

 

 ポール・デズモンドはデイブ・ブルーベックのカルテットのメンバーであり、ウォーン・マーシュはリー・コニッツとの共演があるいはもっとも有名なのだろうか、いわゆるウェスト・コーストの白人が中心になったクール・ジャズと呼ばれるものに属している人であり、マイルス・デイヴィスの『クールの誕生』は満遍なくジャズ界を牽引するマイルスの足跡として例外視されているものの、クール・ジャズというものは、ブルース衝動に欠けているものとして批評家やファンに軽視されがちなのである。

 

 私は特にクール・ジャズを好んで聴くことはなかったが、というよりは、モダン・ジャズ最盛期の50年代、正当派的な流れをほとんど追っていなくて、どちらかというとヨーロッパを中心にしたピーター・ブロッツマンとか、エヴァン・パーカーだとかを好んで聞いていて、特にアメリカともブルースとも関連づけて考える習慣がなかったもので、三人の名前を聞いてはっとしたのだが、このように三人をあげると、かえって正統的なジャズの歴史では格段に重要視されるコルトレーンが異質なのだが、そしてコルトレーンとブラクストンの音楽的な照応関係がまだ私にははっきりとしないのだが、とにかく、本人とは数回言葉を交わしたことがある程度らしいが、コルトレーンが死んだという知らせを聞いたときには父親を失ったように感じ、それから10年から15年の間、コルトレーンの音楽を聴くことができなくなってしまったそうだ。

 

 ウォーン・マーシュとはパリで行き違い言葉を交わしたらしいが、アメリカでは黒人に対する人種差別の歴史が長かったせいもあって、人種的な観点から音楽に評価を下すものも多く、ジャズこそが黒人の音楽であるという主張が枷になり、黒人にあるブルース衝動に欠けている、あるいは白人のジャズ・メンは黒人の音楽を搾取するものだとする白人に対する逆差別、その他歴史的な問題も複雑に絡み合っていて、つまりは正当に評価されていないことをブラクストンは大いに憤っている。また、黒人に内発的なものであるはずのジャズが知的に構成されているといって、ブラクストン自身が非難されてきたことも憤っている。

 

 ポール・デズモンドについては、彼は渡り綱を歩いて足を踏み外すことがなかった、彼は遅い演奏をしているように見えるが、実際には各瞬間に素早い決断がなされているのだ、といっている。

 

 オーネット・コールマンを最初に聞いたときのエピソードも面白い。

 

 グラマー・スクールにいたころ、私(ブラクストン)はデズモンドに熱中していた。音楽好きの友人が、このレコードを聞いてみろよ、音楽の行き着く先さ、といってかしてくれたのが、コールマンの『ジャズ来たるべきもの』だった。家に帰って聞いてみたよ、なんだこのサキソフォンは、デズモンドのような響きじゃないし、音じゃない、こんなものは音楽が進む道じゃない、なにかの間違いに違いない。レコードを返して、言ったよ、しっかりしろよ、いままで聞いたなかでも最低のクソだってね。それから数週間が過ぎた、変なレコードだったな、そこでもう一回かりてかけてみた、これは音楽じゃない、音楽のはずがない、って思って返した。そして次の週またかりにいったよ、そんな繰り返しが6ヶ月続いた。