シネマの手触り 12 イタリアの夜ーーパオロ・ソレンティーノ Ⅰ

 

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 学生のころ、私にとってイタリア映画はある種のジャンル映画であり、もっとも好きなジャンルだった。日本映画やアメリカ映画は毎日ある映画の番組によって日常のなかに織り込まれていたが、それ以外、といっても、現在のように多くの国の映画が見られる状況ではなかったので、ヨーロッパ、つまりはゴダール(といっても、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』などは頻繁に上映されたが、それ以外の6~70年代の映画はほとんど見られなかった)、トリュフォーヌーヴェルヴァーグとその傍系のルイ・マルや彼らの先輩のクルーゾー、メルヴィル、さらにその前のルノワールルネ・クレールマルセル・カルネがいるフランスか(シャブロルやジャック・リヴェットはほとんど上映されなかったと思う。上映されてもフィルム・センターや日仏会館などで、一時期アテネ・フランセに通っていたくせに私はそうした場所にいわれのない敵愾心を抱いていた。いわれがないわけはないな。なにかサークル的な、訪れるものの資格を問うようなところがあって、山田宏一蓮實重彦を読んでいた私は、そんな資格はないと思い、そもそも幼年期から映画とともに過ごした彼らと自分を較べることがおかしいのだが、のちにある本を読むことによって蓮實重彦が嫌いになり、どちらかといえば敵愾心の方が強くなって、尚更そうした場所とは縁がなくなり、今となっては好きでも嫌いでもないが、同じように蓮實重彦からの影響と反発から生まれた『映画秘宝』の方にはまったく惹かれなかったので、実際のところ、基本的にはいまだに蓮實重彦的=ヌーヴェルヴァーグ的な映画観に支配されているのだろう。しかし、先日、蓮實重彦に対する反発から創刊号しか買わなかった映画雑誌『リュミエール』の揃いを古本で手に入れ、読んでいったところ、見事に、中心メンバーである蓮實重彦山田宏一、山根貞夫、上野昴志の文章やインタビューばかりが見事で、蓮實チルドレンの惨状を目撃することになった。忘れていたが、その他の映画雑誌としては小川徹が編集長の『映画芸術』があり、そちらは頻繁に買っていたのを思い出した。薄い雑誌だが活字がぎっしり詰まったあの紙面や質感を手に取るように思いだせるのだが、手元に一冊も残っていないのは、実はより強い抑圧が働いているのかもしれず、小川徹の「裏目読み」の影響の方が強いのかもしれない。とはいっても、小川徹の映画評のほうは実はあまり印象がなく、むしろ坂口安吾論などを読んだ記憶の方が強いのだが、澁澤龍彦によると、有閑階級の人妻が昼は売春婦として働くケッセルの『昼顔』を原作とした、同題のルイス・ブニュエル(ちなみにブニュエルをフランスの映画監督に加えなかったのは、より一層スペインやメキシコの監督だと思ったからだが)の映画(人妻にして娼婦はカトリーヌ・ドヌーヴである)で、客の一人として東洋人の小男が登場し、なにやら小さな箱を取りだし、そのなかのおそらくは性具によって彼は(実際にそれがなんであるのかは映像としてはあらわれない)ドヌーヴをぐったりさせてしまうのだが、その客の男が小川徹にそっくりだそうで、すっかり見知った人間のように思っていたのだが、あったことはない。)ヴィム・ヴェンダースファスビンダーヴェルナー・ヘルツォークが次々に登場し、ニュー・ジャーマン・シネマといわれたドイツ、ベルイマンのスェーデン、ソ連から亡命し、ヨーロッパで映画を撮っていたタルコフスキー、アラン・タネールのスイス(好きな監督だったが学生のとき以来まったく見ていないので、見直すのが怖い気もする)、デンマークラース・フォン・トリアーフィンランドアキ・カウリスマキなどは時期的にもっと遅くなる、それらのヨーロッパの映画やアメリカ、日本の映画と比較しても、イタリア映画、とはいっても、これもその頃はあまり見られなかったロッセリーニ、アントニオーニ、パゾリーニ(ネオ・リアリスモ以前の映画は私の力ではとても追いかけられなかったが)などはその後、多少数多く見るようになっても、それほど強く印象には残らなくて、フランチェスコ・ロージーは何本か見たはずだが、やはりそれほど明瞭ではないから、フェリーニに始まることなのかもしれなくて、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』はもちろんのこと、『サスペリア』以前につくられ、しかも『サスペリア』の魔女のように、超自然的な力が働くわけではなく、猟奇的な連続殺人ものなのだが、『サスペリア2』の題で日本公開されためっぽう面白い映画や、エットーレ・スコラの映画でも、また、ランベルト・バーヴァの『デモンズ』においても、なぜかイタリア映画の夜は艶っぽいのであり、フェリーニにいたっては『甘い生活』や『81/2』のようなモノクロ映画においても磨き上げられた珠のような艶を放っていて、おそらくは日本の都市のようにバカのように外灯が立っていないために、光の粒子がどこに向かい、どこに定着しているかはっきりしていること、日本の都市のようにバカのようにアスファルトが敷き詰められてはおらず、石畳みの道や石造の建物は保水や保光に優れているためもあるのだろうが、フェリーニが死んで、アルジェントやスコラの映画もあまり見ることができなくなって、そうした夜の場面に遠ざかっていたときに、ああ、イタリアの夜が帰ってきたと思うことができたのが、パオロ・ソレンティーノの映画だったのである。