断片蒐集 25 アラン

 

アラン 幸福論 (岩波文庫)

アラン 幸福論 (岩波文庫)

 

 手元に本がなにので確かめられないが、船の箇所はタイタニックのことを言っているのかしら。

 

恐怖と悲劇

シェークスピアの『マクベス』のなかに、城館に朝がきて門番が夜明けの光とツバメとを眺めているシーンがある。淡々とした風景で、さわやかさと清らかさのあふれている光景である。だがわれわれには、犯行がすでに行われてしまったことがわかっている。悲劇としての恐怖感はここで最高にたかまってくる。これと同じように、難船にまつわるあのさまざまな思い出においても、一つひとつの瞬間は次に起こったことがらによって照らされている。だから明かあかと照らし出されて、海面にどっしりと静かに浮かんでいたあの船の姿は、その時にはたのもしい姿だった。それがあの人たちの思い出や夢のなかでは、またぼくの描くイマージュのなかでは、次を待っている恐怖の瞬間となってしまう。今やこの悲劇は、事情を知り尽くしていて、一刻一刻断末魔の苦しみを味わっている見物人のために展開している。しかし、悲劇の進行そのものの中には、こんな見物人は存在しない。ふり返って考えてみることなどありえないのだ。見ている光景が変わると印象も変わってしまう。もっと正確にいえば、じっと見られている光景など存在しないのだ。ただ予期されない知覚、意味のわからない、脈絡のない知覚があるだけだ。とりわけ、思考を押し流してしまう行為があるだけだ。一瞬ごとに思考が難破している。イマージュが一つひとつ現われては消えて行く。なまの出来事が悲劇を葬り去ってしまった。死んで行った人たちは何かを感じるどころではなかった。