ケネス・バーク『歴史への姿勢』 76
第二版の後書き
恐らく、この本が最初に出版されたときの著者の観点と現在の観点との間の主要な姿勢の変化には政治的対称の問題が関わっている。政治的対称は、現在ではかつてほど魅力があるものとは思われていない。事実、政治体制のなかでの相互関係の緩さは(「政治的な」政体であろうと純粋に「ビジネスの」一族であろうと)、個人的な自由を隙間のなかに見つけるよりより機会を与えるように思える。「封建的な」統一の方が国家内での「均質な一枚板」よりも好ましく思える――そして、緩やかな連邦的なものであれば、国際的連合が最上であろう。
同じ理由によって、集産主義の議論においては、恐らく、徹底的な社会化と間接的な種類の「損失の社会化」との間にあまりに明瞭な区別が仮定される傾向があった。象徴的操作がすべての金融体系とそれに対応した会計に本質的なものなので、こうした方便はマルサス的限界にまで拡大していく傾向にある。
この本が書かれたときには、F.D.ルーズベルト政権で経済的に有効な政府運営のために累積した数十億の公債に対して上がる抗議の声を疑うよりは動かされたものだった。それ以来、公債は以前にはそれを嘆いていた者の承認を得て数千億にも及び、その大部分は経済的に有益なことにではなく、軍事目的で使われたのである。
こうした集団的支出が徹底的な社会化と言えるのか、間接的な損失の社会化と言えるのか決定することは不可能だろう。そうした区別を越えて、(金融操作の)象徴的資産が利用可能である限り、それがマルサス的限界にいたるまで搾取されるのを当然のことと見なすことで譲歩することができる。政府の政策決定者にそれ以外のなにが期待できよう。というのも、彼らは人間なのである。つまり、シンボルを使用する人間である。そうした金銭とクレジットの操作は本質的に会計によってシンボルを操作することである。
しかしながら、こうした操作の、二十年代、外国債が流動的で海外投資が盛んだったときとの対照的な相違に留意すべきである。1929年の大恐慌は、主として、こうした融資が国際的な金融家が合衆国の投資家たちの利益として計上しない不良貸し付けだと理解され始めたことから生じたことを思い起こすことができる。それ以後のルーズベルト政権下での支出は、海外投資家の間に広まった信用失墜の弛みを取ることにあてられたのだった。
一見するところ、その大部分は違った形を取らざるを得ないが故に、こうした海外投資活動は決して回復することはないと思われる。実際にはその<働き>としては、国際的な金融家個人による海外取り引きが最小限度に止まった年であっても、回収できない海外融資に群がる投資家たちの集団は減らないばかりでなく、厖大に膨れあがったのである。事実、海外融資は、いまや国民のすべてが、自覚しているかどうか、望んでいるかどうかはともかく、働きとして関与するまでに民主化されている。昔であれば、海外の不良債権は借り手が利息を払えないことによって、その脆弱さが比較的すぐに明らかになったのだが、いまでは利息は規則的に支払われる。というのも、連邦政府が海外において大量の回収できない貸し付けを行ない、国債を売ることで利息分にあてているなら、国民全員でこの利息を払っているのであり、国民すべてが投資家で、それに加えて、税金から利息に充てることで国債を所持する少数グループへの支払いがなされているのである。
金融体制が現在のものである限り、こうした仕掛けは常に働き続け、商品の生産と配分を一般的に助ける。それゆえ、これがどういった種類の「社会化」であるのか正確に言うことが困難なのである。しかし、いずれにしろ明らかなのは、それが人間の生得権の見事な例だということである。つまり、シンボルを操作する技術がである(金銭とクレジットというシンボル)。
政治、ビジネス、産業(テクノロジー)の「官僚化」を強調したことで、一つ重要なことを無視することになった。政府による組織化が進むその上を越えたところで、或いはその下、それに先だって(ほとんど「先史的な」遺産として)、人間の善意(従って悪意をも)、その最も一般的な意味における人間の社会性に関わる動機が存在する。それは、「喜劇」に対する我々の訴えのなかに暗黙のうちに含まれた要素ではあったが、論じられはしなかった。しかし、もし読者がこの本を先の『恒久性と変化』の姉妹編と取ってくれるなら、そこで軽視された問題が十分に論じられているのを見いだすことになるだろう。
実際、『恒久性と変化』での我々の関心はコミュニケーションの動機に関わるものだった――そして、「コミュニケーション」は、「愛」の原理を最も一般化して述べたものである。(『反対陳述』の新しいヘルメス版の最後につけ加えられた「批評教程」では『恒久性と変化』と『歴史への姿勢』の関係が論じられている。)
この考えから「放射」されるものとして、「姿勢」が「人格」や「性格」を生みだす関係についても述べておく価値がある。人間が「性格」に基づいて行為する限り、(『動機の文法』で行為者-行為比率と呼んだものに従って)人格は行動の原理だということができる。性格とはその人間の「方針が凝結したもの」だと言える。折りたたまれていた行動の原理が、特定の状況に関わることで展開される。発端の行為としてある「姿勢」は同様にこの「固定した」性質をもっており、物事を叙情詩のように要約する。かくして、例えば、「優れた」白人に「子供っぽい単純さ」でもって魅力を振りまき、支援と保護と、本物の愛情も得ようとする「よき黒人」のような明らかな人格的戦術を考えるときには、「姿勢」のリアリスティックな研究がいかにより観念的な「性格」(或いは社会学でいう「パーソナリティ・タイプ」)の「小説的」研究となるかが理解される。これは社会的状況のなかで戦略的に発達する<パーソナリティ>を見るときには取るべき方向性である。(『文学形式の哲学』での「状況」と「戦略」に関する箇所を参照のこと。)
最後に一つ強調しておくべきことがある。後の著作では、ここで官僚的体制として論じられた問題は「位階的精神病質」を伴った「社会政治的ピラミッド」として扱われている。この動機は悲劇にある重要な関係をもたらす。それゆえ、「喜劇的な」遠近法よりも「悲劇的な」解釈の枠組みが要求されると言えるかもしれない。しかし、喜劇的な観点から問題が見られると、いかに悲劇がそれ自体「悲劇的」であっても、「悲劇的」動機の批判的分析は本質的に「喜劇的な」ものである。この問題に関する論考の多くは『動機の象徴学』として出版されるだろう。「位階的精神病質」については『動機の修辞学』で大いに論じられている――また、『恒久性と変化』のヘルメス版の付論として再録された「組織化された行動」についての論文でも論じられている。
この人間は土地を欲しがっている。あの人間は技術を磨きたがっている。儲けようとする第三の人間は両者の売り物を交換する助けとなろうとするだろう。こうして、多数のそれぞれに動機づけられた行為者たちによる広範囲にわたる相互関係ができあがる。聖職者、裁判官、行政官、収税人、教育者、情報屋などがみなこの集団的働きに参加し、優勢の規範はどれ程流動的であろうと、上下に分かれたピラミッド状の官僚制へと複雑化する。
相互関係のネットワークは厖大かつ抽象的になる(入り乱れたなかで各自の個別の場は具体的であるが)。かくして、諸条件は<帝国>による包括的な統一化を許し(そして求め)、それによって異質な領域(かつては境界の外にあり、通商によって緩やかに関係していた)が同一の規則のなかに取り込まれる。そして、比較的単純で直接的な満足と悩みとをもつ、基本的なつつましい労働と交易では除外されるような仕事が必要となる。
そして、こうしたより管理者に近いより稀な動機に適合するためには、詩的想像力の助けも借りて、風変わりな心性を発達させねばならない(王を教育する詩人は自分自身も統治者としてそれに応じた形象で考えることを学び、忠誠に対して報賞を与えられるということ以外には、自分自身の現実からすると紛い物でしかない壮麗さや魅力に専心することになる)。こうしたすべては終わりのない争奪戦となり、「人間の神から授けられた不満足」という栄光、それほど尊称的ではない言い方をするなら「ラット・レース」になる。子供たちでさえも同じような考え方を学び始める。
「ぼくが灰山の王だ」と叫ぶ少年が、押し合いへし合いしながら頂上に登りつめ、下の方の灰の坂で活発に登り彼に取って代わろうとする競争者たちを近づけないようにしている。「ぼくが灰山の王だ」と彼は勝ち誇って叫ぶ。彼はいささか性急に叫びすぎてもいる。既に他の者たちがあらゆる方向から彼に襲いかかっている――彼はこの場所から追い落とされるのも時間の問題だと知っている――そしてまた新たな敵が上がり、その場所を追われることになろう。競争者たちは努力をすればその位置に上がれると期待できる。靴をすり減らし、服を破き、灰のなかで肌を擦りむきさえすれば。
「ぼくは灰山の王だ」と少年が叫ぶのは、自慢でもあれば挑戦でもあり、まことに簡潔に悲劇の喜劇的原理を象徴化している。
1959年の追記
読み返してみて、いくつかの点は満足だったが、大いに腹立たしく思った部分もある。「十九世紀のアンチテーゼ的思考」に対して不満を述べているにもかかわらず、「資本主義」と「社会主義」の陳腐な二分法を越える「損失の社会化」の原理で意味されているものを私は十分に見て取ることができていない。アメリカとソ連で発達した原子力もそれに密接に関係しており、会計学を<伴った>巨大テクノロジーは現在のポリティカル・フィクションを乗り越えるのである。