浴槽の反復ーー稲垣足穂『白昼見』

 

 昭和23年の「新潮」「思潮」に掲載されている。分割して掲載されたものか、元になったものがあり、それが長くされたのか、現代思潮社版の『稲垣足穂大全』には細かな書誌が付されてはいないので、はっきりとはわからない。細かく確認したわけではないが、この足穂の代表作の一つといっていいものは、新刊で手軽には読めない。


 明石で父親の死をみとると、家業であった衣服店を継いだのだが、どうひいき目に見ても熱心な経営者とはいえず、店も人手に渡ってしまった。すでに『一千一秒物語』などの作品によって一部の作家たちには知られていた。『一千一秒物語』や『チョコレット』などいわゆる「未来派」的な短編を発表、出版したのは、20歳代の前半であり、父親が死んだころには30歳代中盤になっていた。特に作家になることを考えていたわけではないが、それまでに書きためたものを取捨選択し整理して、東京の出版社に送っていた。それをあてにして、上京する。


 ところで、すでに明石にいたころから顕著であったアルコールづけの日々は、東京でいよいよ歯止めがきかぬものとなっていった。食べるものも食べないために、体重は一ヶ月から二ヶ月のあいだに15キロも減ってしまった。借りられるかぎりのところから金を借りてしまったので、同窓生や上京して知り合った石川淳などからも絶縁された。東京での生活を最初から世話してくれた室生犀星からも見放されてしまった。


 ほとんどものを食べない状態で酒をのみ、なにがなんだかわからないうちに部屋にひっくり返っているという生活を繰り返しているうちに、「わたし」は「恐ろしいもの」としかいいようのないものに襲われるようになる。それは少し前から感じていた「世間から見棄てられたような」「空虚の感」あるいは「寄るべのない寂寥の念」に似ていなくもないが、そうしたある種内面的、内発的な感情とはまったく異なり、「有無を云わさず襟首をひっ掴んで振廻すあるもの」であり、泥酔したぐったりしたなかでも、ひやりとした緊張感のなかで生活している。父親や酒飲みであった伯父などの亡霊かとも思ったが、そんな人間的なものではないと感じる。


 銭湯へ行き、、ふらふらした身体をようやく浴槽から引き上げ、力なく全身を拭っていると、「電光のように」それまで思ってもいなかったイデアがひらめいた、SAINT、つまり聖人と。


 「自分がそれでなければならぬなどと、云うのでありません。世にはそんな聖なる種族があって、その中には磔刑になった者さえあるでないか。この不可思議な、世間法とは逆行しているかのような存在とは一体、どんな意味を持つのか?」


 それは恐ろしい鬼のようなもの、あるいは死などといった重要に思えることも、路上の鼠となんら変わらないという価値観の転倒を引き起こす聖人というものが存在するというある種の啓示であり、その人物がなに教に属しているのか、さらにいえば宗教的である必要さえない。


 そして、最後に、物理学者であったフェヒナーが、余技であるかのように書いた哲学的散文詩のことが短く紹介される。


 その思想によれば、人間は三度生まれ変わる。
 一、お母さんのお腹の中
 二、誕生(覚醒と眠りが入りまじった現在の生活)
 三、永久の覚醒生活


 三は通常死と呼ばれているものだが、肉体を脱ぎ捨てて地球、あるいはそれを越えた宇宙の意識との調和に向けて進んでいく真の意味での誕生である。これを神秘主義的、あるいは宗教的にさえとらえる必要はない。むしろ認識的な転回である。死が覚醒だといっても、そこになんら倫理的な要請が結びついているわけではないからである。実際、言葉こそ違うもののこの短編の中盤ですでに同じ意味のことがいわれているからである。


 「地上とは思い出ならずや」ーーこんな言葉を曾てお昼の銭湯に浸りながら思い浮べて、何かしら愉しくなったことがありましたが、今度はそれとはうらはらの惨めさでした。自分には何の拠り縋るものがないのです。


 このときはすでにアルコールづけの日々で、同じことを考えてはいたのだが、そのことによって愉悦を感じることができなくなっていた。そこに再び愉しみを見いだすことができたのが、SAINTというイデアの閃きであり、それによって罪責感とはまったく関係のない無垢の愉悦を再び取り戻し、新たな世界に移行する。反復とは同じことの繰り返しではなく、つねに更新される肯定という活動である。

信心のユーモア――古今亭志ん生『大山詣り』

 

古今亭志ん生 名演集14 庚申待/大山詣り/金明竹

古今亭志ん生 名演集14 庚申待/大山詣り/金明竹

 

  大山は正確には大山阿夫利神社といい、大山の最寄りの駅は小田急線の伊勢原で、同じ小田急線の沿線に住んでいたせいもあって、何度か行ったことがある。伊勢原まで行くのに三十分以上、駅からバスでさらに三十分ほどかけてようやく麓に到着する。

 

 本社と下社とがあり、麓から下社までは、もちろん徒歩でも行けるが、これ以上の急勾配はあるまいかと思われるほどのモノレールでものの五分位で到着する。モノレールを降りてから下社までは食べ物屋や土産物屋が並んでいる。下社から本社までは小一時間かかる山道で、小山だが散歩のつもりでいると痛い目を見る。


 なかば信仰を口実にして、江戸の人間が物見遊山の小旅行に出かける場合には、大山や江の島が選ばれた。大山詣りは博打打ちや職人など、威勢のいい連中がよく行ったという。江の島の方は弁財天を祭ってあるから、当然商人の信仰を集めたのだろう。海がすぐ近いことや、鎌倉をも観光のコースに入れることができるので、今日では江の島の方が賑わっているが、まだ鉄道などの交通手段がないころ、東京の方から来ることを考えた場合、さほど距離が変わるわけではなく、藤沢など遊ぶ場所も近かった。


 町内の男衆たちが今年も大山に行こうと、先達を吉さんに頼むが、喧嘩ばかりで揉めごとが絶えないからもういやだと断られる。今回は喧嘩をした奴は罰金を取った上に坊主にすると皆で約束しましたからそんなことはありませんと、決めごとをして出かけた効果があったのか、大山詣りまで無事に済んだが、江戸に戻る最後の宿で無礼講だと飲み始めたときに、溜まっていたものが噴きだしてきた。酔っ払った熊公が風呂のなかで仲間を蹴りつけるわ、小便をかけるわで手に負えない。とうとうよってたかって寝ているすきに坊主にしてしまった。

 

 気づいた熊公はこうしたことになると気がまわり、早駕籠で皆を追い越し、町内へ戻ると、大山へいった者たちの女房を集めた。そして金沢八景で舟に乗っているとき、天候が急に変わり、舟が転覆、自分だけが生き残ってしまったと語る。最初はほら熊が言ってることだよ、と半信半疑だった女たちも、仲間の弔いのために坊主になったという姿を見ると本気にせざるを得なかった。女房たちも悲しんだので、次々に坊主にしてしまった。

 

 さて町内の者が帰ってくると、女房たちが坊主になっているので怒って熊公を打ちのめそうとするが、先達が考えてみればおめでたい、と止めた。なにがめでたいんだ、考えてごらん、お山がお無事で帰ってみるとみんなお怪我(毛が)なくっておめでたい。


 『浮世床』に関しても述べたように、髪は現在とは異なる重要な意味合いをもっていた。職業身分をあらわす自己証明書でもあったし、社交のための大きな要素でもあり、死に値するような罪でも、髪を落とせば減じられることもあったという。

 

 もちろん、頭を丸めるというのは仏門に帰依するという連想がもっとも強いわけであり、仏門に帰依するとは浮世から引退し、この世の浮沈、栄誉や零落とは関係のない別の世界に入ることを意味していた。いまでは想像しにくいそれだけ重大な事柄をくだらない駄洒落で収めてしまうところがいかにも落語らしい。

 

 確かに、髪の毛はいまとは比べものにならないくらい様々な大きな意味を担っていたが、熊公が言っていたように舟が転覆して死んでしまうことに比較すれば、直に伸びる髪の毛がなくなったことくらいは軽い状況のはずだ。死刑の当日に、今日も幸先がいいぞ、といった死刑囚のように、ポンと意味の階層を上がれることも落語の醍醐味であり、信仰に帰依することもおっちょこちょいに思えてくるから妙である。

記憶の方向--ブラッドリー『エッセイ集』

 

Collected Essays

Collected Essays

 

 

 十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて活躍したブラッドリーというイギリスの哲学者が、記憶の方向について面白いことを考えている。

 

 記憶の方向というだけでは意味がわかりにくいが、つまり、我々がなにかを思い返すとき、なぜ過去から現在(仮に前方に向けて、と言っておこう)という方向で思い返し、現在から過去へ(仮に後方に向けてと言っておく)ではないか、ということである。

 

 例えば、夜、今日一日のことを思い返すとき、我々は目覚めたときから今までの時間を辿り、その反対ではない。ごく当然のこととしてそうしているが、ちょっと考えるとこのことはそれほど自明なことではない。

 

 実際、我々が時間の流れというようなことを考えるとき、未来がやってきて過去として貯えられていく、というように思う。

 

 ところが、時間の流れを川の流れのようなものだとするとそのイメージはぼやけ始める。そのとき、未来としてイメージされるのは水が流れてくる方向、上流であって、背後に流れ去っていくのが過去となる。だが、このイメージに基づけば、時間は後方に向けて流れていることになるわけである。あるいは、水が流れてくる方向、上流が過去であって、流れていく方向、つまり下流が未来だといえるのだろうか。

 

 しかしながら、流れだけを考えるとすれば、方向は消え去ってしまうだろう。川が上流から下流に流れていくことがわかるのは、水泡が流れ、必ずしも透明ではない水流の方向が見て取れるからで、言い換えれば、流れそのものではない流れに付帯するあれこれのものによって我々は方向を知る。いっさいそうしたもののない状況では時間の方向さえ考えることができない。

 

 では、我々はなぜ時の流れに方向があると感じるのか。それは、我々が川の流れで知覚する水泡や水流にあたるもの、我々に関わる出来事があるからである。それでは、なぜ、過去を想起するときには前方に向けて思い返し、にもかかわらず時間は未来から過去へ、後方に向けて流れているように思われるのだろうか。

 

 ブラッドリーの解答は、言われてみると拍子抜けがするほどあっけないものである。つまり、時の流れに流されながらも流れにのみ込まれて運び去られはしない自己があるためだということである。流れにのみ込まれてしまえば、出来事はあるが出来事の推移はなくなり、流れがあってもなくても同じことになってしまうだろう。我々は流されているから時と共に進み、新たな経験に出会う。

 

 前方に向けて想起するのは、出来事が我々の進む方向と同じ方向に向けて推移するため、我々が流されていくことをもとに出来事が推移する方向を理解しているためである。時間が後ろ向きに流れているように思われるのは、少なくとも出来事と同じ速さで変化することはない自己があって、その自己が出来事が通り過ぎていくのだと感じるためである、ということになる。

 

 確かに、こう考えれば問題は一応解決されている。しかしながら、すべてが流れと出来事と自己との相対的な関係に基づいていて、確固とした根拠の上に立つものではないことに気づくとき、何とも曖昧な気分に誘われる。そして、この問題が扱われている短いエッセイを読み返して、何気なく書かれた冒頭に近い一節を読むと、曖昧な気分は更に方向を見失っていくように思われる。即ち、

 

私自身について言えば、そうした一般的な傾向があるという事実はもちろん受け入れるが、例外がないと確信しているわけではない。私は後方に向けて想起することが不可能であるとは信じていないし、時には現実に起きているのではないかと疑ってさえいる。

 

ケネス・バーク『恒久性と変化』を読む1(F・L・アレン『オンリー・イエスタデイ』)

 

Permanence and Change: An Anatomy of Purpose, Third edition

Permanence and Change: An Anatomy of Purpose, Third edition

 

 

 

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)

オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)

 

 


 『恒久性と変化』は大恐慌が始まるころ、我々の伝統が甚だしい変化に向かい、恐らくは永久に崩壊してしまうのではないかという一般的感情が存在した時期に書かれた。当時の作家たちは、ばらばらになることを防ぐためにまとめあげることがあったが、これはそうした本の一つである。自分がどこにいるかわからないまま、この本の著者は「定位」についてノートを取っていた。記号をどう読み取っていいか確信をもてぬまま、「解釈」についてノートを取った。自身分裂していながら、分裂について記した(或は、この本で言う「不調和による遠近法」を)。混乱を再統合する方策を探し、過度の単純化ではない「再単純化」の可能性を求めた。要するに、板挟みな動機づけのうちにあって、「動機づけ」について書いたのである。結果的に、ある段階における変容をあらわすこととなり、探求によって変容そのものの過程に入り込むことになった。

 

 

 

 あらゆる決定は、未来に関わるため必然的に不確実性を含むとはいえ、おおざっぱな区別ができる。慎重な者が既に自分のものにしている考え方を単に当てはめるだけの決定がある。他の決定は、「危機」(ギリシャ語では「判断」に他ならない)においてなされ、不安定性を含むのが特徴で、慎重な者には馴染みがないような方法で考えることが試みられる(或は誘惑されるのであろうか?)。


 どちらの決定も劇の用語で扱うことができる。通常の決定は、「行動」、「目的」、「役割」などの言葉で論じれば、「劇学的に」扱われる。しかし、「危機」の決定はより特殊な意味合いにおける「劇的なもの」が働いている。


 例えば、マクベスの第一幕第七場の、「やってしまえば、それですむというなら、早くやってしまうに越したことはない」という独白を考えてみよう。これは「危機」における決定であろう。劇における犯罪の決意は、その決定がもたらす「動揺」が必然的に「罪」として経験される内的な葛藤を含んでいるので、危機の決定一般をあらわすのに特に適している。


 そうした瞬間は、構成要素をながながと論議することによって散文的に「解体」される。「劇の」分析は、劇的な総合とほぼ正反対のものであろう(散文にはそれ特有の併合があり、劇作家は行動の全体を様々な役割や段階をおった展開に振り分けることで効果をあげるので、この分析と総合との区別はあまり絶対的なものと考えるべきではないが)。


 しかしながら、この著者は「危機の思考」をいま流行している実存主義の言葉であらわすつもりはない。読者も、この本がそうした要求を満たすものではないと即座に見て取られることだろう。実際、この本の元々の題は「コミュニケーション論考」であり、そうした精神に基づいて書かれている。この著者は外国の侵略者による占領を受けたことのない国で書いた。貧困を魔術に対するかのように恐れているが、お金がなくて食事を抜かしたことはない。戦場で新たなヴィジョンを得たわけでもなかった。子供のときに地下室に縛りつけられ、鼠にはい回られるようなこともなかった(腕白ではあったが)。怖がったものがあるとすれば、自分自身でくりぬき乱杭歯を刻みつけ、なかからの光で不気味に輝いているハロウィンのカボチャを見たときくらいのものである。


 つまり、これを一言にして言えば、最も厳しい状態のなかで、コミュニケーションについて必死に考えたということである。


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 彼はまた、コミュニケーションは物質的な共同作業に基づいているという考えに同意していたので(いまもしている)、原稿が出版される前に、そうした物質的共同性が取るべき形式について5,6ページに渡って論じた。この版ではそのページが除かれている。いまの状況では、元々書かれたときの試験的な精神が読み取れないだろうし、取り除くことでこうした本には必要のない面倒な問題を避ける助けとなろう。除外は一種の「復元」と言ってもいいものでさえあって、テキストは本来の性質に戻ったのである。更に、この除外は次のように正当化されよう。


 人間社会の共同作業は決して絶対的なものではなく、時間と場所の条件によって様々に変わる。いかなる共同性であってもその性質には欠点が予想される(擁護者は美点だけを強調し、反対者は欠点だけを強調する)。ある国の、或は国際的な状況に最適の共同性のあり方はどういうものかという議論は、解決し得ないものであるし、あるいは、関連はするものの大きく異なった問題に専念した著作ではその大半の頁を使っても正確に直面することさえできないことである。論旨を壊すことなくそれらのページを容易に取り除くことができること自体、それらが必要ではないという十分な証明である。


 社会の共同的慣習の政治的性質についての判断それ自体が不必要だと言っているわけではない。その反対である。この本の論旨にとっては必要ではないと言っているだけであって、我々の考察に必要なのは、理想的共同の体制は(それがいかなるものだろうと!)コミュニケーション媒体に極めて重大な物質的助けとなるであろうし、そこでは共同性が損なわれる範囲に応じてコミュニケーションも損なわれるということである。


 しかしながら、この場合にも、単純な一対一の対応があるわけではない。この世界においては、コミュニケーションは決して絶対的なものではないからである(天使だけが絶対的なコミュニケーションをする)。コミュニケーション体系のある点での欠乏は、他の点においては進歩を示すかもしれない(視覚に障害をもつ人間が聴覚や触覚においてより鋭敏になるように)。


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 二十年たってふり返ってみると、著者は自らの意に反して想像力に引きずられていることが見て取れる。つまり、合わぬ役に身を置こうとしている。いまならばまったく別な風に言うであろうことを勇敢に断言するような人物を思い描いているようだ。書いているときには独白と思っていたこの本は、かくして、後の著作との関係において、対話のなかの声の一つのようなものとなった。


 例えば、なんどか言及される「メタ生物学」について考えてみよう。多くの部分で、「メタ生物学」ということによって著者が意図していると思われるのは、人間の文化の「より高次のあらわれ」は、すべて、単なる生理的本性における身体の「投影」として説明されるということである。著者は、テクノロジーが人間をその単純で自然な生から引き離す危険があるという考えに影響されていた。この恐れは、人間の理想的な生活の規範として穏やかな南の島の存在を思った(癩病は抜きで!)ゴーギャン的な考えに合致している。自然に立ち戻ることが勧告された箇所もある。かくして、人間関係の闘争は、動物である生物体としての人間が、ジャングルでの自然の戦争状態で生き残るために脳と筋肉を備えるにいたったという「生物学的事実」から直接に派生したと考えられる。


 しかし、また別種の「生物学の彼岸」が存在し、そこには純粋に生理学的な用語には還元できない多くの倫理的難局が関わっている。こうした観点から見ると、この本で言及されている動物実験などについては、なにかについての「科学的な証明」と解釈されるべきではなく、科学的な装いをしたイソップ寓話であり、隠喩的に「ある性格をあらわにする」ものと考えるべきである。というのも、言語を使用しない生命体を使っての実験は、言語を使用する種に特徴的な動機についてなんら本質的なことを教えてくれないだろうからである。


 経験論的な根拠に立っても、「メタ生物学」は社会的動機を考慮に入れることで修正される必要がある。人間に特有な支配と従属は決してためらいもなく「自然な」あるいは「生物学的な」ものには還元されるべきではない。この本には多くの点で斟酌が必要とされる箇所が含まれている。そして、それはいまの私であったらするように明瞭にされてはいない。


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 「戦士」としての本性という考えについて更に述べよう。この本では、詩的性質と倫理的性質とが重なりあう「敬虔さ」について悩まされ、著者が主として従ったのはジェレミーベンサムに発する言語的考察なのだが、恐らくその考え方は、ベンサムが意図したものとは異なっているだろう。しかし、少なくとも、多くの公式的勧告に担わされている「道徳的義憤」の安易な見解に不信を抱くことについてはベンサム的だった(討議と和解によって合理的に解決される問題が、ベンサムが「利害のからむ偏見」と呼ぶものに関わることで、苦しく手に負えないものとなる)。


 同じ時期、著者は二つの動機づけの体系を巡るある種のメロドラマ(或は近代化された道徳劇ともなろう)を書く計画をもっていた。舞台の前面には一連の現実的な出来事があり、家族同士の喧嘩、仕事場での情景、愛しあう恋人、政治家の演説などの典型的な人間の状況が扱われる。背景には、その行動についての注釈のようなものとして、前歴史的な神話的怪物たちがパントマイムのうちに襲撃し戦い合う太古の森が存在する。


 これら二つの領域は、明白な関連をもっているわけではない。「前歴史的な」背景の怪物たちは、前景の日常的人物になんら関心を示さないだろう。日常の人物たちは、背景に気づくことはないだろう。しかし、背景のパントマイムは、結果的に、前景のリアリスティックな行動に対して「神話的」或は「象徴的な」やり方で注釈を加えている。かくして、前景でなんらかの「貴い」或は「優雅な」発言がなされる度に、背景ではそれに応じた残虐行為が行なわれる。例えば、登場人物が、「正義」、「美徳」、「自己犠牲の高貴な精神」などの名のもとに「崇高な」訴えかけをしているときに、背景では、のこぎりのような歯をし、顎から血を滴らせた巨大な龍に似た二匹の怪物が、決死の戦いを繰り広げているのである。こうした照応は、倫理的な言葉を用い、人間を駆り立てて互いを虐殺させる行為に潜む「ジャングルの動機」を示すことになるだろうと意図された。


 しかしながら、次第に出来事の頻度が増すに従い、二つの領域がより直接的に応じあっているかに見られる瞬間が訪れる。そして、劇は、突然枠組みが壊れ、背景にいた怪物が前面にも群がり、舞台全体を占領し、ある種の全体革命のようなものとして、道徳的な主張として「通常の」やり方であらわされている限りでの理性の力が完全に呑み込まれてしまうことで終わる。象徴に関連してならば、著者はこの計画が実現できなかったことを決して残念に思っているわけではない。説得力のある形で想像できるようなプロットだと考えているのでもない。しかし、奇想としては、「我々の身体的道具と武器の言語的投影」としての「検閲的言語」、また、幾分ニーチェ的な「道徳は鉄拳である」という発言の背後に潜むある種の気がかりを示す助けとはなるだろう。そして、道徳的判断を「自然における戦い」の一変種として見る見方を補完するものとして、神秘家の修行に等しい言語学的修行であり、ある種の否定を経由したベンサムが言うところの「中立的な」用語を絶対化する考え方に長くかかわずらうことになったのである。


***
 筆者は、接合、カテゴリーの接合、「原理における」接合、単なる接合観念を接合するある種の接合などに関心を抱くようになった。そして、作家としての「職業的精神病質」と一致することであるが、そうした接合をコミュニケーションとして、特に、理想的な詩的コミュニケーションとして考えた。


 しかし、彼はそれを中立化した言語、握り拳の伴わない言語の可能性と一緒くたにしたので、詩は重みのある言語を用いることで完成すると見ざるを得なかった。大空を翔る言葉は重みのある言葉であった。


 そうした語の重みは集団の関係性から来るという事実によって混乱は増した。個人としての詩人がどれだけ特殊な目的に合わせて言語を変えられるとしても、彼の用いる資源は「伝統的な」、つまり社会的なものである。そして、そうした、意味の社会性は、物質的振るまいや共同性の社会性に基づいている。


 後に筆者は、読者が共感的に参加できるような適切な段階に詩が従いさえすれば(だんだんと段階的に!)、詩人が言語の使用において集団的な「重み」を加えるとともにそれを「超越」できることを見て取れるようになった。当時、コミュニケーションの媒体が社会的な共同性のあり方に基づいているのは明らかな事実としてあったが、我が国の共同性のあり方は例外的なまでに混乱していた(少なくとも、その混乱は別の場合なら注目を引かない関係性をあらわにするという利点はもっていたが)。※


※詩人が重みのある言葉を用いながら、その重みを乗り越えるやり方については、別の場所で次のように要約した。


 言葉の「重み」は、詩に外的な社会体制の状況から生じる。社会体制における状況の相対的な固定性は(マリノウスキーが「状況の文脈」と呼ぶであろうもの)、ベンサムが言葉の「検閲的な」性質(「命名」)と呼ぶであろうものについて学ぶのを可能にする。人は道徳的な判断を含む文脈で使用される語を聞くことによってそれを学ぶ。しかしながら、次には、そうした言葉を「弄び」、「社会的支配」の道具としてごく普通に使用されるのとは異なった意味の範囲を実験的に割り当てることも可能になる。つまり、ある芸術作品のなかで特殊な状況をしつらえることによって、最終的には、忌まわしい言葉が最も尊敬される人物に適用されるような、またはその逆があり得るような場面を「非道徳化」なしにもたらすことができる。


 次に「対称」について考えてみよう。ある人物が言語の源泉からの影響を受けながら、定位、解釈、コミュニケーションについて書こうと企てる。「否定による訓練」を通じ、道徳的重みのついた言葉を中立化することを理想の目的とする。この地点において、そうした企ての絶対性そのものが、正反対のものに修正される。つまり、物質的共同性の理想の秩序に基づいた理想的重みの加わった言葉という考えである。こうした存在しない理想的な状況には「原理的に」加わるしかない。


 古い重みと新しい重みとのあいだには、我々が「不調和の遠近法」(ある重みの状況を超越する一つの方法を示す言葉)と呼んだ領域がある。この概念は、いま見るように、レミ・ド・グールモンが「観念の分離」としてあらわしたものの別の一面である。ド・グールモンは、分けることができないと考えられていた言葉の細片にまで方法的に爆破しようとした。「不調和の遠近法」とは、互いに排除し合うと考えられてきた細片を方法的に合併しようとするものである(「核分裂」に対する「核融合」と言えるだろうか)。


 いずれにせよ、夢はときに真剣な関心事の戯画に過ぎないという我々の信念によれば、「不調和の遠近法」について書いているあいだ筆者は、新しい種類のカードゲームを夢見ていたのだということができよう。このゲームのルールによれば、相手より低いカードをもっていたとしても、カードに新たな名前を与えることで、相手のカードより高い順位を得るという策略を使うことができる。(かくして、ジャックを二の札とすることもできるし、二の札をクイーンとすることもできる。)しかし、カードに付与された新たなアイデンティティは、一組のカードすべてが変更されるまで、そのままであり覚えておかれねばならない。ゲームがまだ初期の段階にある時点で夢からは目覚めた――しかし、既に熱病のような状態になっていたのである。強烈さにおいては落ちるにしても、「不調和の遠近法」への関心は、二つのまったく異なった位置から同時に見たときに対象をどう描くことができるかを探求した現代の画家たちの試みと比べることができる。


 「詩学」一般の問題については、後に筆者によって「象徴的行動」として至るところで論じられ、多くのことが幾分熱狂的なまでに言われた。人間は自分の社会にあった社会化の仕方で自己を正当化する(「私的な仕事」といえど、この厳密な意味では「社会化」の側面がある)。そして、そうした正当化は象徴的な動機によって活気づけられているので、もっとも実践的な仕事であっても象徴的に分析されるべきである(そうした契機のもと、人間の振る舞いをつくりあげる様々な種類の「強迫神経症」が抱かれる)。『反対陳述』では、筆者は社会化の原理を主として文学形式において考えた。『恒久性と変化』においては、動機づけの活動範囲が更に拡大された。しかし、「コミュニケーション」に関する議論においては、当然のことながら、より特殊な詩的関心の痕跡が多く残っている。『歴史への姿勢』では文学という特殊な領域から一般的な人間の道化芝居の領域へと移行している(公的関係や協議に類する主要用語を用い、それに応じて本質的に「喜劇的な」ものと捉えられる)。


***
 更に『恒久性と変化』を特徴づけるのは、職業的に多様な世界に応じた遠近法の様々な差異が強調されているということだろう。しかし、そこで読者はこう尋ねられるかもしれない。多くの異質な遠近法によって成り立つ世界のなかで、なぜ「詩的な」遠近法(「コミュニケーションするものとしての人間」)が最も重要なものとして扱われるべきなのだろうか。筆者は、この特定の遠近法が、単に彼の文学者としての特殊な「職業的精神病質」以上のものをあらわしていると説得力をもって主張できるだろうか。


 この疑問には、個人的に、また「原理的に」答えられる。個人的なことを言えば、すべてのページに筆者の明らかな癖が見られるばかりではなく、F・D・ルーズベルトの政権が始まったころの我が国に特殊な雰囲気に数多く言及されている(この時代には、あらゆるところで、よかれ悪しかれ、始まったばかりの生が突然に終わってしまったという感情が存在していた)。


 そして、「原理的な」ことについては、この特殊な遠近法は、一般的な遠近法に対して優先権を主張できると我々は信じており、それが限定されるのは人が従事し関心を寄せるものに応じてでしかない。人間という種族がその特殊性においていかなるものであろうと、みな象徴を使用する種の一員なのである。従って、筆者はあえて「詩的」遠近法を「原理的に」最も重要なものだとした。


 こう言ったからといって、人間の動機についてのこうした遠近法が権威をもつと言おうとしているわけではない。遠近法の「実現」に関する限り、政治的、軍事的、工業的力の方がより「ある傾向を決定する」。しかし、人間をシンボルに巻き込まれた存在と見る遠近法は、少なくとも、普遍的な矯正の働きを取り得るだろう――或いは、そうでなくとも、人間の動機を「胚胎する一面」を持つと見なされよう。それは権威の巨大なピラミッド構造の只中においても常に出くわすもので、強力な権威は「詩的遠近法」の弱さを物笑いの種にするのだが、権威といえども人間が言語、特殊な用語法、シンボリズムに大きく頼っていることの証言である以上、その主要な例なのである。


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 我々は遠近法を「隠喩」として扱っているが、いまの社会科学者たちはしばしば「モデル」として扱っている。この点に関して、我々の「隠喩的拡張」は、しばしば誤って使われている批評原則に関わっている。それは批評家がある個別の作品のあり方を特徴づけようとするときの「類推」における誤用ではなく、むしろ概念自体の誤用である。例えば、「詩的遠近法」や「隠喩」を単なる境界の「拡張」と見なし、「示唆的な」価値しか認めないのであれば、それは文字通りのことを意味する修辞でしかなくなる。


 しかし、もし我々が与えられた問題を位置づけるための方便として自由に境界を定められるとしても、当然拡張や縮小の隠喩自体が拡張したり縮小することは用心しておくべきである。


 例えば、ある立場がより以前の立場の拡張によって到達されることがある。だが、到達したとき、それは独自のものの見方を育てている――そこから進むには、また別の立場が後を引き継がねばならない。或いは、ある言葉の組み合わせで考えられていた立場が、別の言葉の組み合わせで「言い抜けられるよう」促されることもあるかもしれない。


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 もう一つ言っておくべきことがある。『反対陳述』の新版の終章で、『恒久性と変化』の展開の儀式的原理とでも言うべきものについて述べた。この本は警戒の観念と結びついた深さのイメージ(潜行)に始まり、恐れの観念と結びついた高さのイメージ(浮上)で終わっている(中間の「不調和な」部分は、両極の過渡的な衝突を扱っているが)。今回読み直してみて、我々は別の種類の展開を認めた――言語行為一般について示すいい機会であるから、それについて言っておきたい。


 我々が気づいたもう一つの対照は始まりと終わりにある。解釈について議論される第一部では、「スケープゴート・メカニズム」という概念がベンサムによる「誤った手段の選択」という概念に取って代わられた。しかし、後半、倫理的動機を論じるときには(「敬虔」、「不敬虔」、「悲劇による勧告」に関連した)、我々は必然的に生贄と犠牲との逆説に巻き込まれる。かくして、「批評」(或いは「判断」)についての冒頭部分から「行動の詩」に関する最終章に進むにつれ、説明には別の次元が取り上げられることになる。つまり、「スケープゴート」原理の一変種を導入することである。


 技法的に言えば、始まりと終わりのこの不調和は次のように定式化される。「もし解釈を手段選択として分析しようとするなら、人間の解釈の誤りを考察するのに『スケープゴート・メカニズム』といった語に頼る必要はない。しかし、倫理における犠牲的要素を考えるようになるや、なんらかの形でのスケープゴート原理が必要とされる。」しかしながら、生け贄についての完全な考察は、社会的ピラミッドに固有の「罪」がいかにその「浄化」を必要とするかを考える後の著作に取っておこう。


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 二十年前に書かれたこの著作を、現時点で書き直すとしたら、多くの細かな修正が必要である。例えば、事業家や専門家が、自分の領域にいる競争者や「見知らぬ」分野で活動している人物に言及するときにしばしば自らに許す「官僚的報復」がそこここに認められるかもしれない。


 「魔術、宗教、科学」の部分に関しては、重要な保留がなされるべきだろう。著者の現在の好みからすると、そこではあまりに「歴史主義的な」強調がなされているように思える。魔術、宗教、科学を世界の歴史における三つの異なった連続的段階として考えるよりも、いまの私は、この三つを言語の源にあって「永遠に新たに生みだされる」動機づけとして扱う分析方法を取っている。


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 この本の論点は次のように要約されよう。(第一部)いかに意味が形づくられるか。(第二部)形成された意味が変更されるときの方策と障害。(第三部)コミュニケーションの問題と手順を分析する際の概念的基礎となり、理想目的が組織に移しかえられるときに、多くの予期せざる展開を生じさせる抵抗の原理によって修正もされる理想となる新秩序。


 各部の冒頭にはより詳細な内容が掲げられている。
                            K.B
    ロス・アルトス、カリフォルニア
         4月 1953年

 

 

 

 「大恐慌」は1927年ころから始まった。同時代の証言であり、1931年に刊行された、F・L・アレンの1920年代のアメリカを描いた『オンリー・イエスタデイ』によると、1927年にはかつてないほど大量の株が株式取引所で取引され、一部の専門家のあいだには不穏な雰囲気を感じるものもいたらしい。しかし、大暴落という危機的状況を予測も、想像もできない多くの者たち、特に強気市場で最初に儲けた投機家のグループによって、大量の株が買い支えられていた。


 破局となる大暴落が起こったのは1929年10月のことだった。それは経済だけに関わることではなく、アメリカの価値体系を変えてしまった。アレンは次のように書いている。

 

繁栄とは、単なる経済状態以上のものである。それは一つの精神状態をあらわす。大強気市場は、景気の周期の頂点以上のものであった。それは、アメリカの大衆の思考と感情の周期の一つの頂点でもあった。繁栄によって、幾分なりと生活に対する態度に影響を受けず、また、突然の残酷な希望の崩落によって影響を受けなかった男女は、この国に存在しなかったといってもいい。大強気市場は去り、繁栄の時代が終わろうとするとき、アメリカ人はやがて自分たちが別の世界に住んでいることに気づくのである。その世界では、新しい適応と、新しい思考の習慣と、新しい価値の体系が要求されている。心理的風土が変わりつつあった。つねに動いているアメリカの日常生活の流れは、新しい水路に向かって流入しつつあった。

 

 20年代に若い世代のフラッパーなどによって勝ち取られた自由は、失われてはいなかったが、自由をなにに向けるかは明らかではなかった。タブーが破られ、モラルがつくりかえられることに伴う高揚感はなくなっていた。

 

 序文についてなので、細かな点にまでは立ち入らない。

気遣いと本心――古今亭志ん生『厩火事』

 

古今亭志ん生 名演集11 お化け長屋/厩火事/穴どろ

古今亭志ん生 名演集11 お化け長屋/厩火事/穴どろ

 

  孔子は、馬小屋で火事があったとき、お気に入りの白馬についてはなんら口にすることはなく、ただ家来の安否を問うたという。一方、さる屋敷の殿様は焼きものに凝っており、あるとき奥方が焼きものをもって階段から落ちたときに、焼きもの心配ばかりして、奥方の身体のことは尋ねもしなかった。

 

 なにもしないで遊んでばかりいる年下の夫の本音がどこにあるかわからない、いつか若い女と一緒になって捨てられてしまうのではないかと、夫婦喧嘩のあげく(志ん生の噺によれば、お崎が芋ばかり食べているという実にくだらない理由だ)相談しにきた髪結いのお崎に仲人が言って聞かせるたとえである。

 

 人間が本当に大事にしているものはなにかという本心はとっさの出来事であらわになるというのが仲人の教えだ。お崎の夫も骨董品、皿や茶碗などに凝っている。ちょうどいいから一番大事にしているものを目の前で割ってみな、ということになる。帰ってなかば強引に大事にしている茶碗を洗うといって、壊してしまう。

 

 夫は茶碗のことは一切触れずに、身体は大丈夫かと聞いてくる。おまえさん、私の身体をそんなに心配してくてくれているのかい、当たり前だよ、おまえに患われてみねえ、遊んでて、酒が飲めねえ。


 仲人が語る孔子のエピソードは考えてみれは奇妙なものである。どこから由来するものなのかわからないが、「聖人」が馬よりも人間の命を大切にするのは当然のことであるし、ぐうたらな亭主が聖人と同じ気の働かせ方をすると期待すること自体、無理な話だといえる。

 

 もっと気のきいたエピソードがいくらでもありそうなのに、あえてこのエピソードをだしたのは、『金瓶梅』にもっとも典型的にあらわれているように、昔の中国の貴族や富裕層では一夫多妻が普通であり、孔子自身「唯女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくればすなわち不遜、これを遠ざくれば即ち怨む。」(「女子と小人とだけは取り扱いにくいものだ。親しみ近づけると無礼になり、疎遠にすると恨みをいだくから」『論語貝塚茂樹訳)などといった言葉を残しており、藪をつついて蛇を出すようなことを心配したのかもしれない。


 また、二番目のエピソードも、要するに程度の問題であって、馬は入り口さえ開けておけば勝手に逃げてくれるだろうが、焼きものは重力に逆らえず、落ちたらほとんど壊れるしかない。階段の様子を見て取った殿様は寸時に奥方に大事がないことを悟り、あえて焼きもののことを尋ねたのかもしれないのだ。もちろん、家来や奥方に対する気遣いから考えると彼らの安否をまずはじめてに聞くことが「正しい」ことは確かだが、その「正しさ」と本心とが一致するとは限らない。

 

 『厩火事』という噺が楽しいのは、気遣いと本心と「正しさ」が一致し、とっさの場合あらわになると信じているお崎と、晩飯を一緒に食べようと用意してそれなりの気遣いを見せてはいるが、とっさのときにでてくるのは「正しさ」とは無関係の本心である夫との、それこそ料簡の違いにある。

子供の時間――アダム・フィリップス『キス、くすぐり、退屈』

 

 

On Kissing, Tickling, and Being Bored: Psychoanalytic Essays on the Unexamined Life

On Kissing, Tickling, and Being Bored: Psychoanalytic Essays on the Unexamined Life

 

 

 イギリスのサイコセラピストであるアダム・フィリップスは、「退屈することについて」というエッセイの冒頭に近い部分で、こう言っている、「大人のだれもがとりわけ記憶しているのは、子供時代の大いなる倦怠であり、あらゆる子供の生活は退屈の呪縛によって間々中断される」と。

 

 これを読んで、いつのまにそんな世間的合意ができたのかと驚かざるを得なかった。というのも、記憶にある限り、子供時代と退屈ほどそぐわぬ取り合わせはないように思えたからである。

 

 時間は有り余るほどあったに違いないが、そもそも使うという意識がなかったせいか、持てあますこともなく、蚕が桑の葉を黙々と食べ進むように、時間を惜しみなく消費していた。

 

 つまらない時間があったとしても、それはただ単につまらない時間として流れていき、あり得べきより楽しい時間と比較して退屈だと感じられるわけではなかった。その後、やや成長し、しなければならないことと、しなくとも済む状況の可能性が等しく勘案されるようになって退屈の主張が始まるのであり、そうした意味において退屈とは、実行が許されるかどうかはともかく、常に逃れる手段が与えられている。

 

 ところが、フィリップスの言う退屈とは、どうやら、単純に避ける方途が見いだされるような退屈とは異なったものらしい。例えば、彼がカウンセリングをした一人の子供は、退屈したことはないのかと尋ねられて驚き、これまでにない沈んだ様子で「退屈することなど許されていない」と答えたそうである。

 

 人は常になにかに関心をもち、活発に行動すべきであると親も子供も信じている。つまり、この子供は、正確に言えば、退屈を知らないのではなく、退屈を知らない状態を知らないのである。しかしながら、だからといって、フィリップスはいかにも現実的なセラピストらしく、幼児期という黄金時代を信じているわけではない。

 

 彼の言う子供時代の退屈とは、幾分詩的な、永遠に夏休みが続くかのような無責任で放恣な満ち足りた時間のことではなく、発達の一段階にあり、いまだはっきりとした形をとるにはいたらない欲望を予感しながら、欲望の対象さえ定かでないという曖昧な宙づりの状態に直面したときのある種の防衛作用であり、うまく退屈することができないと心的なバランスを崩すことになる。

 

 だが、子供から成人に成長することによって明らかになる欲望とはせいぜいが性器を中心にした性的欲望くらいのもので、いささか詩的な私としては、その程度の問題に子供時代の時間を譲り渡したくはない。実際、次のような言葉は子供ではなく、大人にこそより当てはまるように思われるのである、即ち、

 

 退屈とは、それがなにでありうるのか知ることなく何ものかを待つという不可能な経験から個人を守り、堪えられるようにする。退屈のなかで待機することの逆説は、それを見いだすまでなにを待っているのか知らないこと、また、しばしば待っていることさえ知らないことにある。

 

 

狸御殿という夢ーー鈴木清順『オペレッタ狸御殿』(2005年)

 

 

脚本、浦沢義雄。撮影、前田米造。振付、滝沢充子。音楽、大島ミチル白井良明
 
 公開時に映画館で見て、約25年ぶりに見直した。不覚なことに、公開時に見たときも面白かったのだが、こんなに素晴らしい映画だとは記憶していなかった。もともと『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』によって映画の魔力に本格的にとりつかれることになったので、鈴木清順は私にとっては特別な監督であり、日活時代の作品はいまだに見ることができないものも多いが、この二本以来新作は公開時に欠かすことなく見ていた。
 
 インタビューを見ると、昔の映画界では、忠臣蔵が撮れたら一人前といわれていたらしく、石原裕次郎主演のいわゆるB級映画を撮らされることの多かった鈴木監督は、年に一度の、大スターを集めた忠臣蔵などには当然ながら無関係だった。
 
 しかし、いうほどそのことに拘泥しているようではなく、話のついでに出した程度のことで、本題は要するに、忠臣蔵というのは男性中心の映画であること、その時代の男性スターたちが集まって作り上げるものなのに対し、その女性版にあたるもの、当代の美女が起用されて作られる映画があってよいのではないか、そしてその映画こそ狸御殿ではないかというわけだが、古くは浅草で榎本健一などが演じていたそうだが、映画では1939年から1959年にいたるまで7作のシリーズがつくられている。7本のうちの5本を木村恵吾が監督しており、前半はほぼ宮城千賀子が主演を演じており、後半になると美空ひばりが演じるようになる。
 
 鈴木清順といえば、インタビュアー泣かせの監督であり、意図などを問われても、そんなものはありませんよ、いわれた通りのものをつくっているわけでね、などと答えることを常としており、なかにはつかみ所のない答えにいらだつものもいたようだが、そんなことを考えてものをつくるわけないだろうと私は思っていたが、趣味になると話は別で、鈴木清順はどんな女優が好みなのだろうかというのは長年の謎だった。
 
 『ツィゴイネルワイゼン』ころのなにかのインタビューで、どんな女優が好きなんですかと聞かれて、女優さんは与えられた人を使うだけで、会社の制約とかいろいろあって自由に使えたことがないけれども、といま一緒に仕事をしている大楠道代大谷直子に相当失礼なことをさらっと交えつつ、原節子とか使ってみたかったけどね、という答えにびっくりした。
 
 『肉体の門』や『河内カルメン』で使うような倒錯的な部分や意地悪さはないと思っているからなにか実現し得ない腹案があったのかもしれない。その鈴木清順が『狸御殿』の宮城千賀子に惚れて、20年間企画を温めてきたというのだから、潤沢に使えるお金はなかったにしろ、或ははじめて自分のつくりたいものをつくったのかもしれない。
 
 話はごくたわいのないもので、毎日魔法の鏡を見ながら世界で一番美しいことを確認している城主安土桃山(平幹二朗)が自分の息子である雨千代(オダギリジョー)が自らの美の牙城を脅かしていることを知り、殺してしまおうとする。一方、狸御殿に住む狸姫(チャン・ツィイー)は雨千代と恋に落ちる。安土桃山には妖術師がついており(由紀さおり)、狸姫には信頼する腰元(薬師丸ひろ子)がいて、私は薬師丸ひろ子のファンであったことはないのだが、彼女が登場して、歌がうまいことはわかっていたのでそれはともかく、所作の一つ一つが正確にあるべき軌道に乗り、正しい場所にとまるのを感じて心底びっくりしてしまった。オダギリジョーは『陽炎座』でいうところの松田優作の役回りで、翻弄されながらも決してその場から離れることのないクールな役どころを見事に演じていた。
 
 なにしろ自然のものといっては、満開の桜の花を揺らす風と安土桃山が狸姫と雨千代と果たし合いをする海の波くらいのもので、あとはすべてスタジオ内の映画内舞台、或はそれさえないデジタル処理のためのブルーバックの前で、一挙手一頭足にいたるまで様式化されている。歌舞伎によく似た舞台設計であるにもかかわらず、歌舞伎俳優がまったく起用されていないことは、この様式がいわゆる伝統的様式とは関係がないことを示している。
 
 狸御殿が鈴木清順の若かりしころからの夢であり、映画が願望充足のひとつであるならば、この映画には鈴木清順の最も美しい夢が充溢しており、その夢が狸御殿に、化けて化かされ、夢も現実も見せられ、真実も虚偽もある場所に結晶していることを思い、それが最後の映画になったことに胸がいっぱいになる。