倒錯的な物の創造=破壊--『パットとマット』

 

パットとマット~なにもそこまで~ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: TDKコア
  • 発売日: 2001/06/27
  • メディア: DVD
 

 

 

パットとマット~なにがなにやら~ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: TDKコア
  • 発売日: 2002/04/24
  • メディア: DVD
 

 

 

文楽座の人形芝居

文楽座の人形芝居

 

 

 『新八犬伝』や『三国志』はテレビで見ていたし、シュワンクマイエルは好きだが、イジートルンカ、『ぼくらと遊ぼう!』、『パットとマット』、『チェブラーシカ』などのチェコを中心にした人形劇をみると、その拡がりを感じることができる。こうした人形劇を見ていると、かつて安部公房が、盛んにミュージカルについて発言していたときに、ミュージカルは精巧な機械のようで、この機械をうまく使いこなしてみたいという思いを掻き立てる、というようなことを言っていたのを思い出す。もっとも、精巧な機械というよりは、こちらは使い道のよくわからない奇妙な機械と言った方がいいかもしれない。

 

 こうした人形劇は、一コマ一コマ撮影するという目の眩むような労力によってできあがっている。それがテレビの『新八犬伝』のような人形劇や文楽などと決定的に異なる。例えば文楽では人形の後ろには人形使いの研鑽された芸があって、その人形の動き、形は「ただ人形使いの<運動に於てのみ形成される形>なのであって、静止し凝固した形象なのではない」(和辻哲郎文楽座の人形芝居」)。文楽の人形は人間と人形との混合体として生動している。人形使いの芸によって人形に生気が浸透し、ある平衡に達したときに、人間とも人形ともいえない幻影的な動く像としての人間が生まれてくると言える。

 

 一方、コマ撮りの人形劇はもっとも生命的な要素からかけ離れたところでつくられている。二重に生命から切り離されているといっていい。つまり、ある一コマを撮影するときには、その場面から人間の手は完全に引かれており、そこには細心の注意を払って人間の手が加えられた物はあるけれども、人間そのものはまったく不在である。また、時間の切断がある。普通に撮影されるのであれば、それがどんなに下手な人形の使い手による人形劇であっても、人形に伝わっている人間の有機的な動きを感じることができるだろう。しかし、すべての動きはコマのなかに封じ込められており、分割できない連続性はここには全くない。

 

 あるコマと次のコマがつながる必然性は、作り手のなかにこそあるかもしれませんが、客観的な根拠はなにもないのである。こうしたことからだろうか、こうしたコマ撮りの人形劇には、文楽などよりもずっと魔的な、ゴーレムの製造を思わせるような雰囲気を感じてしまう(チェコなことでもあるし)。

 

 特に印象的なのは、『パットとマット』である。卵形のほとんど同じ顔をした二体の人形がなんということもない、ごく日常的な仕事をしようとする。カーペットを洗おうとしたり、壁紙を張ろうとしたり、本棚や揺り椅子をつくろうとしたり、車を車庫に入れようとする。しかし、円滑に目的が達せられることはない。目的のためには手段を選ばない二人は、周囲のものを次々と壊しながら、本棚や揺り椅子といえばそう見ることができなくもないような、それがまだ車と車庫だと言えるなら車庫に車が入っていると思えなくもない奇妙なオブジェの前で満足をあらわす快哉のポーズを決める。

 

 マルクス兄弟が汽車を壊しながらそれを汽車を動かすための燃料にするシーンを思わせるが、あちらは人間的なエネルギーの集中と発散が感じられるのに対し、『パットとマット』では決して高揚も消沈もしない無表情な物が物を壊し、実用には適さない無用の物を作りだす、というかなり倒錯的な場面において、物(つまり、人間の役をしている人形ではない物そのものの)が動いている実感を時に味わわせる。

 

 

幸田露伴を展開する 6

      6

 

 坪内逍遙宛ての書簡で賞賛し、晩年には『七部集』と呼ばれる、芭蕉門弟たちの連句、発句を集めたものの評釈にかかり切りになったことからも、露伴芭蕉に対する敬愛の念はほぼ生涯を一貫して変わらなかったと思われるのだが、以前から私にとって疑問に思われているのは、露伴が俳句という形式について、あるいは芭蕉以外の俳人についてどれほど関心をもっていたのか、ということなのである。

 

 全集で残された露伴作の俳句は、四百句弱である。それとは別に、連句は五回催されている。いずれも死後に発表されたもので、先に引用した『地獄渓日記』の句など、作品中にあらわれた句も含まれている。それ以外にも、「職人尽」「僧十二ヶ月」「十二神獣」(干支の動物にちなんだもの)「寿量讃」(経文への讃)などいわゆる歳時記的ではないテーマにしたがって書かれたものも多い。

 

 日付が明らかなのが半数ほどで、そのなかでは、明治二十年代の作が目立つ。もちろん、散逸したものがあることも想定できる。それにしても、俳人ではない文学者の俳句の数をどうとらえるかは難しい問題だが、およそ八十年の生涯のなかで、四百句というのは決して多いとはいえない。

 

 露伴本人が句集をだすつもりなどはなかったことを考えても、もし一度でも俳句づくりに夢中になった時期があったとするなら、習作が残っていても不思議ではないし、そうした期間があったとすれば、たとえば冒頭の言葉を入れ替えた類似句などが残っていそうなものである。そして、そんな熱中の時期があったとすれば、四百句など、一日一句、一年ちょっと続ければできてしまう程度の数なのである。

 

 私の目にとまった句をあげておく。

 

  吹風の一筋見ゆる枯野かな

  蛇ふんで残暑の汗ののつと出る

  春霞国のへだてはなかりけり

  貝殻も花で梅散る月の浜

  薄い日のそろりと動く枯野かな

  涼しさや脈鈴ひゞく水の闇

  萩の露こぼさじと折るをんなかな

  名月や舟を放てば空に入る

 

 個人的に好きな三句をあげると、

 

 「幸堂得知 初ゆめや獏が骨まで喰ふたり 我之に答へて」という前書きをつけて

  初ゆめや富士で獏狩りしたりけり

  あの先で修羅はころがれ雲の峯

  老子霞み牛霞み流沙かすみけり

 

であろうか。

 

 総じて、日常に関するもの、人事や行事に関するもの、恋愛に関するものが極端に少ないと言える。「萩の露こぼさじと折るをんなかな」は多少の艶っぽさを感じさせる、ほとんど唯一の句と言っていい。目につくのは、大きな一景であり、人情というよりは、歳時記でいうと天文に属する句が多い。町のなかで生活している個人としての人間の姿はなく、どこかから眺望している非人称性が際立っている。

 

 こうしてみると、露伴が特に芭蕉を手本にして、俳句をつくった形跡は見受けられない。露伴芭蕉への敬愛は、俳句の実作者としてのものではなかったように思われる。さらにまた、露伴が好んだ芭蕉というのは、「洒落散らし居たる」初期の芭蕉ではないが、そして晩年の「軽み」を旨とする芭蕉を否定しさるものではないが、むしろ李白杜甫、白楽天などの漢詩老荘思想を受けいれ、継承しようとした芭蕉芭蕉が跋を書き、其角が編集した『虚栗』を頂点とする虚栗調、天和調といわれた時期から、歌仙『冬の日』や『春の日』が刊行され、連句において匂い、うつり、響きなどの付け方を体得した貞享年間までの中期の芭蕉にあるのではないか。

 

ムーミン谷のパスの精度--トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』

 

新装版 ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫)

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ムーミン・コミックス(全14巻セット)

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新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

 

 

 

 私は『ムーミン』は昔からわりと好きである。しかし、この「昔からわりと好き」というのはテレビで放映されていたアニメの『ムーミン』のことで、なにしろいつ頃の放送だったのかも憶えていないので、いまでも好きかと聞かれると答えに窮してしまうのだが、なにかの折りに『ムーミン』の話がでたとき、アニメと原作とはまったく違うこと、姉と弟の二人で書いた『ムーミン・コミックス』の存在、原作者のトーベ・ヤンソンが『ムーミン』以外にも優れた小説を書いていること(こちらは私はまだあまり読んでいないのだが)、などを知って、それをきっかけにして読んだムーミンの原作本やムーミン・コミックスについては好きだと言える。

 

 そこには、ある意味、穏やかな風景が広がっている。童話や昔話のたぐいでさえ、幼年から大人に、貧乏から裕福に、不幸から幸福に、独身から結婚にと生きていくことに伴う変化をたどる話が少なくないが、『ムーミン』の場合、必ずといっていいほど物語は平穏なムーミン谷の生活から始まり同じ平穏な生活にもどって終わる。そうした意味で、ムーミン谷は、確かに永遠のまどろみのなかに安らっている。

 

 講談社文庫のムーミンシリーズには、まず最初にムーミン谷の地図が載っていて、それを見るとムーミン谷は別に離れ小島にあるわけではなく、地続きに他の世界とつながっている。実際、コミックスの『黄金のしっぽ』では、黄金のしっぽが生えてきたムーミントロールに対してファンレターは来るし、新聞には書き立てられるし、しっぽについての権利問題を取り仕切るマネージャーが登場するし、どこともしれない場所にちゃんと社交界があってパーティーが開かれる。

 

 また、『ムーミン谷の気ままな暮らし』には、「正しい市民の会」のメンバーなるものが来て、「ムーミン谷はどうもまだまだ発展途上という気がしますな」と、住人たちの目覚めを促す。しかし、それらはみな、いわば外野からの野次のようなもので、直接ムーミントロールたちのフィールドに入ってくることはない。そうした野次に対して彼らは浮き足だったりするが、解決はその野次の相手をやっつけたり、言葉でねじ伏せたりすることにはなく、浮き足立つ前の自分に戻ることにしかない。

 

 ムーミン谷の世界は、私にはある種のスポーツを連想させる。ヤンソンの多くの小説を訳している冨原眞弓によれば、ムーミントロールスナフキンというのは固有名詞として使われているが、文法的には普通名詞で、ムーミントロール族、スナフキン族をも同時に意味するそうだ(『ムーミン谷へようこそ』による。ちなみに、スナフキンは実は英語名の転用で、スウェーデン語で言うと「スヌスムムリク」となるらしい)。

 

 それぞれの個人であり種族である者たちがその特性に応じて自分のポジションに立ち、ムーミン谷のルールに従って、言葉を交わし、行動するわけで、それゆえ、言葉や行動の意味にかかる比重は非常に軽いものになっている。というのも、意味は反省に、反省はルールの変更に赴きがちなものだからである。

 

 『たのしいムーミン一家』で、ムーミントロールは魔法の帽子のなかに入ってしまったため、「太っていた部分は、みんなやせてしまい、やせていた部分は、のこらず太って」、変わり果てた姿になり、仕舞いにはスノークやスニフやスナフキンたちにぼこぼこに殴られてしまう。そこにムーミンママが登場する。

 

 

   「だれも、ぼくを信じてくるものはないのかなあ」

     と、ムーミントロールはなき声になりました。

     「よく見てください。ママ。あなただったら、あなたのムーミントロールが、わかるはずです」

     ムーミンママは、注意深く見つめました。そうやって、とても長いこと、おびえきっているむすこの目の中をのぞきこんでいましたが、さいごにママは、しずかにいいました。

     「そうね、おまえはたしかにムーミントロールだわ」

     そのとき、ムーミントロールのすがたが、かわりはじめました。耳と、目と、しっぽは、ちぢみはじめ、鼻とおなかはふくらみだしました。こうしてとうとう、むかしのムーミントロールにもどったのです。

     「もうだいじょうぶよ、ぼうや」

     こういってママは、つけくわえました。

     「ね、なにがおこったって、わたしはおまえが見わけられたでしょ」(山室静訳)

 

 

 ムーミンママの一言が、魔術的な効果をもたらすわけだが、ここに母親の息子への愛情の発露とか、それがもたらす奇跡のようなものを考える必要はないだろう、なぜなら、まさにこの危急のときムーミンママの愛の力が発揮されるというものではなく、ムーミントロールに対し常に変わらぬ愛情を注いでいるのがムーミンママで、それがムーミンママのポジションだからである。

 

 むしろ、これはとても通りそうにない狭い場所に放ったパスが、このタイミングこの速さで送ることによって相手に届いたときの快感に似ている(なにしろ、どれだけでも話を引っ張れそうな魔法の威力を、たったの一言で無効にするのであるから)。つまり、『ムーミン』の魅力は、まあ誰がどのような反応をするかはわかっているようなものだし、結末もわかっているなかで、交わされるパス(つまりほとんど意味のない軽い言葉)の躍動にあると思われる。論理的な説得や力による決着といった肉弾突行じゃなく、あくまでパスを回していく点にある。

 

 「現代的な」小説では、パスを受ける相手がいない、パスが必ずそれてしまうというタイプのものが多く、我々はムーミン谷に住んでいるわけではないのでそれもしょうがないことだが、眼のさめるようなパスの送り手やどんな暴投も受け止めてくれるような受け手のプレイを楽しむことも小説の愉しみではないかと思われる。

 

 第二の場合:登場人物の何気ない言葉や行動が、その位置とタイミングのため、魔術的な効果をあらわす。




幸田露伴を展開する 5

 

 明治二十八年に書かれた小説『新浦島』は、露伴の小説がもつジレンマが赴くところを象徴的にあらわしている。浦島太郎の一族の末裔である次郎は、揃って死んだ両親の遺体が、一片の骨を残して跡形もなく消え去っているのに驚く。平凡な漁師夫婦と思っていた両親が実は仙道の奥義を極めていたらしいのである。様々な研究と労苦の末、次郎は聖天を呼び出すことに成功し、通力をもつ同須を侍者として授けられる。

 

 次郎は同須を通じてあらゆることを経験できるようになる。同須は邯鄲の夢の寓話で道士が盧生に貸し与えた青磁の枕と同じ役割を果たしており、『新浦島』は「邯鄲の夢」のヴァリエーションなのである。また同須を通じてあらゆることが可能になった次郎は、小説家としての露伴をアレゴリカルにあらわしていると考えることができる。同須が次郎にどんな経験も可能にするように、小説は露伴にあらゆることを表現できるようにしてくれるはずである。

 

 酒肴と温泉を頼むと、同須は次郎を楊貴妃がつかったという驪山の温泉に五色の車で案内する。十二人の美女が饗応に尽くしてくれる。また、住んでいた小さな家は荘厳美麗な宮殿に建て替えられる。酒宴の後、次郎は同須に、その通力のことを問い質す。この家はどのようにして建てたのか。通力は無から有を生み出すことができるのか。

 

・・・我が通力は何として無より有を成し得申すべき、此広大なる御住居は千里二千里乃至は東勝神州西牛賀州等より奪ひ来りまして此地に安置せしばかりの事、召し上られたる美酒は蘭陵の青旗立てたる家より部下の者に奪はせ、下物は極楽の飲食乃至は北鬱単越の香厨より掠め来らせましたるもの、美女美少年は通力をもて欺き釣り寄せ我が同族となしたるものにござりまする、旧の御住居近に在りし漁師等が家は火を放つて灰燼となし地を清め、七千の部下を使役して斯く迅速に御一献御心よく酌まれんため御住居をばしつらひたり、と誇顔に答へ澱みなし。     (『新浦島』)

 

 

 次郎は同須の行為を仁にも徳にも背くことであると猛然と怒る。同須は、酒を快く飲みたいという頼みを自然に解釈すればこうした舞台が当然であること、欲を前にしたとき仁や徳が何程のことがあろう、と説く。次郎は、前期の露伴の小説にたびたび見られるように、自らの煩悩を持て余す。こうした善と悪との葛藤や、煩悩とそこからの解脱に悩む人物像は陳腐なものと言えよう。正宗白鳥が手厳しく言うように「有り振れた、昔からの日本人好みの佛教的悟り」、より正確に言えば悟れなさを、「型通りの名文調」(「幸田露伴」)で描いたものだといえる。

 

 しかし、ここでの小説家露伴の苦い認識とは、実は、欲望が仁徳を損なうといったことにあるのではなく、通力といえども無から有を産み出すことはできないことにある。世界はいまあるがままの世界に留まるしかなく、その部分を組替えることはできるが、新たなものを産み出すことはできない。

 

 同じように、小説は言葉に留まるしかなく、言葉の組み合わせは可能だが、言葉の外側に出ることはできないのである。次郎の同須に対する怒りは、露伴の、「假作物語」である小説への憤りに重なっている。小説は、同須が準備した壮麗な舞台と同じように、どこかにあるものを奪い掠めたもので成り立っている。そうした舞台で主人公が何をしようが、もともと恣意的人工的にしつらえられた場所と人間とが無媒介に交換し合うことなどできるはずがないのである。

 

 職人の素材への没入を描くことが小説から外の自然への通路のように思われたのは幻想に過ぎない。職人の仕事そのものが、小説のなかでは、どこかから奪い掠められてきた言葉の集まりでしかないからである。

 

 同須に冷静に理を説かれ、次郎の怒りは勢いを失って、返す言葉もない。ただ、奪ってきた人と物を元通りに返すように命じるしかない。露伴も、また、小説で奪った言葉や話を元の場所に返し、随筆や史伝に徐々に向かうことになる。次郎は最後に、北方にあるという紅蓮澗の澗水に浸けて我が身を石と化するように命じる。悟りのように世界から脱出することなく、世界に石として留まる。

 

 次郎は石になることによって、鶴の声のような自然が自ら行う表現を体現することができるが、無機的な石に自然との交感はない。露伴も小説において、芭蕉に見られたような自然との無媒介な交感を断念する方向に向かっていく。前期の露伴の掉尾を飾る未完の長編『天うつ波』は、露伴がいったんは避けようとしたはずの『八犬伝』的な小説なのである。そもそも風流といったことに関して述べることが少なくなっていった。

肉声と現代の文学--保坂和志『カンバセイション・ピース』

 

カンバセイション・ピース (河出文庫)

カンバセイション・ピース (河出文庫)

 

 

 

合本 考えるヒント(1)~(4)【文春e-Books】

合本 考えるヒント(1)~(4)【文春e-Books】

 

 

 日頃何気なく口にしてしまうが、しばし立ち止まって顧みると、自分が理解しているつもりの意味とはずれてしまっているような言葉がある。わたしにとって、あるいは一般的な使われ方を見ても、そうした言葉のうちの一つに芸がある。テレビを見ていたり、あれこれの人物についておしゃべりをしているとき、つい、芸がないからなあ、などと口に出してしまう。このとき芸という言葉が意味しているのは、才気煥発であること、当意即妙であること、その場で自分のなにが求められているかを判断する(空気を読む)能力といった、むしろ機知という言葉が当てはまるような事柄なのである。

 

 だが、本来、芸とは型を習得し、それに熟練することにある。そして、芸があると言えば、型の熟練以上のなにか、小林秀雄の言葉(『考へるヒント』)を借りれば、「型に精通し、その極まるところで型を破つて、抜群の技を得」ていることを意味するだろし、芸がないと言えば型において未熟なことである。こうした芸の本来の意味が見失われてしまうのは、それがごく限定された分野でしか生きた力をもっていないため、肉体化され、受肉された肉声と、生の声との相違がはっきりと見受けられていないためだろう。

 

 芸というものが「肉声」を得るための、唯一とはいえないまでも、もっとも確実な道筋であったことは確かである。芸とは型に熟練し、「その極まるところで型を破」ることによって始めて声を得る過程のことをいうものだろう。この声は、未熟なうちは型に埋没して聞き取ることのできないものであり、聞こえ始めたときにはその人物にしか出せない固有性を保ちながら、その芸そのものを体現する普遍性を得ている、そうしたもののはずである。こうした声が近現代文学からは失われてしまった。

 

 だが、志ん生文楽、小さんや談志の落語では共感をもって受け入れられる与太郎や小言ばかりの大家や吉原通いの止まらない若旦那などの人物がなぜ小説に描かれると嘘くさいものになってしまうのだろうか。それには芸能に特有の時間というものが大きく関わっているように思われる。例えば、どんなに広いレパートリーをもつ落語家でも(能や歌舞伎の役者でも同じことだと思うが)自家薬籠中のものとしている噺は二十、三十もいくかどうか、まして型を破って群を抜くような噺は十近くもあれば大変なことだろう。

 

 つまり、十に満たない噺を三十年、四十年かけて、あるかないかもはっきりしない完成に向けて練り上げる時間が与太郎や大家といった人物を、単なる型でも登場人物でもない、演者の生存の様式の一様相のようなものに変化させるのである。多分、芸における声とは、型の修練と、同じ登場人物の同じ生を繰り返し生きる膨大な時間との組み合わせによって獲得されるものなのであり、そのリアリティなどは声のもつ生存の様式で支えきることができなければならないのである。そうした執拗な繰り返しがないために、そしてあえてそれらを切り捨てることで近代的なものとなったのが小説であるために、小説は嘘くささをぬぐい去ることができない。

 

 名人の普遍的でありながら具体的で熟練した声とは言えないまでも、老人に独特の声があるとすれば、それは彼らが自分の生を毎日繰り返し生きてきたことでできあがった、そうであるしかない生存の様式を生きているためである。ある種の老人たちは、芸や時間というものが生みだすことのできる声に対する郷愁と距離感とをあらわにしているように思われる。

 

 いまと言っているうちにも過ぎていく時間とそうした時間を意識させてくれる仕掛けとしての文明についてだけ、それこそ執拗に書き続けた吉田健一は、近現代では珍しい、芸を身につけた作家の一人だと言える。晩年に近くなってかなりな量の小説を書いたが、そこには本当らしさなどはなく、時間と文明についてしか書いてこなかった結果得た生存の様式が保持する声のリアリティだけがある。

 

 保坂和志の『カンバセイション・ピース』が描き出すのは、あらゆる行動や思念が透明な薄皮のような軌跡を残し、その堆積や厚みのもつ様々な性質がそこに関わる人間の感覚や感情の質に影響を与えずにはいないような世界である。

 

人はつねに自分が何かを見ていることを意識して見ているのではなく、見ているほとんどの時間は「私」ないし「私が見ている」という意識をともなわずに見ているのだから、そのときに私でない誰かが私の目を借りて見ているということもあるのかもしれない。今夜のミケはやけにこのL字の角から外の様子をうかがっているけれど、ここにかつて生きた猫たちがミケの耳やヒゲを借りているのかもしれないし、そうやってこの角に私を誘うことで、五官を持った私の体が記憶して再生するこの庭を思い出したいという思いを伯父や伯母が実行しているという可能性を否定する明確な根拠が私にはない。

 

 

 こう考えれと、かけがえのない固有性をもちながら普遍的でもある声を獲得するのに型が必用な理由も幾分明らかにされる。つまり、型を極めるとは、同じような繰り返しを積み重ねてきたいまは亡き先人たちのまた再び声を出したいという思いを妨げないための用意をしておくことなのである。



幸田露伴を展開する 4

 

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

風流仏・一口剣 (岩波文庫)

 

 

           4

 

 初期の露伴には、確かに仏教的な要素が色濃い。しかし、露伴が求めたものは、仏教が与えてくれるように思えるある境地である。それは、ある種の悟りかもしれないが、謡曲『邯鄲』でのように、最終的な解脱以外のあらゆる現実を夢と化していくような場ではない。

 

三味線には甲乙所と云ひ間拍子と云ひ、弓術剣術には機味とや云ふべき、商売にはかけひきとや云ふべき、俳諧には虚実といふか、いづれも大切のものなれど、習つて記えたばかりにてはこゝが分らず、此処の了るが即ち悟るなり。三味線には三味線の悟り、弓馬にも商売にも、各其大切の所は口や筆にて書ける如きものにあらず。若し万事記えたばかりにて役に立つなれば、何も彼も訳なしの世界、三味線は三日、弓馬刀槍・商売・文芸、すべて大抵三日か四日で出来べきなれど、早き話が鋸を持ち出して裏の竹薮に行き灰吹一ツ切らむとしても、堀津で売り居るもののやうには切り口が奇麗に行かず。然れば記えると悟るとは慥かに相違あり。手斧の使い方ばかりにても、足の親指を一度切らねば悟れぬとは大工の名言、記えることは記えても四年五年の修行の功をつみ、いつか知らぬ間に悟得するか、知つて悟るか、何れにしても悟つてからの自在はあるべし。

    (「般若心経第二義注」 明治二十三年)

 

 

 仏教的な悟りが与えてくれるように思える「自在」の境地は望ましいが、それを支えそこに導く仏教の教えは、特権的な重要性をもつものではなく、三味線、弓馬、商売の修行とさほど径庭のあるものではない。現実をひとくくりにして処断するのが仏教の悟りであれば、それは無風流な洒落に等しい。

 

 言い換えれば、現実を犠牲にするまでの信仰は露伴にはなかった。露伴の人物の発心や悟りが越えることのできない地平があり、それが、芭蕉が無媒介に交わっていた自然なのである。仏教は人間的な価値を相対化し、自然との交感をより容易にする手段としてある。人間的な価値の相対化は、人間界を見下ろす視点の獲得にあるのではなく、動物の世界への沈潜を用意するべきものなのである。

 

 したがって、発心や悟りは、生全体の意味を得ることよりは、より多く、生を盲目的な運動としてしまうことにある。『一口剣』や『五重塔』などの職人の命がけの仕事だけが、自然との無媒介な交わりを垣間見させてくれるように思える。発心とは、露伴にとって、まず、迷いを断ち切り、生の意味などというものが無意味になる技術の世界に没入することにある。職人が身体に染みついた技術をもって素材に向かうとき、鶴が鳴き、蜘蛛が蜘蛛の巣を作るときのような、自然そのものがする表現に近づくことになろう。

 

 だが、この職人の自然との無媒介な交わりは、常に文章の届かないところにある。『一口剣』や『五重塔』で描かれるのは、概ね、仕事に全精力をつぎ込むまでの逡巡であり、仕事を巡る人間の葛藤である。職人の全身全霊の仕事は、露伴がそれに倣うことを願うものである。しかし、小説はそれを外側から描写することしかできない。

 

・・・あはれ魂魄を金輪際生へ抜きの鉄砧と据え堅め、陽の槌には恩に酬わん陰の槌には義に背かじと、歯をくひしばつて力を籠め打ち、未練の思ひは横に切り目、卑怯の心は縦に切り目の鏨を入れ、折つては返し割つては合はせ、十五度鍛つて四を一に練りつゞめて、満身の熱血を地金と丸め、無垢の一念を刃金と乗せ、此腹中の猛火熾んに幾度か爍したて爍したてゝ結び付け、水打ち銑透し謹み/\油断なく、刃土を削つて扨其後こそ一期の大事の焼刃わたし、湯玉を跳らす誠の涙に唯願ひ奉るは神力の加護、仮令この身は即座に生命召さるゝとも露惜しからず、名利のために祈るにはあらざればあはれみたまえ神も仏も、かくて湯加減誤まりなく一刀成就するものならば、よもや世の中の欲に使はれ誉れを望みて打つ鍛冶が作には劣るまじ、・・・   (『一口剣』 明治二十三年)

 

 

 

 ここには確かに刀鍛冶の仕事が描かれているが、抽象的な印象を与えるに止まっている。「満身の熱血」や「無垢の一念」という定型化した熱情の元に、具体的な仕事の手順が埋没してしまっている。露伴にとって、職人が小手先の技術に拘泥しているときには自然との交感はない。生や死、善や悪といった価値基準がなくなり、技術がある人間の所有ではなく、人間そのものになったとき無媒介な交感がある。であるから、実は、命がけの仕事、「満身の熱血」や「無垢の一念」を込めた仕事を書くのは、職人の仕事の後づけの解釈でしかない。なにを賭けているのか、なにを込めているのかすらわからないのが露伴が求める仕事であるからである。

 

 職人の仕事に、露伴芭蕉に見出されるような交感の場を求めている。だが、言葉を重ねれば重ねるほど、本来の仕事は遠ざかり、露伴が繰り返し警告している小手先の仕事に近づいてしまう。言葉は仕事を総体で描くことができず、仕事の全体を表わそうとすれば、「満身の熱血」や「無垢の一念」といった紋切り型に頼るしかない。あとはただ仕事の手順を描写するだけであって、個々の手順だけでは小手先の仕事と全身全霊の仕事とを区別することができない。

 

 こうして、前期の露伴は、芭蕉に見出した自然との無媒介な交感を実現するために、小説に職人の仕事を持ち込んだ。確かに小説は所詮作り物だが、職人の仕事を小説で実現することに成功すれば、虚構という虚偽の自然から真の自然に抜け出すことができるだろう。しかし、小説の外の現実では真であるかもしれないものも、小説に取り入れられた途端に嘘になる。描かれた職人の悟りは実情から遠ざかり、描いた方はまさに対象をそのように描く視座に安住することで無風流に陥る。こうしたジレンマが露伴の小説に対する不信感を助長している。

固有世界の戦い--荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』、ボルヘス『記憶の人、フネス』

 

ジョジョの奇妙な冒険 第6部(40~50巻)セット (集英社文庫(コミック版))

ジョジョの奇妙な冒険 第6部(40~50巻)セット (集英社文庫(コミック版))

 

 

 

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

 

 戦闘場面の大きな変化によって『ジョジョの奇妙な冒険』は二つの部分に分けることができる。もはや読者にはいうまでもないだろうが、PART2までとそれ以降という具合にで、二つの部分を分けるのは、スタンドというものの発明にある。PART2までジョースター家の使っていた術は「波紋」と呼ばれるもので、いろいろな工夫がしてあるが、基本的には現在少年マンガの戦闘で当然のように使われている「気」の一変種と考えていいと思う。もっとも、気のように、なにもない空間を貫いて相手に発せられるのとは異なり、波紋を相手に伝えるための媒体が必要であるという制限が戦いの様相をずっと複雑にしている。

 

 スタンドを言葉で説明するのは難しい。超能力の一種といっても間違いではないが、そう言ってしまうと、再び、空中を目に見られない形で飛びかう気のようなものになってしまう。荒木飛呂彦がスタンドの場合においても基本として押さえていることは、媒体を明示すること、力がどのように伝わって相手に届くかということにある。

 

 スタンドとは、ある特殊化した能力をもつもう一人の自分である、と言えるだろう。実際、設定上は、スタンドはスタンド能力者にしか見ることができないことになっているが、スタンド能力者同士の戦いを描いたマンガであるから、当然スタンドは発動されるやその多くは人間の形をとり、装飾をこらしたサイボーグのようなものとして表現される。そして、例えば、二人が戦う場合、本体の人間とそれぞれのスタンドの計四体が戦闘に参加している者として描かれる。

 

 スタンドという発明の大きな魅力は、登場人物の口から語られている。PART6で敵役であるプッチ神父が回想シーンでディオと会話を交わしており、こんなことを聞く。これまで出会ったスタンド能力のなかで一番弱い能力って、どんなヤツだい?、と。ディオはこう答える、「どんな者だろうと、人にはそれぞれその個性にあった適材適所がある。王には王の・・・・・・、料理人には料理人の・・・・・・、それが生きるという事だ。スタンドも同様、『強い』『弱い』の概念はない」と。この言葉にスタンドの魅力の多くが言われている。この設定があるために、『ジョジョの奇妙な冒険』では『ドラゴンボール』に典型的にあらわれているような強さのインフレーションが起こらない。

 

 PART6で言うと、徐倫のスタンドは自分の身体を繊維状の塊として利用することができ、エルメェスは物を二つに分け再びそれを一つの物にできる、ウェザー・リポートは天候を操ることができ、プッチ神父は(能力が、進化することによってどんどん変わっていくが、その一つは)打撃を加えるとそこにかかっている重力を反転させそのものを裏返しにすることができる、等々がスタンドの能力である。

 

 こうした様々な特殊能力者たちが戦いを繰り広げるところは山田風太郎忍法帖を思わせるが、決定的な相違は、忍法帖では戦う忍者がほとんどの場合共倒れになってしまうのに対し、『ジョジョ』ではどちらかが生き残り、戦いの状況に合わせてスタンドの潜在的な能力が徐々に(読者と同時にスタンドを使う本人にとっても)あらわになることによって、異なった世界をもつ者同士の争いのようなものにまで発展していくことにある。

 

 忍法帖では、忍者は戦う機械であり、彼らを影で操り情け容赦なく消費する黒幕こそ世界観をもっているかもしれないが、実際に戦う忍者にあるのは自分の命と引き替えに相手を倒すことだけで、戦いに勝つことによって開けてくる可能性はない。

 

 例えば、徐倫のスタンドが繊維状の塊であることを我々読者はまず知らされるが、それから起こる数々の戦いのなかで繰り広げられるのは、この複雑な糸玉が様々な世界において(つまり敵であるスタンドの能力に対して)どのような働きをなし得るか、という思考実験の様相を呈してくる。

 

 それは、相手を縛る、網状のものを作って捕らえる、傷を縫う、編んだ糸の上を走ることで水の上も移動できる、移動するものに結びつければその速さで動くことができる。糸を繰り出すことによって、引っかかりがあれば高いところへ登るのは自由だから、行動の空間が限りなく立体的になる。糸を縦横に張り巡らせば見ることのできない敵の位置を知ることもできる。プッチ神父のすべてを裏返しにしてしまう攻撃に対しては、身体を表も裏もないメビウスの輪で仕立て直すことによって防御する。

 

 こうした可能性のひろがりが、スタンドの弱点、この糸は身体の一部であるから使う量には限界があり、繰り出せば出すほど身体の内部は空洞になり、生命を維持するのが困難になる、という制限のもと明らかになっていく。

 

 言葉を変えて言えば、ある条件を科せられた身体を中心にするとどのように世界はつくりかえられていくか、ということが問題になっている。そう考えると、代々のシリーズの最後のボスのスタンドの多くが時間に関わるものであり、身体的な根拠のないことが象徴的に思われる。

 

 PART3のディオは時間を止めることができ、PART4の吉良吉影は(そのスタンド能力の一つでは)自分に都合のよい状況になるまで時間をループ状に繰り返させることができる、PART5のギャングのボスは時間をとばすことが、PART6のプッチ神父は時間を無限に加速してこの宇宙をいったん終焉させ、人類をもう一つのパラレルワールドに導くことができる、という具合で、いずれの能力にしても、そういう能力なのだから仕方がないという風で、徐倫のスタンドのように論理的な発展を遂げることがない。ジョースター家の一員である承太郎も時間を止めることができるが、彼の場合、そのスタンドのスピードがあまりに早く正確なために時間が止まるのだという、論理的とは言えないまでも、身体感覚的にある程度説得力のある説明がなされている。そういう、こうであるしかない世界(スタンド)に未知の可能性を秘めた世界が打ち勝つというのが、『ジョジョ』の基本的なテーマのように思われる。

 

 ところで、ある可能性を秘めた条件を与えられたときに世界がどのように変貌するか、というのは小説にもまた近しいテーマである。古くはカフカの『変身』や『断食芸人』や『巣穴』や『アカデミーの報告』などもそうした試みの一種と考えられるだろうし、ポオの短篇にも、アルフレッド・ジャリアポリネールにもそうした要素が見受けられる。

 

 しかし、スタンド的な、ある特殊能力の突出ということで言えば、ボルヘスの短篇にその最良の例を見いだすことができる。たとえば、『記憶の人、フネス』。ある人間にとてつもない記憶の能力が備わっているとき、彼の世界はどのようなものであるかが描かれる。

 

 彼はあらゆる知覚を記憶してしまうために、「一八八二年四月三十日の夜明けの、南にただよう雲の形を知っていて、それを記憶のなかで、一度だけ見たスペインの革装の本の模様とくらべること」が、「ケブラチョの戦いの前夜、舟のオールでネグロ河で描いた波紋とくらべること」ができ、しかもその「視覚的映像のひとつひとつが筋肉や熱などの感覚と結びついて」いる。このあたりまでのことは、すべてを記憶してしまうのであれば、さもありなん、というところだが、次のようなことになると、記憶というものが全く新しい世界を開くことを感じずにはおれない。

 

 

   その話によれば一八八六年ごろ、彼は独創的な計数法を思いつき、ほんの二、三日で二万四千を超えた。彼はそれを書きとめなかった。一度考えたことは、もはや消えることがなかったからである。最初に刺激となったのは、わたしの思うのに、「三十三人のウルグアイ人」が一個の単語と一個の記号ではなくて、二個の記号と三個の単語を必要とするという不快な事実であった。やがて彼は、この奇妙な原理を他の数にも適用した。七千十三のかわりに(たとえば)「マクシモ・ペレス」、七千十四人のかわりに「鉄道」といった。他の数は「ルイス・メリアン・ラフィヌル」、「オリマル」、「硫黄」、「楷棒」、「鯨」、「ガス」、「ボイラー」、「ナポレオン」、「アグスティン・デ=ペディア」となった。五百のかわりに、彼は「九」といった。それぞれの単語が特別の記号、一種のマークを持っていた。(鼓直訳)