逸脱するソクラテス、あるいは・・・・・・ーープラトン『国家』

 

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

 

 

 ド・クインシーには「プラトンの『国家』」というエッセイがある。前置きのあとに『国家』全十巻の各巻について簡単な概略を述べ、それに注釈、批判を加えているものである。意外なことにと言うべきか、ド・クインシーはそこでプラトンを徹底的に批判している。少しくその論調を見てみることにしよう。プラトンアテネ文化、つまりはギリシャの最高の時期に生まれたことは認めている。
 
ペリクレス統治の最も華々しい時期の直後であり、それに結びついているプラトンの青年期以上にギリシャの知性とギリシャの洗練を例証できる時はないのである。実際、ペロポネソス戦争の時期――ギリシャが分裂して戦った唯一の戦争であり、努力や競い合うことで得られる名誉をもたらした――クセノフォンや若いキュロスと同時代であり、アルキビアデスは成人しており、ソクラテスの晩年にあたる、こうした同時代人と共に戦争と変革に満ちた休戦状態の繰り返しのなかプラトンはその燃えるような青年期を過ごした。ペリクレスの輝くばかりの落日はまだアテネの空を焦がしていた。創造されて間もない華麗な悲劇と華やかな喜劇とがアテネの舞台を埋め尽くしていた。都市はペリクレスとフェイディアスという創造者の手になっていまだ新鮮であり、美術は絶頂点に向かっていた。そしてプラトンが成年に、法律上の能力をもったと思われる時期、つまり、キリスト生誕のちょうど四一〇年前には、ギリシャの知性はアテネにおいて絶頂を迎えていたと言われている。
 
 アレキサンダー以後の時代はアジアほか外国の影響を受け、さらにそれ以後となるとローマのくびきにつながれ、ギリシャが自国に根付いた言葉を話すことは再びなかった。いわばプラトンの時代のアテネは円満具足していた。だが、このことは、彼の欠点を浮き彫りにもする。以下、ド・クインシーが哲学者プラトンの著作一般に見られるとする欠点を挙げてみると、
 
 1.他国の影響を受けず、自足したアテネ文化で、いわばアテネ的な知性の代表者として著作したプラトンは、そのときギリシャの知識人たちの関心を引いている問題にかかずわり過ぎた。『国家』は、ある意味そうした問題についてのばらばらなエッセイをまとめたものに過ぎない。それゆえ、彼の哲学とされるものには体系的な全体など存在しない。すべてが断片的な意見である。プラトン以後体系的な、総合的な哲学を目指したものにアリストテレスデカルトライプニッツ、カントがいるが、彼らでさえ完成に近づくことはなかった。プラトンの多様な対話を切り貼りして、整合的な体系をまとめ上げようとすることが一般的な傾向となっているが、断片的で一貫性のない著作のどこに一貫性への志向さえ見いだされるだろうか。
 
 2.対話編には数多くの人物が登場するが、彼らの語る言葉がどこまで本人のものであるのか読者にはわからない。また、提示される教義が仮説なのか、対話を先に進めるための戦略なのか、あるいはプラトンおよびソクラテスが真に納得して採用したものなのか、我々には判断するすべがない。
 
 このことには、プラトンが出くわした出来事、つまりソクラテスの死に大きく関連している。『ソクラテスの弁明』で描かれたように、アテネ市民の不寛容によってソクラテスは毒杯を仰ぐことになった。このことは師匠の死という衝撃のほかにも、自由な探究心や発言をくじくものであったに違いない。その結果、あり得べき非難や迫害を逃れるために、プラトンはその教義に二重性をもたせるにいたった。この点がド・クインシーのもっとも強く非難するところでもある。
 
 3.およそ人間精神一般に関わることで、二重の教義などは考えられない。絶対的真理ともっともらしい真理をともに保持しながら、哲学的本性の問題にどこまで踏み込めるだろうか。もっともらしい真理を選択した瞬間、真の真理は犠牲にされるだろうからである。
 
 4.もし二重の教義が可能であるなら、ソフィストたちの弁舌や演劇的身振りを採用していることになるが、各種の対話編に明らかなように、プラトンソクラテスの言葉を借りて、繰り返し彼らに対する軽蔑をあらわにしていたはずである。
 
 5.さして豊かでもない思想を、思想を盛りこむには不適切な会話という様式を用いること自体に無理がある。「貧しい男が、最大限に手を尽くしても粗末な家を見苦しくない程度に維持していくにも足りないときに、町と田舎に二軒の家を持つと公言するなら、彼に対する軽侮の念は十倍にもなろう。あるいは、カエサルと同等の位にあると思いたがっているほら吹きの秘書官が三人の筆耕に同時に口述しようとし、尊敬に値するような仕方で一人の相手をするのにも自分の持っているものではまったく足りないことが痛いほど明らかになったときのこの惨めな山師のことを読者は想像してみてほしい。」とド・クインシーは言っている。
 
 6.もし二重の教義がうまくいったとしよう。しかしそれには、真と偽とをわける鍵が誰かに伝えられなければならない。いずれにしろ彼は、そうした解釈の伝統が、中断を被ることなしに、何世代ものあいだ続くと考えるほど人間が偶然に左右されることに関して無知だったのだろうか。実際、もしそうした伝統があったとしても、現在では失われてしまって、修復できないほどになっている。
 
 どの部分がフラトンの本当の意見なのか、どれが当面の反対や対立を避けるための表面的な同意なのか、あるいは単に会話を長引かせるためだけのものなのか、誰にも理解できない。意味が不明瞭であっても、考え方に統一性がある哲学なら、真の教義にたどり着く可能性はあるが、二重性のある哲学では、理解から決して曖昧さを取り除くことはできないのである。
 
 『国家』は実際的な問題が扱われていること、しかも直接的な政治批判となっていない点において、他の著作よりは上記のような二重性を免れているといえる。
 
 だが、プラトンの信奉者が抱いているような純粋性については、どうみてもその痕跡さえ見出せないだろし、先見の明については、それを定義されていない観念の意味にとるならば、十分以上にある。
 
 『国家』の第一巻は正義についての議論で占められている。正義の問題は一人だけの生活ではあらわれることなく、人間が社会的に結びつこうとするときに始めたあらわれる問題である。従って、国家が取り得る様々な可能性を考察するときに正義の問題から始めることは理にかなっている。国とても一国で成り立っているわけではない。戦争が起こるかもしれないし、その準備のためには余計な課税や負担がかかることもあり得よう。戦いのなかで敵を殺すともなれば、正義の基本原則を傷つけることになるかもしれない。
 
 その上で、ド・クインシーは正義の基本的な問題を「市民同士のつながりから最大級の力を引き出すにはどうしたらよいか。人の力を最高度までに高めるには、あるいはそうした方向に導くにはどうすればいいか。そして、最後に、こうしたことすべてを人間個人の権利をできうる限り侵害も棚上げもなしにするにはどうすればいいかである。」とまとめている。
 
 この問いかけにプラトンの『国家』は答えているだろうか。
 
 ソクラテスは、アリストンの息子グラウコンとともに、月の女神ベンディスの祭りを見物にペイライエウスまで出掛けていた。帰ろうとするとき、ケパロスの息子ポレマルコスから是非とも夜祭りも見ていくように引き留められる。そして、対話編に通例のように、ソクラテスとその他の者たちの対話が始まる。
 
 すでに年老いているケパロスは老年について語るが、彼にとって老年は、立派な家柄の市民であるために適度に豊かであり、生まれつきさほど激しい欲望をもっていないことによってそのつらさが幾分軽減されている。いずれにしろ、特にこの問題は深く追求されることなく、ケパロスは息子のポレマルコスに対話を譲り、正義について語られ始める。
 
 彼はシモニデスの意見として、「友には善いことをなし、敵には悪いことをなすのが、正義にほかならない」(藤沢令夫訳、プラトンからの引用は以下同じ)と主張する(注釈によれば、この意見は広くギリシア人を支配した伝統的な見解であったという)。しかしこの意見はソクラテス流の反問によって曖昧なものになっていく(たとえば、人間に判断の誤りはつきもので、友や敵、善や悪について間違うことは多々ある)。
 
 ここで、二人の対話をいらいらしながら聞いていたトラシュマコスが割り込んできて、「強いものの利益になることこそが、、いずこにおいても同じように〈正しいこと〉なのだ」と主張する。
 
 しかし、ソクラテスは、羊飼い、料理、航海などの例から、自分たちのことよりも、支配されるものの利益を考えるのが普通ではないかと反論する(たとえば、羊飼いは羊が健康で丈夫に成長することにまず関心を払うだろう)。こうした議論の末、「〈正義〉は徳(優秀性)であり知恵であること、〈不正〉は悪徳(劣等生)であり無知である」というとりあえずの結論が提示される。
 
 国家について考える際に、その土台ともなる正義がなければ、終わりのない戦争状態に巻き込まれてしまうこと、また正義がなければ、神々の好意を受けることができないことからも、是非とも正義についての考察が必要であることは認めながらも、すでにこの第一巻目からしてド・クインシーはプラトンに対して手厳しい。すなわち、
 
 第一に、あまりに乱雑で偶然に頼りすぎていて、後に続く論及の進み具合を予示しているとはとても言えない。
 
 第二に、あまりに言葉だけに、細かいところばかりにこだわりすぎている。
 
 第三に、後に続く部分と関連性がない。次に続く長い論考の入り口としては活力がなく無用なもので、議論の自然な移行が認められない。
 
 第二巻も正義についての論議が続く。しかし、短気なトラシュマコスはいなくなり、グラウコンとアデイマントスの兄弟が聞き手を引き受ける。彼らが望むのは、正義そのものが正しいことを納得のいくように説明してもらうことにある。つまり、ソクラテス流の曲折したアイロニーではなく、もっと直接的な証明が欲せられる。
 
 というのも、トラシュマコスの議論はなし崩しのうちに切り上げられてしまったからである。世界は羊飼いと料理人と航海士だけで成り立っているわけではない。羊、食べる者、船客などへの不正が即座に結果としてあらわれ、しかもそれが自分の不利益にもなるという立場にあるものはむしろ少ない。
 
 グラウコンが一般的に正義の起源と考えられていることとして説明するのは次のようなことである。人間は成長の過程で(それは種族としても個人としてでもあるが)、人に不正を加えることも自分が不正を受けることも経験する。ただ、どちらかといえば、人に不正を加えることによって得られる利益よりも、自分が不正を受けることによる苦しみの方が大きい。だから、「一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えることも受けることもないように互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた。そして法の命ずる事柄を『合法的』であり『正しいこと』であると呼ぶようになった。」
 
 正義とは絶対的な基準なのではなく、不正を働きながら罰も受けず利だけを受けるという人間にとって最善のことと、不正を受けながら仕返しもできず我慢するしかないという最悪なこととの「中間的な妥協」でしかない。正義を積極的に善として尊重しているのは、不正をするだけの能力がない者だけだ。
 
 グラウコンは「ギュゲスの指輪」をたとえにだす。ギュゲスはリュディア王に羊飼いとして仕えていた。あるとき、大雨が降り、地震が起き、羊に草を食べさせていたあたりにぽっかりと穴が開いた。降りてみると青銅の馬があった。なかは空洞で、人間の姿はしているが人間より大きいものの死体があり、黄金の指輪をはめていた。それを手に入れ、羊飼いたちの集まりにでていたときのこと、指輪の玉受けの方を手の内側に回すと自分の姿が他人の目に見えなくなってしまうことに気づいた。透明人間になる能力を得た彼は、王の妃と通じ、果てには彼女と共謀して王を殺し、自ら王となった。要は、強大な能力さえもっていれば、誰でも正義という規矩などたやすく踏み越えてしまうだろう。
 
 現に、ごく常識的に世の中を見れば、正義であろうと不正であろうと強者が利益を得ていることは確かである。それを妨げているのは、神の力ではない。ユダヤキリスト教以前には神のうちに絶対的な正義など存在しなかった。
 
 ホメロスやヘシオドスを読めばわかるように、神々のあいだには諍いあり、殺しあいがあり、姦通があり、いわゆる不正と思われているものが充ち満ちている。ゼウスが最上の神だといわれているが、それは最上の人間が王と呼ばれるのとさして径庭はなく、ゼウスもまた不正なふるまいにはことかかないのだ。
 
 ギリシャにおいても死後の世界は信じられていたが、神々に欲望があることも当然のこととされていた。様々な祭儀があるという意味で信仰心は厚かったが、それらの祭儀は神々を喜ばせるためになされた。だから、いわゆる不正な行為をどれだけ行おうと、それが地獄での苦しみに直結しているわけではなく、十分な貢ぎ物をして神々を喜ばせていれば、死後の世界でも厚遇されるかもしれないのである。
 
 それゆえ、強者が不正なふるまいによって無理矢理に利益をむさぼろうとはしないのは、世間の評判を気にしてのことでしかない。いかに強者であろうと、世論が形成され、絶対的な多数となると、それを相手に勝つことはできないからである。強者が不正なふるまいをしないのは、世論という自分より強いものをつくりださないためでしかない。
 
 しかし、あらゆることにおいて能力に長けた者がいたとしたらどうか。いわゆる不正と思われていることを実行するだけの勇気と力があり、もしそれが発覚しても世論を納得させる弁論の能力もあり、有力な仲間や財力を有している者がいたとしたら。そんな人物がいたとしたら、「中間的な妥協」でしかない正義に心を惑わされることはないだろう。それが正義であろうが不正であろうが、好きなことを好きなふうにするに違いない。そしてそれが幸福であることも確かだろう。
 
 その対極にある者として、たとえば、ユダヤキリスト教的な神のいない世界におけるアブラハムやヨブを考えてみればいい。彼らは、あるいは息子を生け贄にしようとし、あるいは精神的肉体的苦痛を受け続けるが、それは絶対的な神への信仰を支えにしてのことであり、もし神が存在しないのならば、あるいは、存在するとしても、ギリシャの神々のように気まぐれであったとしたら、アブラハムは息子を生け贄にすることなど考えないだろうし、ヨブはただ深い絶望のうちに沈んでいくだけである。
 
 絶対的に無力な人間という観念は、そして絶対的な正義もまた、絶対的な神というものが存在してはじめて成り立つ考えであり、すべてが相対的であるなら、優れた能力をもつ者がそれに対応する利を得るのも当然のこととなる。
 
 正義それ自体の根拠を示すことができないのなら、アデイマントスは言う、「あなたが讃えているのは、〈正しいこと〉そのものではなくて、その評判であり、あなたがとがめるのは、不正な人間であることではなくて、不正な人間だと思われることなのだ。それでは結局、不正な人間でありながらその正体を気づかれぬようにせよ、とすすめていることにほかならない」ことになる。
 
 実際、ニーチェからドゥルーズに到るまでプラトン(あるいはプラトンの著作におけるソクラテス)の評判が悪いのは、こうした疑問に答えていないからである。無論、世俗的な繁栄が問題なのではなく、いかなる力もそれ自体が愉悦であることをプラトンが抑圧しているからこそ彼らは批判したのだった。スラヴォイ・ジジェクプラトンに対する批判をその膨大なヘーゲル論『無よりも少なく』のなかで系統立ててまとめているので紹介しよう。
 
 1.生気論的の反プラトニズム(ニーチェベルグソンドゥルーズ)。現実における生成が、プラトン的な形相という知的な不毛性に対立する。ニーチェが述べたように、プラトンとはある病の名である。
 
 2.経験論的・分析的な反プラトニズム。プラトンは観念の独立した存在を信じたが(イデア)、すでにアリストテレスが気づいていたように、観念はその形式である感覚的な事物と独立して存在することはない。分析的経験論者の主要な反プラトン的命題は、あらゆる真理は分析的であるか経験的であるか、ということにある。
 
 3.マルクス主義的反プラトニズム。このことについてはレーニンにも罪がないとは言えない。前ソクラテス派の唯物論や経験にもとずくアリストテレスに対立する最初の観念論者としてのプラトンが退けられる。この見解は、アリストテレスが奴隷のことを「おしゃべりする道具」と考えたのとは対照的に、プラトンがその共和国に、奴隷のための場所を与えなかったことを都合よく忘れ、プラトンが奴隷所有者階級の主要なイデオローグだとする。
 
 4.実存主義的反プラトニズム。プラトンは唯一無比な単一の存在を否定し、単一の存在を普遍的はものに従属させた。この反プラトニズムはキリスト教版(キルケゴールソクラテス対キリスト)と無神論版がある(サルトル「存在が本質に先行する」)。
 
 5.ハイデガー的反プラトニズム。プラトンは「西欧的形而上学」の創設者であり、「存在を忘却する」歴史的過程の契機となった人物である。彼を出発点にして今日のテクノロジー的なニヒリズムにまで達した(「プラトンからNATOへ」)。
 
 6.カール・ポパーからアレントにいたる政治哲学における「民主主義的」反プラトニズム。プラトンは「閉じられた社会」の創設者であり、全体主義を細部に到るまで洗練させた最初の思想家である。
 
 アレントの場合はより純化されていて、プラトンの原罪は、政治が比類がなくなんとも名づけがたい状況における実践的な知恵、判断、決定の領域にあることを理解せず、政治を真理に従属させてしまった。
 
 このように列挙してみると、私もまた、ニーチェキルケゴールサルトルポパードゥルーズという反プラトニズム的な潮流のなかで読書をしてきたことを改めて実感する。もっとも私の場合、思想的な立場の相違というよりも、すぐあとでみるように、ソクラテスの語り口、キルケゴールが詳細に論じたイロニーに常に隔靴掻痒の感をおぼえたことからきている。
 
 イロニーをもって語ることよりも、ド・クインシーが指摘しているように、それがなにを対象としているのか、また、ある種唐突な例のだしかたが、当時の対話としては当然のことであるのか、あるいはプラトンの恣意的な操作のあらわれなのかが私には判断がつきかねる。そのため、対話という平易な言葉が使われていることもあって、すらすらと読み進めてしまうのだが、いざ読み終えてしまうと、結局なにが語られ、なにが証明されたかが曖昧模糊たる場所に取り残されるのだ。
 
 だが、いまはもう少し『国家』を読み進めよう。
 
 ともかくソクラテスは、こうした批判に対して、「〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをする」として、自分の議論を繰り広げるのだが、はじめから大きな飛躍が行われる。実のところ、この飛躍のあいだにはそれこそ多種多様な膨大な思索が費やされていて、議論のためとはいえ、こうした飛躍が許されるのか、私にはよくわからない。プラトンを読んでいて、いつもなにかはぐらかされたように感じるのは、こうした飛躍があるためなのは確かだ。この跳躍の部分を引用しよう。
 
 ぼくたちが手がけている探求は並大ていのものではなく、よほど鋭い眼力の人でなければ手に負えない問題であると、ぼくには思える。で、ぼくたちにはそれほど力量がないのだから、こういうやり方でそれを探求してはどうかと思うのだ。つまり、あまり眼のよく利かない人たちが、小さな文字を遠くから読むように命じられたとする。そのとき誰かが、その同じ文字がどこか別のところにも、もっと大きくもっと大きな場所に書かれているのに気づいたとしたらどうだろう。思うにきっと、これはもっけの幸いとみなされることだろうね――まず大きいほうを読んでから、そのうえで小さいほうのが、それと同じものかどうかをしらべてみることができるのだから
 
 大きな文字がなにかというと、著作の題名にもなっている国家である。一個人にも正義はあるが、国家にもまた正義があるだろうね、とソクラテスは問い、「ええ、たしかに」とアデイマントスは答える。「ところで、国家は一個人より大きいものではないかね?」というソクラテスの再びの問いかけに、「大きいです」と彼は答える。「するとたぶん、より大きなもののなかにある〈正義〉のほうが、いっそう大きくて学びやすいということになろう。だから、もしよければ、まずはじめに、国家においては〈正義〉はどのようなものであるかを、探求することにしよう。そしてその後でひとりひとりの人間においても、同じことをしらべることにしよう。大きいほうのと相似た性格を、より小さなものの姿のうちに探し求めながらね」
 
 国家と個人は対立するにしろ親和するにしろ、どちらも幸福な状態とはいえないだろう。空気のようにその存在を感じないことがもっとも幸せだといえるかもしれない。ここでソクラテスは、最小限の人数からなる国家を構想する。最低限必要となるのは衣食住である(着るものと住居とは南国ではより緊急性が減じるだろうが)。また服や靴をつくるための材料のことを考えれば、牛飼いや羊飼いがいる。完全に自給自足の国を建設することはほとんど不可能である。そこで商人や船乗りが必要となってくる。市場ができれば、小売り商人、金を扱う者がいる。
 
 衣食住を満足させることだけで国家は形成されない。衣服、食物、住居を作りだすにはそれぞれ独自の道具がいり、もちろん、道具を製作するにも道具がいるので、必要とされる職種は、生存に不可欠なものの数十倍に増加する。
 
 さらには、絶海の孤島でない限り、他の国との交渉が存在することを考えねばならない。友好的な外国も、敵対的な外国もあることを思えば、外交の役割を果す者や兵士も必要となろう。そしてなによりも、必要最低限な愛国心と国家への忠誠が要求される。それゆえ、国家においてもっとも重要なもののひとつに教育があげられることになる。
 
 こうした議論の過程で、プラトンにおいて有名な、詩人や劇作家に対する非難があらわれる。欲望の限りをつくす神々を描きだす叙述は、神々に対する崇敬と「健全な」道徳とを同時に損うことになろう。
 
 教育科目としてあげられるのは、主として詩と音楽、そして身体的な教育である。身体的教育についてド・クインシーは面白い指摘をしている。オリンピックの発祥の地として古代ギリシャは有名だが、運動選手としての教育と、兵士として役だつ教育とは異なるということだ。こうした無駄話は私がド・クインシーにおいて最も好むところでもある。
 
 「剣闘士の学校は、よく知られ変わらないのは、公的な祭りや試合の前に体力を最大限に準備するためのものだということである。現代の、そして古代の訓練体系では、この準備段階の教練はきちんと計算できるものであったことが知られている。『ファン』が我々のなかにもいる拳闘家は、厳しい罰則規定のある法的な契約関係に入り、試合の時日が決まると、その六週間前からトレーニングに入る。試合までの日、食事、練習、睡眠、すべてを規則的に管理し、筋肉と体調を最上の状態に整える。さて、確かに一般的に見れば、プラトンの兵士の目的も同じであるが、重要な相違点がある。つまり、彼らの戦いは一日や二日ですむものではなく何日もかかるし、決められた日どころか、いつ始まりいつ終わるのか、どれだけ続くかもわからない。この相違一つですべてが変わる。古代と現代のトレーニングは二つの顕著な事実について一致している。一、異常な訓練によってついた体力は長続きせず、一様に貧弱といえる状態にまで落ち込んでしまう。シジフォスの岩のように、抵抗するものを苦痛に満ちた異常な努力で頂上にまで押し上げると、それが転がり落ちるときの大音声の激しさもすごいものになる。激しい状態は突然の反動を生まざるを得ない。二、異常な緊張からくる痙攣は危険を伴わずにいないことがわかっている。卒中や動脈瘤破裂といった突然の死は、自然の器官を危険なまでに酷使することから起きがちなのである。これもまたギリシャの経験したことだった。力をつけ、安全を確保するには時間をかけなければならない。そんなわけで、プラトンは身体的訓練の大きな法則として、食事、練習、節制、力をつけるための体操などを運動選手の学校から兵士のために借りることをやめたのである。」
 
 プラトンのほうは、これ以降理想的な国家についての対話が続くが、要するに、正義とは知恵を愛し求めることであり、哲学者こそがそうした正義を満たすことのできる人物である。そして、哲学とは次のような行為である。
 
心底から学ぶことを好む者は、真実在に向かって熱心に努力するように生まれついているものであって、一般にあると思われている雑多な個々の事物の上にとどまって、ぐずぐずしているようなことはないのだ。そのような人は、真実在に触れることがその本来の機能であるような魂の部分――真実在と同族関係にある部分――によって、〈まさに何々であるところのもの〉と呼ばれるべき、それぞれのものの本性にしっかりと触れるまでは、ひたすらに進み、勢いを鈍らせず、恋情をやめることがない。彼は魂のその部分によって、真の実在に接し、交わり、知性と真実とを生んだうえで、知識を得て、まことの生活を生き、はぐくまれて行く。そのようにしてはじめて、彼の産みの苦しみはやみ、それまではやむことはないのだ
 
 真実在とは生成消滅しないようなもの、原型、イデアであり、プラトン哲学の根幹をなすものである。しかし、翻って考えるなら、いらだたしく思えたソクラテス流の対話術、曖昧でぬらりくらりとした答弁のあり方こそ生成消滅の最たるものではないだろうか。
 
 あなたがいま言われるようなことを耳にするたびにいつも、聞く者たちのほうは何となくこういう感じを受けるのです。つまり、こう考えるのです――自分たちは問答をとりかわすことに不馴れであるために、ひとつひとつ質問されるたびに、議論の力によって少しずつわきへ逸らされて行って、議論の終りになると、その〈少しずつ〉が寄り集まって大きな失敗となり、最初の立場と正反対のことを言っているのに気づかされる。そして、ちょうど碁のあまり上手くない者が碁の名人の手にかかると、最後には閉じこめられて、動きがとれなくなるのと同じように、自分たちもまた、碁は碁でもちょっと違った、石のかわりに言葉を使うこの碁によって、最後には閉じこめられて、口を封じられてしまう。しかし、だからといって、真実そのものはけっしてそのとおりのものではないのだ、と。
 
 このように対話者であるアデイマントスに言わせているプラトンがそうしたことに無自覚だったわけがない。プラトンが描いたソクラテスと実際のソクラテスの応対のあり方や思想にどれほどの懸隔があるか、現在の研究でどこまで認められているのか私にはわからない。
 
 たしかニーチェはどこかで、ソクラテスの殺害者としてプラトンを批判していた。しかし、体系的な思想などまったく目指しておらず、それについてはこんな話があってね、とそれこそド・クインシーのように逸脱に逸脱を重ねるソクラテスの姿も想像できなくはない。