悲劇と科学

 

 

 ギリシャ科学的精神濫觴の地であるなら、科学もまた劇的な要素をもっていたといえる。実際、アリストテレス的に考えれば、たとえば、ものは重力という目的因によって、高いところから低いところへ落下するといえる。ホワイトヘッドによれば、悲劇の本質は登場人物を見舞う不幸にあるのではない。運命の不可避性にあるという(『科学と近代世界』)。この不可避性が科学にも共通し、近代のヨーロッパにも通じている。近松の「悲劇」には纏綿たる情緒はあるが、不可避性は存在しない。多くの場合、家、つまり社会的な制度から脱出すればいいだけのことで、そこに科学に通じる呵責な運命は存在しない。