ケネス・バーク『歴史への姿勢』 19

教訓

 

 多くの人が指摘したように、我々もまた、神秘-グロテスク崇拝においては、受容の枠組みにおいて受動性がいかに完全な形で働いているかを指摘した。能動的な枠組みに相当するのは教訓(プロパガンダ、レトリック、「応用」芸術)である。

 

 歴史の自発的な展開においては、ある傾向の想像力豊かな表現は、その概念的-批評的対応物に先行している――ギリシャ悲劇がそのエッセイによる定式化であるアリストテレスの『詩学』に先行しているように。あるいは、個人主義的事業の想像力豊かな象徴化が、『国富論』によって概念的に象徴化される以前に、(神学的には)『天路歴程』に、(世俗的には)『ロビンソン・クルーソー』に、(幻想的には)ガリバーのひとりぽっちの旅でなされているようにである。あるいは、象徴主義の組織的な文学運動が、それに対応する精神分析の批評的定式化に先行したようにである。教訓はこの過程を逆転し、想像力を指導し、批評的要請に従わせようとする。

 

 想像力は指導され得ず、完全な詩人は全てを自分の力で引きださねばならないのだとすると(かくして、誠実さというのは技術的、かつ道徳的必然となる)、想像力を強制しようとする試みは、アラン・テイトのような現代の批評家を悩ませている「意志」の問題に行き着く。この問題はまた、トルストイが「プロレタリア」文学の可能性を否定したときに意図したことを説明するだろう。(我々の解釈では、革命の文学はドストエフスキーの想像力豊かな作品に見てとられ、それに続く1917年以後の批評家たちの組織的な活動においていわゆる「革命的」文学と呼ばれているのは、革命戦争の後に書かれた愛国者トーリー党の戦いを描いた物語に類似しており、その文学に内在する発端の発生的要素は批評的定式によって明らかにされている。)*

 

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 しかしながら、問題はそれほど単純ではない。というのも、デカルトの「体系的な懐疑」という定式が創造的な方法であり、技術的な発展において実験、帰納、懐疑の融合が行なわれているので、批評はより建設的な要因となり、我々の生産様式に本来ある想像的-批評的という順序が逆転する結果を生みだしているからである。マルクスドストエフスキーの想像力の過程に見合うような心理学の概念をなんら呈示していないとは言われるだろうが、マルクスの鋭い批評がドストエフスキー同時代のものであることを指摘できる。マルクスが心理学的な問題として図式化したアンチテーゼの概念は、ある「道徳」を別のものと戦わせ、想像力豊かな作家が「ぼんやりと輪郭を描く」結果として来たるべき総合、それゆえ、法律家の論争で行き渡っているような賛成か反対かの姿勢と混同されやすい可能性を分析していない。

 

 ドストエフスキーにある罪と罰との悲劇的な両義性はマルクスによっては考えられなかった。法廷弁護士としてそれを「暴き」はしなかった。しかし、詩的形象群によって「ロシア皇帝」と民衆とを同一視した詩人は、エッセイ的な裁定では解決できない問題を扱っていた。革命後のロシアでは、スターリンと民衆が同義語とみなされており、それは(民衆と権威の個人的象徴とを同一化する)一般的な傾向に従ったものである。そして、マルクス主義の階級道徳の教えに従えば、そうした連想を切り離すことが必要だが、自分自身にある全てを用い、ピラミッドの頂点には特定の個人が必要だと感じている想像力豊かな作家にとって、それは非常に困難なことなのである。*

 

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 国家の頂点に代理人としての権威を置き、党派の争いがあり、選ばれたシンボルが常に中傷によって攻撃され暴露が行なわれる民主主義では、こうした統合の衝動の完全なあらわれは許され得ない。既に見たように、英雄を立てることによって自分自身を高揚させようとしても、党派的な泥仕合で、伝説の完成は常に阻まれるに違いない。正直なところ、これは厳格な考え方である。議会は、自尊心へ向かう可能性を制限する(英雄的なものの源を切り落とす)考え方を自由にしておくことで我々を守ろうとする。「全体主義的な」体制では、神話づくりに必要な機会が与えられ、批評による防御は抑えつけられ、今日の悲劇的なドイツに見られるように、神話によって人々の美徳が悪徳の最も不吉な前兆として働くようにされる。

 

 権威の魔術(それは子供と親との関係に代表されるのではなく、まさしくそれそのものである)は、民主主義においては、英雄を科学や芸術、技術畑や事業家(その権威が、党派的な賛意によって形成されていないような人物)などから選ぶ傾向が見てとれる。ブルジョア政体では、政治家たちでさえ、対立者の動機を政治的だと言って強く非難する。専門的な党派人は、自分たちの尺度を党派的なアンチテーゼを超越したものだと弁護したがる。選挙の候補者は、結局、「我々の党に投票なさい、そちらのほうがより党派間の調停が容易になされるのですから」と言うことになる。権威の代理人とは、本質的に言えば、公的な便宜のために働く人形として民衆から選ばれたものである。国家の交通整理をする役割をする者として投票がされる。そして、抜け目のない「暴露家」は、人形は人形であるという発見を頻りに発表するのである。

 

 絶対的な頂点を欠いた枠組みの切りつめられた性質は、民主主義で「訓練された」多くの人々が、馬に乗ってやってくる黙示録的人物には都合のいい「専制」と「よい専制」とを同義語にしようとする考えを積極的に妨害する理由を説明するかもしれない。自由な民主主義に異常が現れたときに増加するこうした傾向に対抗できるのは、成熟し包括的な批評的枠組みであるように思われる。そうでなければ、争奪戦は必然的に衝突に行き着き、衝突が、マルクスが慰めのように科学的に不可避だと言った幸福な結果に導かれる保証はないのである。*

 

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 教訓詩は、それを誹謗するものが指摘したがるように、ある種の人間を図式的に「友人」あるいは「敵」として振り分ける決定をすることで、総合による混乱を避けようとする。それゆえ、教訓詩は、イギリスの若いコミュニストグループの作品にあらわれているように、アレゴリーに向かう。自然に、性格や歴史が過度に単純化され、対立は「感傷性」によって軽減される(非難を免れようとすると、マルローが『人間の条件』でしたように、「政治的に啓蒙」されていない悲劇崇拝に頼らねばならない)。詩人は「純真」に生まれついたのだが、危機的な切迫性が彼を「感傷的」にする(一世紀以上前『ウィリアム・テル』の教訓的な作者によって考えられた事態である)。そこで、教訓主義の弱い側面である感傷について考慮することで、我々の文学的カテゴリーに関する議論を終わろうと思う。

 

 感傷とはある意味意志の働きである。込み入った状況にある生に直面した者が、ある傾向を望ましいと考え、他の傾向を望ましくないと考えたとしよう。そして、生存の論理を単純化し、望ましい特徴こそが多数にとっての「本質」だと決めたとしよう。彼は、エマーソンのように、あらゆる善には悪が、あらゆる悪には善があることを見いだすが、その組の「真の意味」はにあるとするのである。あるいは、より身近な例を取ってみれば、誰のうちにも善と悪とを認める作家が、教導的な目的のために人々を階級に分ける――そうした階級の一員として人を扱うことで、自分の階級哲学に添った「人間的」姿勢を指示しようとし、図式的に善と悪を、生気あるものと頽廃とを、勃興するものと死にゆくもの、等々を分けることがある。それゆえ、彼は最初の立場を、「対立の調停」を「より高次の総合」という概念によって「超越」している。特に、プロパガンダの場合、その階級理論は「誰にでも善と悪がある」という両義的な考えを「超越する」。ブルジョア批評家は共感を欠いたこの「感傷的な」単純化を罵倒するが、ブルジョア擁護の文学はこうしたもので満ちている。というのも、この一世紀というもの、正直な庶民が不道徳な貴族に勝利を収める本で満ちており、劇的な役割はその階級によって割り振られているのである。

 

 問題は人物形成の基本的な仕掛けに近づいており、人物形成は芸術という「世俗的な祈り」によって完成する。それはヘーゲルの「アウフヘーベン」であり――その過程が完成すると、ゲーテの「Entssagen」に近しいものとなる。初期の教訓詩人ヘシオドスの心理学を即興的に試みることでこのことを例示してみよう。

*1:*我々のカテゴリーを完全なものだと主張するのではないが、エッセイと教訓との関連を指摘できる。エッセイとエレジー、挽歌との逆説的な類縁性についてはしばしば指摘したかもしれない。つまり、「私は治療法を呈示しようとするものではない。単に問題の性質を示しているのだ」と言う「科学的な」作家にはある種の超越的ヒポコンデリーがある。我々はグロテスクを笑いを省略したユーモアのようなものとして特徴づけた。「公平な診断」を下すエッセイは、涙を省略した挽歌に例えられるだろう。ハムレットはその方法を瞥見していたが、彼の時代にはまだその「道具」となるような考え方が発達していなかった。それゆえ、彼の診断では挽歌的な要素が強調される――そして、著者と同じくらい言葉に頼っているにもかかわらず、切迫した事情によって自分の道具と争う哀れな職人となっている。

*2:*これに比較される構造は、エジプトでは、すべての人間がファラオの所有者だということにある。ローマでは神的である皇帝の象徴で統合がなされる。教皇を頂点に持つ神権政治的位階をもつカトリック封建主義では、異例の狡猾な企図が働いていて、ブルジョア父権的家庭の父親と息子に性的な敵対関係があるというフロイトの考えに幾ばくかの真理があるなら、父親のシンボルとして働くローマ教皇は、制度的に去勢することによって多くの息子たちを安心させられる。ある個人によって統合を成し遂げようとする傾向は、分断に直面した帝国を結びつけるシンボルとして王を使ったイギリスにもあらわれている。ホイットマンリンカーンに対する姿勢にもそれは見て取れる。現在[1937年]内的には不和で緊張が高まっている日本を結びつけているのも一人の魔術的な人物である。ドイツでは、民衆が幾世紀にもわたって進むべき道をつくってきたというのに、1933年以後はヒットラーがそれをつくっている。

*3:*資本主義の混乱がその「害毒」によって民主主義の信用を傷つけているときにも、民主主義に対して正当な評価を持ち続けるということになると、恐らく、民衆に可能である以上の機敏な自意識が必要とされるだろう。特に、そうした批評の拡がりをあからさまに認めない多くの教育が存在するからなおさらである。にもかかわらず、批評家たちは人間の諸動機の「喜劇的な」解釈を広め完全なものにする試みを続けねばならず、ヒトラームッソリーニのような英雄的な婉曲語法が世界に雪崩のように押し寄せようと、人道や文明は喜劇の明敏な自己意識が喜劇の洞察によって蓄積されたものを「道具として使用」できる限り維持されるのである。