ケネス・バーク『歴史への姿勢』 87

 手術される病院で、「ヘローネがまず最初に印象づけられたのは、自分の置かれた状況の極端な<物質性>だった」。それはプライバシーの侵害から始まっており、「内蔵が拡げられ、忌まわしい管が鼻から胃へと差し込まれ、彼はそれを逃れようとする(「このもっとも肉体に近い場では、逃れる場所など存在しない」)。」H・リデルの「啓示」に続く数週間、そして南部での回復の期間を含めて――その間は語りによって埋められるが――私は、友人のウィリアム・カーロス・ウィリアムスが、しばしばあることだが、彼の詩人と医者としての二面性がが一つになった語り方で私に言ったことを考え続けていた。鼠谿部に痛みの前兆が集中したとき、また、手術後には腹部に痛みが残っていると、私もまた現代には珍しくない傾向を共有しており、ウロボロスのような神話的な生物を「自然科学」のもとに分類できるのかどうか不思議に思うたちではあったのだが、私が思いだし続けていた彼の示唆に対応するように、それがなぜ生みだされたのかは理解できるのだった。「まず最初に存在するのは生の物質性であり、人間という有機体は、栄養摂取のための管に付属物をつけた生き物・・・装飾のついた消化管だ。」

 

 しかし、わが主人公は、決して、人間の動機を単に生理的な起源に還元して解釈することはない。既に(後に『動機の文法』で証明したように)、彼を生みだした著者は(恐らくはジョージ・サンタヤナから多くを学んで)、実質的には象徴の領域にあるもの(本質、精神、真理)が我々の根づいている非象徴的な運動の領域をいかに変容させるか理解していた。「生態学に夢中になり」、健康の回復に努める状況のなか、暖かな南部にいて「若きキーツが死んでいくのを見守りながら」、わが主人公は、運命とファニー・ブローンの哀れな虜であったキーツが彼女に書き送った惨めかつ優美な手紙の「進歩的な」啓示にたじろぎながらも、より強くなっていくのを感じる。そして、我々に対してかく存在する故に実際に存在する純粋に<象徴的な>種類の実在を大いに強調して、テキストは次のようなことまで言う危険を冒す。

 

ここに「優美さ」の領域、純粋で理想的な振る舞いがあり、その領域では、例えば、男性の消化管は女性の消化管に如才なく挨拶を送り、彼らが<根底においては>海底から掻きだされた有機体ではない「かのように」象徴的な優雅さをめいっぱいに使うのである。

 

 

 この「かのように」は(多分カントはまったく認めないであろうカント的なひねりなのだが)、様々な方法で利用され(適任とされる)、「文化の理想」に従って「海は熟れすぎたメロンのように甘かった」と言い、「どんな些細な旋律でも、夜海の向こうから聞こえてくるものは運命づけられているかのように思えるものだ」というときのように、すべての表現に「優美さの文体」としての傾きをつけるのである。

 

 彼のふさぎ込んだ状態から多くの見本を借り、愛するファニーとの別離というもっとも惨めな状況のもと死が差し迫っているというまったく対照的な状態ではあるが、徐々にではあるがリデルの回復にキーツの手紙が寄与し、重要な役割を果していることを示唆できればいいと私は望んでいた。そのずっと前から、私はC・ライト・ミルズの『社会学的想像力』に取り組むつもりでいて、すぐ後に取りかかった。しかし、その前に、「姿勢」に関連して中世の六歩格がもつ「生成文法的な」役割について述べておかねばならない。

 

 文学批評の最初の著作である『反対陳述』で早くも、私は六歩格の問題に行き当たった。しかしそのときには、十五年後、こうした疑問が私の「劇学の五元素」に変わる意味合いをもつものとはまったく理解せずに引用していたのである。かくして、quis quid ubi quibus auxiliis cur quo modo quando(誰、何、どこ、どんな手段で、なぜ、いかに、いつ)は行為者、行為、場面(空間的な)、媒体、目的、姿勢、場面(時間的な)になった。しかし、そのときでさえ(『動機の文法』)、quo modoにあたる「姿勢」は明確にはなっていなかった。もしなっていたら、私の五元素は最初から六元素になっていただろう。しかしながら、この本には「行為」の題目の下、「『初発の』行動と『遅れた』行動」と題された章があり、そこでは、I・A・リチャーズ、ジョージ・ハーバート・ミード、アルフレッド・コジブスキー、また、シェイクスピア流の独白に見える「劇的停止状態」とワーズワースソネットウエストミンスター橋について」に見える詩の「叙情詩的な姿勢」とを区別する方法を示唆したヒューストン・ピーターソンの『孤独な論争』と関連して(著しい両義性も含めて)論じられた。そこでは、以前この語に負わせた意味を私は忘れてしまっている。

 

 しかし、中世のquo modoが本来、「媒体」の主題をめぐる比喩的な変奏でしかないので(「彼は金槌とのこぎり、それに機敏さをもって仕事をした」)、その語の戦略的な意味はじきに明らかになり始めた。というのも、それは非象徴的な運動と象徴的な行動の間の<個人的仲介の>点を指し示しているからである。その「いかに」は生理的な有機体としての人間個人の役割と、それに対応する中枢神経の組織、象徴性(それ自体として、また対抗自然として、その力によって、意識的無意識的に結果としてもたらされ、発展する)の力によってしるしづけられた経験のもとにある<個人的姿勢>を指し示している。それ故、我々の「現実」という概念はある傾向をあらわすものともなり、唯一無比であると同時に社会的な「定位」を<含んだ>不安定で複合的な「個人的方程式」でもある。

 

 この点について別の角度から見ると、我々人間という動物が「行動する」際には三つの次元が認められる。つまり、方程式、含意、変換である。「方程式」の力は魔術の「創造性」に類似している(神が「あらしめよ」と言い、その言葉が実在になる)。「一般的な普遍」からある状況、過程、関係(或は一足飛びに「事物」を)を画定するために、ある命名法がどんな「言説の宇宙」に足場を置くとしても、そうした命名法は言外であるよりは明示的に、<なにとなにが等しいのか>を言うのである。『動機の修辞学』で私は、この問題の曲折をレミ・ド・グールモンの(私を開眼させてくれた)エッセイ「観念の分離」と関係づけて論じた。しかし、そのときには、彼の洞察力のある分析を、方程式、含意、変換という全体的な構図のなかで捉えてはいなかった。

 

 パヴロフが、ベルの音がすると唾液が出るよう犬を条件づけたように、いかなる関係にも「方程式」としての性質が考え得る(或は、人間という動物により特殊なことで言えば、首を吊られた男の家ではロープのことは口にするなということわざを思い起こせばいい)。ベンサムの「検閲的名称」は理想的で完全な例である。

 

 同じ理由によって、あらゆる「方程式」には「含意」が含まれているのは明らかである。※例えば、売買は「正義の下位区分」として扱うことができるが、それは売買も正義もどちらも「犠牲」の原理にいずれは突き当たり、いかなる交換もなにかの「ために」なにかを「犠牲にする」ことだからである。『宗教の修辞学』では、「秩序」と「無秩序」という(互いに含み合う)両極端の言葉からはじめ、全体的な「『秩序』という観念に含まれる関係の循環性」を私は提示した。そうした方程式と含意は「無時間的な」相互関係のなかでは「まさしくそうした存在」であり得る。しかし、時間という次元を導入すると、名辞論的な諸条件は、物語が秩序から無秩序、或はその逆の変化に関するものであるように、「変換」へと移行する。変換は神学の包括的な弁証法的構造においてもっとも大規模に具体化されている。選ばれることと見放されることが無限に繰り返される物語であるキリスト教の終末論を考えてみればいい(超自然的な人格性の原理は、我々の存在の基盤であるいまここを形成する広大な普遍が存在しなくなった後も、永遠に残り続けると言われる)。しかし、超自然的な企図が永遠に続くと言われるのに対し、マルクス主義の終末論は対抗自然的な領域で展開し、階級闘争の進行は闘争する階級自体がすべて不可避的に消滅することによって終わりを告げる(かくして、弁証法は最終的には自らを廃棄する)。相応じて、変換の分析的手段によれば、ギリシャ悲劇の全体的な弁証法は、もっとも些細な商業的取引にさえあらわれている犠牲の原理を荘重な文体で拡大したものだと「自ら発見する」ことができる。アリストファネス的な喜劇の弁証法は、明らかに、様々な方法で市場に近い「公正な価格」を反映していると言えよう。

 

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*1:※『歴史への姿勢』では、この関係は「分析的放射」として考察されている。