一話一言 50

 

文学と媒介

あらゆる文学がよくわきまえていることだが、文学はオルフェウスと同じく、死の危険を冒すことなしに、自分が目にしたもののほうを振り返ることができない。文学は媒介に頼ることを、すなわちある意味で嘘をつくことを余儀なくされる。バルザックが、マルクスがあれほど賞賛したリアリズムをもって彼の時代の社会を描くことができたのは、ひとえに彼がある時代遅れのイデオロギーの総体によってそこから遠ざかっていたからにほかならない。結局のところ、彼の信念、そして歴史的観点からは彼の誤謬と呼びうるであろうことが、彼にとって媒介の代わりとなったのだ。バルザックはその神権政治論にもかかわらずリアリストだったのではなく、まさにそれゆえにこそそうだったのだ。逆に社会主義リアリズムは(少なくともわれらが西欧では)、その企てそのものにおいてあらゆる媒介を自分から排除するがゆえに、息を詰まらせて死につつある。それは直接的であることによって死ぬ、現実をよりリアルにするために現実を覆い隠すあのなにものかを拒絶することによって死ぬ、そしてこのなにものかこそまさに文学にほかならない。

リアリズムが「リアル・ポリティクス」(この言葉を聞くたびに虫酸がはしる)などと何の関係もないことがよくわかる。