ケネス・バーク『歴史への姿勢』を逸脱する 1 ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズム

 

 

 

プラグマティズム (岩波文庫)

プラグマティズム (岩波文庫)

 

 

 

根本的経験論 (イデー選書)

根本的経験論 (イデー選書)

 

  アメリカの批評家ケネス・バークの『歴史への姿勢』をスターターにする評釈=逸脱である。

第一部 受容と拒絶

 

第一章 ウィリアム・ジェイムズホイットマン、エマーソン

 

 「宇宙を受け入れる」か「それを拒むか」。ウィリアム・ジェイムズはそう並べ、それが「自発的に行われる二者選択」であり、「ある種の悪に陥ったときに精神は両者の間を揺れ動く」のだとした。そして、「第一の選択に失敗するまでは第二の選択に赴くことはなく、第二の選択が不誠実な応急策であるか、第一の選択が余分な虚栄心であるかに思われる」と述べる。特徴的なのは、ジェイムズが双方を避ける道を探していることである。彼はオプティミストでもペシミストでもなく「改善論者」である。「解決はどちらも絶対に受け入れないことにおいてのみあり得る。」断念がなければならないのだとしても、それは「暫定的」であるだろう。「新たな博愛的行動を進めるための土壌と余暇」が必要となろう。そして、彼は行動の価値を「結果よりもむしろ・・・向上させようとする試み」のうちに位置づけるだろう。この考察は1869年、ジェイムズのプラグマティズム哲学が形をとるずっと以前に書かれた。だが、その最終的な形に近いものはこの初期の道徳的な但し書きにあっても常に心にあったに違いない。ジェイムズの図式では、行動と結果は決して純粋に功利的なものではない。より少ない悪を選択することが最終的な機会だと見得るなら、より少ない悪を選択することも一つの行為である。

 

 

 ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)はニューヨークに生まれ、五人の兄弟の長男である。弟には小説家のヘンリー・ジェイムズがいる。父親はスウェーデンボルグの思想に深く影響を受けた非正統派の宗教哲学者だった。

 

 父親は子供たちがヨーロッパで教育を受けるべきだと考え、家族はイギリスやヨーロッパ大陸に滞在することも多かった。

 

 ジェイムズは心理的、身体的経験に影響を受けやすく、1968年に「自身の存在に対してすさまじい恐れ」を感じたと記録している。また、1870年には自殺のことを考えた。

 

 ジェイムズの『プラグマティズム』は、ジェイムズ自身の思想が明確にされていたわけではなかったので、誤解されていて、膨大な未発表の原稿やノートが死後25年を経て、弟子であるペリーによってまとめられるまでは真に理解されることはなかった。

 

 実際、『プラグマティズム』では、デカルトから発した精神と物質の二元論を前提とし、カント、ヘーゲルと進んでいく合理論に対して経験論、唯物論キリスト教神学の一元論に対しては多元論を支持していることこそ明らかであるが、それによって描かれる世界像が明らかになるわけではない。たとえば、第一講では合理論を軟い心の人、経験論を硬い心の人として次のようにその特徴を分類している。

 

   軟い心の人             硬い心の人

  合理論的(「原理」に拠るもの) 経験論的(「事実」に拠るもの)

  主知主義的           感覚論的

  観念論的            唯物論

  楽観論的            悲観論的

  宗教的             非宗教的

  自由意志論的          宿命論的

  一元論的            多元論的

  独断的             懐疑的

 

 ジェイムズはといえば、経験論的で感覚論的ではあるが、唯物論的でも悲観論的でもなく、自由意志論的ではあるが、多元論的で懐疑的である。明らかにジェイムスは「軟い心の人」であることに価値を置いているのだが、「硬い心の人」の冒頭に経験論的であることが置かれていることに困惑させられる。また第四講の冒頭では、ジェイムズがまさしく「改善論者」であることが表明されている。

 

 われわれは前講において、プラグマティズムの方法が、或る種の概念を取り扱うに当って、これを讃仰し冥想するに終ることなく、むしろそれらの概念をひっさげて経験の流れの中に飛び込み、その助けをかりてパースペクティヴ拡げて行くものであることを見た。かの物質の代りに設計、自由意志、絶対精神、心霊、などという語をつかった方が、これらの語のもつ意味だけからいっても、この世界の成り行きについてよりよき約束を与えてくれる。これらの語が誤っていようとまた真であろうと、とにかくその意味はかかる改善論にある。

 

 

 

 プラグマティズムが便宜的な効率主義でしかないのかどうか、たとえば、ジェイムズの最大の論敵であり、イギリスにおいてヘーゲルの影響を受け、絶対的観念論を確立したといわれているブラッドリーは、『真理と実在に関するエッセイ』のなかで、プラグマティズムがなにを究極的な価値としているかが明らかではない、たとえば芸術などはどのように位置づけられるのだろうか、と途方に暮れたように述べている。一見、極端なものを調和させるもののようでもあるが、なんであれ、多元論に反対するものを否定し、世界や個人の惨禍や、悪の絶対的実在が絶対的に変えうるのだと主張している。つまり、方向性は明らかなのだが、その先にある世界像が判然としない。

 

 ジェイムズは絶対的真理を峻拒するが、結局、我々にとって有効に働く観念以外に真理は存在しない。最終的にそれが矛盾するものであっても、人間の関心を決定するのが真という観念であり、その関心=観念は多かれ少なかれ価値があるので、真理にも程度が存在するのだ、とブラッドリーは絶対的真理が君臨することはない層化したそれなりに説得力のある世界像を提示している。

 

 もし、ブラッドリーが言うように、ジェイムズのプラグマティズムが必ずしも自身の世界像に向けての方法論なのではなく、議論のための議論、言語ゲームに過ぎないのならば、それはソクラテスプラトンイデアに反駁したソフィストたちとなんら変わらないことになる。実際、ジェイムズの次のような言葉、

 

事物の間には美的統合も認められる。そしてそれは目的論的統合にはなはだよく似ている。(中略)世界は互いに並行して進みながらその始めと終りの時のまちまちな部分的な物語りに満ちている。それはところどころで相互に絡み合い干渉し合うが、われわれはそれらの物語りをわれわれの心のなかで完全に統合することができない。諸君の経歴を辿るときには、私は私自身の経歴からしばしば私の注意をそらさねばならない。双生児の伝記を書く人でも、二人のどちらかに読者の注意を惹くほかないであろう。

 

 

こうした言葉、与えられた経験が、非関係的でありながら、分割されないいまという経過を含む壊れることのない流体の全体性だとする考えは、ヘーゲルや、よりジェイムズに身近な例でいえば、ホワイトヘッドの考えに近しいといえるだろう。しかし、ジェイムズはそれを系統だててまとめようとはしなかった。

 

 興味深いのは、アメリカの批評家、フランク・レントリッキアが『アリエルと警察』(この題名はウォレス・スティーブンスの詩からとられている)において、『プラグマティズム』の背後に政治的な危機感を読み取っていることである。『プラグマティズム』が出版されたのは、アメリカが19世紀の終りにあたり、キューバとフィリピンに帝国主義的な進行を始めて開始したときであった。この動きに対してジェイムズは、帝国を理論(ある種の理論化の衝動)として、また理論あるいは伝統的哲学を帝国として(ある種の帝国主義的衝動)として理解し始めたのだという。ジェイムズにとってこの二つの衝動は多様性の世界を歪曲する試みとして捉えられた。

 

 特にジェイムズを深く読み込んでいない私には、この批評が正鵠を射ているのか判断する手立てはないが、ジェイムズの死後にまとめられた『根本的経験論』には、あくまで伝統的な哲学に包含されまいとする謎めいた言葉が残されている。

 

私自身の内部にあっては、思考の流れ(これを私は断固として一つの現象だと認める)は、綿密に調べてみると、主として私の呼吸作用の流れから成っているとわかるものを表わす不用意な名称でしかない、ということである。カントが私のすべての対象に伴いえなければならぬと言ったあの「私は思う」は、現実に対象に伴っている「私は呼吸する」なのである。呼吸作用のほかにも内部的な事実はいろいろある(頭蓋内部の調節作用など。これらについては、大きいほうの『心理学』で一言してある)、そしてこれらの内部的な事実は、作用に従属しているかぎりにおいて、「意識」の資産を殖やすものである。ともあれ、かつて「精神」の起源であった気息、声門と鼻孔の間から外へ出てくる気息こそ、哲学者たちが彼らに意識として知られる存在物を構成してきたものの本質なのだ、と私は信じている。かの存在物なるものは架空のものであるが、具体的な思想は、充分に現実的なものである。しかし、具体的な思考は、事物と同じ素材からつくられているのである。

 

 思考を不用意な名称でしかないと言い切っているところは、『プラグマティズム』を伝統的哲学で用いられている用語の全面的な再定義と理解することではじめて切り開かれる地平であろう。